小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

能登からの通信

巣作りに余念がない若いスズメたち。
今年も、テニスコートを見わたすパーゴラの錆びた鉄骨の四方の穴に、
カップルたちが出たり入ったりしている。
鶯の声も竹藪あたりから聞こえる。

ウグイスって若草色でしょ?
それはね、メジロ!、、、ブログで学んだ私は自慢げに言う。
凍えたメジロを手のひらにのせた感触も残っている。

転がったボールを拾って、ふと見上げると、
山の斜面の木の梢に小さな鳥が
ツィ-とやってきて、「ヶキョ」

あ、ウグイス!
ほんとだ~、
ほんと、スズメとは違うね。
まだじょうずじゃないねぇ。

ゲームはひとまず休止、
バードウォッチングタイムとなった。

~ ・ ~ ・ ~

あれからちょうど一週間。
今日は太陽の周りに
くっきりと美しい「ハロ」

虹みたいね~
天気が下り坂になるらしい。
明日は雨かも~

ちょっぴり上達した鶯の声ものどかに響いている。
またあの梢にこないかなと気になって、ちらり、ちらり。
青空の下、ゆっくり流れる穏やかな時間…
ふっと心が緩む。。。ありがたい。

* * *

ウクライナのニュースがあまりにつらくて
もうテレビをつけることさえできないと
心やさしい友人が嘆いている。
私もよ、私もつらくてたまらない。

ロシアのウクライナ侵攻から2ヵ月、
ウクライナの民間人犠牲者は2万4000人を上回り、
兵士の戦死者は3千人。

一人ひとりの命がみるみる数字に置き換えられていく。
人間の狂気の果てを目にしながら、
止める手だてがないという現実に苦しくなる。

* * *

3月24日、輪島市の藤平朝雄さんからお便りが届いた。
能登半島広域観光協会相談役、石川県観光スペシャルガイド、ほっと石川観光マイスターとして、精力的に活躍されているご様子に私も元気を頂く。その名も《気まぐれ通信 93》、A4で12頁に及ぶ。輪島塗師の洒落文芸「段駄羅」の特集も興味深く読ませていただいた。
「早朝朦朧記」(3/18記)の一枚が添付されていた。毎日おおむね21時頃に就寝、3時ごろ起床とのこと。藤平さんから快諾を頂いたので、私のできること!として、その一部を紹介したい。

~ ・ ~ ・ ~

 信じ難い悲しい戦火の日々が続いている―ウクライナの惨事。私のように溜息をつくだけで、無力を感じるばかりではどうにもなりません。今、わずかでも自分で出来ることって何だろう?
 一方的に難癖をつけ、かつて兄弟国だったウクライナに武力で侵略中の大国ロシア。すでに三週間になる。日を追うごとに無差別な大量破壊と殺戮を拡大し続けている。その主犯者がプーチン。核の使用もありうると、脅しをかける1人の狂人の悪行が世界中を震撼させている。その間にも、ウクライナ国民の悲劇は波状的に増拡大するばかりだ。
 侵攻直後のこと。難病で長期に及ぶ闘病生活をしてきた神奈川県に住む友人から、悲憤の思いを伝えてきた。人道的にも許されない歴史的巨悪…と。友は長年にわたって世界の平和や人権の尊重を継続的に訴えてきた。ロシアによる侵略行為をいち早く指摘した友人は、詩を書く仲間らと共にこの問題に対する活動をすでに始めているに違いない。人類の進化発展に大きく貢献できるはずのIT時代・グローバル社会というのに、一国の暴君のチカラによる理不尽な暴挙がまかり通っているのが、まぎれもない現実なのだ。悲しくてやりきれない…では済まされない。
 プーチン習近平金正恩。独裁者が統治する三国の共通項に、国民が真実を知らされない報道システムがある。あるいは知っていても、すでに声を出せない国風になっているのだろう。国家による報道の制御コントロールで、独裁者たちは国民をだなし続けているのだ。(後略)

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二週間前にいただいた能天朦朧記【繰り返す人の身の罪】も紹介したい。

… 耄碌語りの幻想です。歴史は何度でも繰り替えすものですね。私には朧げにしかわかりませんが、古今の世界&日本の歴史は「経済と戦争」によって引き起こされているように思えてなりません。対照的な「文化と平和」は、その隙間に踊り出るような気がしてなりません。昭和前期から終戦まで日本もロシアと同じようなことをやってきたのですから。
 不条理な侵略の犠牲になって、路上に市民が野ざらしになって放置されている光景は、阿鼻叫喚とでもいうのでしょうか。目を覆うばかりのウクライナ国の惨事が、これからも悲惨さを増幅させていきそうな感じが拭えません。世界の頂点に立つ国々が、金銭や兵器よりも大きな支援の仕方があるのを知っていながら、踏み出さずにいるのが残念です。
 どんな背景があるのか分かりませんが、私がつとに惹かれた人の詠んだ「墓石の列に雨降る見ればむらむらと人の身の罪おもほゆるかも」の歌を、いま思い浮かべています。1900年生まれの歌人は、すでに半世紀前に居住地を鬼籍に移しています。
 細くて長~い、有り難いご縁を頂いている○○さまのお便りから、今朝ほど思いの一片を綴らせていただきました。…

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。