小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

陽の光を浴びられない子とその家族

国会中継を観ていたら、答弁の薄っぺらい言葉に、頭の中がショートしそうで熱くなってきました。お喋りしたいです。どなたか救いの手を!コロナに注意しながらランチはいかが~☆

こ~んな素敵なお誘いには勿論、気心知れたみんなが大賛成!!
アクリル板の仕切り越しに、久しぶりのお食事会です。
飲み物、デザート付きのランチ、そしてお喋り…
夫たちの噂や思い出話、食べ物のあれこれ、新体操の紹介、理不尽な国葬、、、
肌寒い雨の日でしたが、身も心も充たされた2時間でした。

***

食事会、買い物から戻り、「ミヤネ屋」のチャンネルを入れると統一協会(教会)の問題は既に終わっていて、テレビ画面には、砂浜で遊ぶ5人、、、
あ、「海陽(うみひ)」くんの家族!です。

~・~・~

ちょうど一週間前の深夜でした。
「陽の光を浴びられない男の子」のNNNドキュメントがありました。
太陽が沈んで暗くなって誰もいない公園で楽しそうに遊ぶ家族…。
胸打たれ、深く考えさせられた番組でした。

3人きょうだいの末っ子の海陽くんは、生まれて2ヵ月で難病の宣告を受けました。
「色素性乾皮症」という病気です。太陽に少しでもあたると、火傷のようになり膿んでなかなか治りません。それで、外へ出る時は日光を遮断する防御服が欠かせません。市販されていないのでお母さんの手作りです。車には特殊フィルムを貼り、手も足も露出しないように注意します。

でも、太陽を浴びない生活を続けても、6歳頃から必ず身体機能の低下が始まり、脳の萎縮が進行し、20歳頃までしか生きられないということでした。海陽くんが生まれて、初めて知った遺伝性の病気。治療法はまだ見つかっていないそうです。父親は、遺伝子治療の研究をしている全国の大学、病院を訪ねますが、薬の開発には莫大な費用と膨大な時間、、、治療の手だてがないという厳しい現実を知りますが、しかし、若い両親は、海陽くんのために何かをしなきゃ、できることを全力でやろうと立ち上がります。

「どんどん世の中へ出してあげたいな。
奇跡を待つのは嫌なので、
動いたパパとママでいたくて…」

今住んでいる浜松市すべての人に海陽くんのことを知ってほしい、多くの人に知ってもらって、治療につながる道を探そうと決意します。そして、今、海陽くんには友だちと遊ぶ時間もだいじかもしれない。そう考えて幼稚園を訪ねた両親に、「この子がいるからこそ学べることが他のお友だちにもたくさんある…」と園長先生。

二年後に受け入れてくれることになった園の子どもたちの前で、母親は1歳6ヵ月になった海陽くんの病気のことを話します。
「おとうさん、おかあさん、おにいさんやおねえさん、海陽のことをしらないおともだちにも、おはなししてほしい。」
父親も語りかけます。海陽くんを抱きながらこどもたちと一緒にかけっこもします。

 

海を照らす太陽のように輝く人になってほしい、
そんな願いを込めて名付けられた「海陽」。

その名前に更に深遠なる意味を感じずにはいられませんでした。

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。