図書館長として働いてみる気はないかと、町から打診を受けたのは12月頃だったか。
当時、私は社教センターで日本語講師という仕事に携わっていた。
少しずつ仕事に慣れ、面白くなってきた頃だったし、
小・中・高校教員の免許はあるけれど、司書資格はないということでお断りした。
外国人に日本語を教えるという仕事は、
難しいけれど学ぶことの多い、実にやりがいのある仕事だった。
韓国、中国、ネパール、タイ、モンゴル、英、米、仏、カナダ、、、
さまざまな国の人たちと接する中で、
人はみんな同じなんだということ、
一方で、人はそれぞれに違うのだということをはっきりと知った。
さまざまな異文化との出会いは、私の生き方、考え方に大きな影響を与えたと思う。
図書館は、静かで、暗いところ、勉強する人や本が好きな人が行くところという、
一般的なイメージを変えることができるかもしれないと考えた。
図書館という未知の世界へのチャレンジに心が大きく揺れ始めた。
偶然の出逢いが人生を左右することがある、とつくづく思う。
石川県女子テニス連盟の発足当時、
役員会で隣合わせになった五味さんが「音訳ボランティア」をされていると知った。
視覚障害の方のための録音図書を制作する活動だった。
かねてより「点字」を学びたいと思っていたけれど、なかなか踏み出せなかった私、
五味さんから情報を得て「音訳ボランティア育成講座」を受講した。
福井生まれの私にとって最大の難関は「アクセント」だった。
「音訳」について、「ボランティア」について、身をもって知る貴重な体験だった。
講習会で知り合った若いAさんから、
隣の社教センターで開かれる「日本語講師養成講座」に一緒に申し込もうと誘われた。
日本語を教えるってどんなこと??
私は好奇心一杯だった。
音訳で学んだことも大いに役に立った。
数十時間にわたる講座、試験、面接を経て、実際に講師になれるのは2、3人。
合格者の一人が都合で辞退されたとかで、私は運よく3人目にすべり込んだ。
役員会に出席しなかったら
五味さんと隣り合わせにならなかったら
Aさんに誘われなかったら
そもそも、津幡に引っ越していなかったら、テニスをしていなかったら、
図書館との出会いはなかった。