小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

空と風と星の詩人~尹東柱

「マルモイ」を観て思い出す。。。

☆昨年、ETV「こころの時代」で一人の朝鮮の詩人を知った。
 その名は尹東柱ユン・ドンジュ)、日本名は平沼東柱。
 1942年、父の勧めで日本留学。翌年、同志社大学在学中に治安維持法違反容疑で
 特高により検挙され、福岡刑務所に移送。1945年年2月16日、絶命した。
 半年後の終戦を待たずして獄死した。27歳の短い生涯だった。
 日本での遺稿は無念にも焼却されたらしいが、親友たちによって保管され、
 遺された100余篇の詩は、広く若者たちにも読まれるようになったという。

 図書館でリクエストして、数冊の『空と風と星と詩』関連の本を読んだ。
 美しくも、哀しく、清澄な抒情詩は、時を超え、国を越え、なお生き続ける。

  【星をかぞえる夜】

  季節が移りゆく空には
  秋でいっぱい 満ちています。

  わたしはなんの憂いもなく
  秋の中の星々をみな数えられそうです。

  胸の中の ひとつ ふたつと 刻まれる星々を
  今すべて数えきれないのは
  すぐに朝が来るからで、
  明日の夜が残っているからで、
  まだわたしの青春が尽きていないからです。

  星ひとつに 追憶と
  星ひとつに 愛と
  星ひとつに 寂しさと
  星ひとつに 憧れと
  星ひとつに 詩と
  星ひとつに お母さん、お母さん、

    (中略)

  お母さん、
  そしてあなたは遠く北間島(プッカンド)におられます。
  わたしは何か恋しくて
  この星の光が降る丘の上に
  わたしの名まえの字を書いてみて、
  土でおおってしまいました。

  夜を明かして鳴く虫は
  恥ずかしい名を悲しんでいるからです。

  けれども冬が過ぎて わたしの星にも春が来れば
  墓の上に青い芝草が萌え出るように
  わたしの名まえの字がうずめられた丘の上にも
  誇らしく草が生い繁るでしょう。(1941.11.5 井田泉訳 )

 番組の中で、司祭の井田泉さんは、オモニ、オモニ、とハングルで詩をよんだ。
 ハングルの響きがなんとも言えず深く心にしみた。

☆☆静岡の田代さんが知らせてくださったのは、2月の朝日歌壇(永田和弘選)

〇訪う人もこんなに老いて尹東柱碑にたちのぼる宇治の川霧(大和郡山市)四方護

 2019年、宇治川上流の白虹橋右岸に、抵抗の詩人・尹東柱ユン・ドンジュ)の
 「記憶と和解の碑」が建立された。だが、今の若者たちにとっては、尹東柱
 いってもどんな存在なのか、「記憶と和解の碑」にどんな意味があるのかも
 解るはずは無く、たまに訪れる者が居たとしても、それは行く末短い高齢者ばかり
 なので、これからの日韓関係が余計に心配になる、と、大和郡山市にお住いの
 四方護さんは危惧されて居られるのでありましょう。(略)…

☆☆☆日本語教師をしていた時に出逢った韓国人のキムさんはテニス愛好者である。
 1999年の第3回日韓スポーツ交流に、石川県のテニスチームの一員として
 夫婦で訪問した際には、遠方から家族で応援に駆けつけてくれた。
 2000年の夏には、韓国のテニス仲間と4人「YOU遊オープンテニス大会」に
 交流参加、我が家で二泊三日寝食を共にした。
 2011年の大震災の時は勿論、日本で災害ニュースが流れるたびに、
「お元気ですか。大丈夫ですか。」と安否を尋ねて電話をしてくれる。
 隣国の心やさしい友人に対して、歴史を振り返り、申し訳なさでいっぱいになる
 のだけれど、それは国と国の問題で、一人ひとりの人間と人間は関係ないですよ
 と彼は言ってくれるので、、、なおさら、すみません。

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。