小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

能登のトキの物語&モモイロペリカン

2分37秒~~本州最後の日本産トキの美しくも哀しげな声。
なにか訴えるような「能里(のり)」の鳴き声が響く。
一年前、羽咋市にお住いの村本義雄さんからいただいたCDです。

20年前に利用者のNさんから、「出会いの夕べ」のゲストに
ぜひ村本さんをとのお話があったのに、実現しないままになって、
心の奥でずっと気になっていた方でした。

昨年の4月25日の中日新聞
長年、トキの保護活動に尽力された村本さんが、
野性の生き物を研究している人や、将来、自然保護に熱中する人、
希望者100人に、自著『能登のトキ物語』を贈りたいという記事が
目に飛びこんできました。

私は研究者でもないし、ましてや、将来…の人でもないし、、、
でも、その記事の中の「一冊の本が自分を動かした。」という言葉が
どうしてもひっかかって、数日考えた末に、はじめましてと!と
手紙を書いて、詳しいお話を伺うことができたのです。

一冊の本との出会いが人生を変えたという話はよく耳にしますが、
村本さんの場合は、
能登半島のトキはすでに滅んで、佐渡島にわずかに生息するのみ」
という野鳥図鑑の誤った記載に驚いたこと。
能登半島には、8羽ばかり生き残っているではないかと、
「誰に頼まれたのではないが能登にトキがいることを証明するため、
池の中から頭だけ出して1時間かけて接近し、生態写真を撮った。」

ただただ、トキが生息していることを示したい、という一心で、
周りの人に嘲笑されても、トキの観察、保護活動にのめりこみ、
農薬汚染の害を訴えながら、地域を動かし、国をも動かし、
中国との懸け橋となっていった壮大な感動の物語!
その始まりは一人の鳥が大好きな少年でした。

* ~ * ~ *

現在、日本中国朱鷺保護協会・名誉会長として活躍される村本さん、
先日、一年ぶりにお電話しました。

36年前、村本さんが千里浜海岸で撮影したモモイロペリカンが、
本州唯一の野生個体の記録の可能性が高く、貴重な写真として、
日本鳥類保護連盟の機関紙「私たちの自然」5・6月号に掲載された
という不思議な新聞記事を読んだからです。

4月にお誕生日を迎え、96歳になられた村本さんは、
変わらぬお元気な声で、私の問いに答えてくださいました。

… あれは、海水浴にはまだ早い7月の朝10時頃やったか。
羽咋川の河口の方やった。誰も通らんかった。
変な鳥がいるもんやなぁ~と思った。
羽を広げると2メートルほどもある。
おどかさんように車の中から写真を撮った。
30分ぐらいやったかな。
目の前にあんな鳥が出てきたのはほんとに不思議やった。

専門家に写真を送ったが、本州にいるはずがない、
動物園から逃げ出したんではないかということで終わってしまった。
「つがい」が動物園から逃げるということはない、
迷い鳥ではないかと思ったが、図鑑には出ていなかったし、
そのまま、うやむやになってしまったが、
生きているうちに記録として残ることになってよかった …

今なら、デジカメ、スマホでも簡単に撮影できるけれど、、、。
この記事を読んで、36年前にひょっとして自分以外にも、
あの「つがい」のペリカンを見た!という人が現れるかもしれない、
なにか情報が寄せられたらいいなぁ、と願っていらっしゃいます。

多くの人たち、特に将来を担う子どもたちに鳥に関心を持ってもらいたいと、
情熱をこめて語る村本さんのお話にわくわくしてしまいました。

* ~ * ~ *

能登のトキ物語』(2010.5.15/橋本確文堂)
…本州最後の生息地・能登で、トキはいかに生き、絶えていったのか。
若き日の情熱のすべてをそそいで記録したトキの姿が、ここに蘇る。
能登の空を飛ぶ美しいトキの姿を知る世代の方に、ぜひ思い出してほしい。
知らない世代の方に、今こそ知ってほしい。
50年前の能登では、人とトキが共に暮らしていたことを。(表紙カバーより)

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。