小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

(その四)~光の中を歩む子ら②~

『光の中を歩む子ら』の《手をつなぐ子供たち》に、
友人から招待されて出かけた温泉場でのエピソードがある。

「先生、ここのはけ口で小便していい?」
「こんな所で無作法です。便所へ行ってきなさい」

幸男は裸のまま便所へ行ったのだが、このやりとりが
たまたま入浴中の足利市の盲唖学校の校長、先生方の
耳に入った。

「この二人は単なる先生と児童の関係ではない。
さりとて家庭教師でもないらしい」

宿の主人から事情を聞き、品川さんに面会し、
学校へ招待したのだった。
遠足気分、心はずませ足利市に向った子どもたちだった。

講堂にはヘレンケラー女史の大きな写真、
生徒たちの心尽くしのご馳走が並び、
所々には美しい花が生けられている。

点字や判読や筆記などの熱心な実習、
荒城の月のピアノ演奏をする少女、

「皆さん、お互いに不幸な身の上でありますが、
その不幸を克服して、正しく、強く、朗らかに
勉強しましょう。私達も負けないで勉強いたします」

8歳から20歳までの盲学生たちは、こうして、
戦災孤児たちを歓迎し、慰め励ましてくれたのだった。

「彼等は心と心で握手した」

* * *

この本の初めには、女優、小暮実千代さんの序文が
あります。県内の図書館に所蔵されていなかったり、
この本を手にすることが困難な方のために、
小暮さんの飾らぬ、真心あふれる文を紹介します。

・ ・ ・ ・ ・

「この著書の中に一人の幼い戦災孤児(伊藤幸男さん)
と、私のめぐり逢いが書かれて居ります。私はこの因縁
ごとと申しますか、それをした事を感謝いたします。
 
 とは言うものの私がその当時の伊藤さんにした行為を
はっきり記憶して居りません。
 
 ただこんな事を書くと自慢話に聞えそうで気になる
のですが、私はそうした行為をする癖のようなものを
持って居る事を知って居ります。私がいい事をしたと
言う気持より先に、自分自身するべき事をささやかに
出来た自分自身の心の中まで洗われるような気持に
ほんの一時でもなれる事が何より嬉しいのです。

 そうした反面、幸福に過して居る自分に常に忘れがちな
感謝という気持を思い出させる様にして居ります。

 そういえば御著書にあるように終戦後の有楽町あたりの
戦災孤児、浮浪児の姿や当時大船撮影所へ列車で通って
居りましたが通路で煙草をひろったり列車を寝室に
ねむっていた沢山の子供さん達の悲しい姿によくぶつかり
ました。そんな時お菓子やお金をあげた事がありました。
そんな中に伊藤幸男さんにめぐりあったのかも知れません。

 幼い頃の伊藤さんに対して私がした事がそれ程幼い心を
打ったのでしょうか。

 私は本著を読み、こうした本にあり勝な誇張や固い教訓
めいたものがなく、光を求め乍ら不幸な幼い者達を美しい
魂の人々に育ててゆく愛情の記録が明るく淡々と物語られ
てゆく内容に心を打たれました。

 暗い重い悲しい運命をはね返しながら、若草のように
ぐんぐん育ってゆく姿の記録が目にしみる様です。誰でも
この御本を読む人は人間の可能性を読み取る事ができるで
しょう。あの有楽町の戦災孤児、浮浪児群の中から、今日
の伊藤さんを育てあげられた物語は、私は奇蹟の一つに
見えます。

 私は今伊藤さんと文通して居ります。そうして私は伊藤
さんの母の代わりになる事を約束致しました。私は日本の
映画の話を伊藤さんはアメリカの生活をお互いに交換して
居ります。

 この御本がより多くの世の親達に、又青少年達により
多く読まれる事を念じております。」

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。