小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

二つの番組

7月18日(土)、ETVの二つの番組を観た。

午後1時~「こころの時代~今 互いに抱き合うこと -コロナ禍に読む聖書-」は北九州市にある東八幡キリスト教会の牧師・奥田知志さん。「ほうぼく(抱樸)」という言葉に出逢った。

奥田さんが緊急で立ち上げたプロジェクトがある。仕事や住まいを失った人に、全国のNPOと連携し、クラウドファンディングで100~150ヵ所のアパートを提供し、コロナのその後の社会の生き方についても考えようと呼びかけるものだった。

そして、聖書の中の【光は闇の中に輝いている、そして、闇はこれに勝てなかった】という言葉は、絶望の先に希望がある、明けない夜はない、冬来たりなば春遠からじ、ではなく、冬の真っただ中にも春は始まっている、希望のかけらが始まっているということ。闇の中に光を探そうという気持ち、宝探しをするという気持ちを持とうと呼びかける。

夜11時~ETV特集「雪冤(せつえん)~ひで子と早智子の歳月」
袴田事件狭山事件、、、長い闇の中にありながらも、ひで子さんは弟を、早智子さんは夫を支えて、明るく生きていらっしゃった。

自分の世界でただただ歩き続ける84歳の弟を、笑顔で見守るひで子さん。
ようやく手に入れたささやかな日々に幸せを見出しているかのように、そばに居ればいい、生きていればいい、食べてくれればいい、笑顔があればいい。。。と。
ひで子さんのように、自分も心広くなりたいと早智子さん。

裁判に勝ったら何を話していいかわからんな~と早智子さんが言うと、自分の思い通りに生きたらいい、と一雄さん。
一番行きたいところは、、、やっぱり、ケニア。生きた動物を見たい。野原でのびのび運動しているところが見たいと言う。

ケニア?!~~児童文学者の斎藤惇夫さんのコラムの切り抜きをふと思い出した。小学校時代からの友人が何故ケニアに住み着いてしまったのだろうか?と、現地に行って。
「…言葉は無用だった。キリマンジャロを背景に、朝靄のサバンナを無数のヌウが歩きはじめ、そこにシマウマや、ゾウの家族が加わり、日の出とともに静かに草を食む姿を見た時、突然、ああこの穏やかな光景こそ、俺たちが小学校の頃から夢見ていた世界だった…」
差別と偏見の人間社会で57年もの歳月を経て、一雄さんが夢みている光景、だ。

捜査機関によって捏造された疑いのある重要な証拠も出てきている。

えん罪はなぜ生まれるのか。
裁判所の役割は何か。

私はあらためて「ブレイブ 勇敢なる者 えん罪弁護士―今村核ー」の録画ビデオを再生した。

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。