小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

私と図書館との出会い

図書館長として働いてみる気はないかと、町から打診を受けたのは12月頃だったか。
当時、私は社教センターで日本語講師という仕事に携わっていた。
少しずつ仕事に慣れ、面白くなってきた頃だったし、
小・中・高校教員の免許はあるけれど、司書資格はないということでお断りした。

外国人に日本語を教えるという仕事は、
難しいけれど学ぶことの多い、実にやりがいのある仕事だった。
韓国、中国、ネパール、タイ、モンゴル、英、米、仏、カナダ、、、
さまざまな国の人たちと接する中で、
人はみんな同じなんだということ、
一方で、人はそれぞれに違うのだということをはっきりと知った。

さまざまな異文化との出会いは、私の生き方、考え方に大きな影響を与えたと思う。
図書館は、静かで、暗いところ、勉強する人や本が好きな人が行くところという、
一般的なイメージを変えることができるかもしれないと考えた。
図書館という未知の世界へのチャレンジに心が大きく揺れ始めた。

偶然の出逢いが人生を左右することがある、とつくづく思う。

石川県女子テニス連盟の発足当時、
役員会で隣合わせになった五味さんが「音訳ボランティア」をされていると知った。
視覚障害の方のための録音図書を制作する活動だった。
かねてより「点字」を学びたいと思っていたけれど、なかなか踏み出せなかった私、
五味さんから情報を得て「音訳ボランティア育成講座」を受講した。
福井生まれの私にとって最大の難関は「アクセント」だった。
「音訳」について、「ボランティア」について、身をもって知る貴重な体験だった。

講習会で知り合った若いAさんから、
隣の社教センターで開かれる「日本語講師養成講座」に一緒に申し込もうと誘われた。
日本語を教えるってどんなこと??

私は好奇心一杯だった。
音訳で学んだことも大いに役に立った。
数十時間にわたる講座、試験、面接を経て、実際に講師になれるのは2、3人。
合格者の一人が都合で辞退されたとかで、私は運よく3人目にすべり込んだ。

役員会に出席しなかったら
五味さんと隣り合わせにならなかったら
Aさんに誘われなかったら

そもそも、津幡に引っ越していなかったら、テニスをしていなかったら、

図書館との出会いはなかった。

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。