小納弘先生の思い出が、
隣町の村中さんとの糸をむすんでくださって、
その三日後のことでした。
12月10日の中日新聞の《くらしの作文》に
村中さんの投稿文が掲載されていました。
タイトルは「愛車」。
先日、私は愛車ヴィッツと別れたばかり、
不思議なご縁を感じて読み始めて
思わず息をのみました。
愛車といってもいろんな愛車がある!
* * *
《みなさん、「愛車」と聞くと、自動車と思うでしょう。
ところが、おっとと、その愛車に乗っていたけれど、
平成四年から仕方なく乗り換えて、長くながくお世話に
なっているのが、今の愛車、車いすです。…》
ぞっとするような自動車のもらい事故で、
車いすに厄介になり29年、今は七代目とか。
この車いすで外に出た時
にわか雨でびしょぬれになって…
《…車いすに済まぬすまぬの思いだった。こうして長い人生、
車いすともいろんなことがあった。これからも大切に愛用
するのでよろしくね。》
84歳とは思えない明快な電話のお声からは、
全く想像しなかった村中さんの人生です。
小納先生は「石川作文の会」に所属され、
作文を通して子どもたちを見つめられたという。
村中さんの温かな言葉、ユーモアのセンスには、
そんな先生の影響もあるのかもしれません。
* * *
『べったん横丁のおれ』、時代は昭和14年。
日中戦争を背景に、西宮の人情あふれた人たちの姿が
生き生きと描かれています。
ところで、「べったん」って?
「べったん」というのは、メンコのことですって。
私の生まれ育った所では、「ぱっしん」。
近所の子どもたちが一緒になって遊んだ。
腕を振り下ろすには力だけでなく、コツが要る。
強い「ぱっしん」を作る秘けつは、油をしみ込ませる!
かくれんぼ、ビー玉、石けり、、、
家の前の商店街の道路は、
時々、自転車や荷馬車が通った。
大きい子も小さな子も、男の子も、女の子も、
わがもの顔で、日が暮れるまで遊んだっけ。
* * *
主人公の五年生の二郎が、
「ぼく」から「おれ」になったのは、
出征するだいじな人を見送った時。
私は、中学校に通うようになった日、
「わち」から「わたし」になった。
そんな細かなきもちまで蘇らせてくれた本。
(小納弘さんは西宮市生まれ。太平洋戦争末期、両親の故郷の加賀市に疎開され、終戦後まもなく小中学校の教員になられたそうです。)