あったらいいな~、ありますように~
確かめたいことがあって、福音館書店の『母の友』1987年7月号を
二階の押し入れへ探しに行った。
スチール棚に古い順に並んでいる。
友人が一年分を贈ってくれて
それ以来、継続して購読していた~おかあさんとともに歩む雑誌~
『母の友』
我が家の一冊目は、1973年2月発行の第237号。
表紙にも、本の中にも、一筆書きのような”楽”がきがある。
たぶん一歳だった真ん中の娘のお絵描きだ。
4ページ、5ページの〈こどものひろば〉にも、
不思議なぐじゅぐじゅ絵がある。
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〈こどものひろば〉はお母さんがキャッチした声の記録。
「オシッコ」 ざんまよしゆき(三才)
はなのまえで
オシッコしたら
あなぼこに はいったの
ギザギザ虫が
スットンと おちた
オシッコと いっしょに
きえちゃった
「おかあさんがおこると」 いとうこう(2才)
ぼく
こおちゃって
とけちゃう
きもち
が
するよ
添えられた東君平さんの絵も実にユーモラス。
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〈シルクロード点描~砂漠と大河の人びと〉は、『アレクセイの泉』の本橋成一さん撮影&文。アフガニスタンの砂漠の村では雨が降るまでじっと待ち、小さな井戸で水を汲む。刺ある草を食べられる羊がいることで生息できる人間、砂漠で唯一のその草を羊飼いの少年たちが集めている。人間本来の生きるという真剣な行為を捉えています。
『わが存在の底点から~富士公害と私』(甲田寿彦/大和書房)の書評を国分一太郎さんが書いている。4ページに及ぶ解説により、富士公害についての概要を知った。
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大畑京子さんの手記〈食品公害とわたくし~”生きる”ということを考えつづけて〉にも心動かされます。森永ミルクは食品公害の第一号、厚生省は企業の味方…森永製品不買運動に協力しているいきさつをあの頃よりもより深く理解でき、ごく少量の添加物でも長期間接種する危険についての指摘。
被害児のお父さんからの砒素ミルクの中毒症状を訴える写真と文のパネルを市民文化祭に出品したところ、公民館の趣旨に反するので他でと言われ、文化活動とは何か、公共施設のあり方について深く考えさせられたそうです。
”食品公害の私のたたかい”は食品公害にとどまるものでなく、妻、母、女である以上に、一人の人間として生きるための私自身のたたかいである」と大畑さん。
当時、百円+送料20円、110ページのささやかな冊子が
社会へ踏み出すための扉を開け放っていたことをあらためて思います。
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ついつい読み込んでしまって、、、
私の探している七月号は?と、見当をつけて引っぱり出したら
1982年7月号、〈350号記念 特集・手記〉
目次を見た途端、私は胸があつくなりました。
10人のおかあさんの中に、なんと、細川律子さんの手記があったのです。
しかも、タイトルは《息子のどもり》
実は私もまったく同じような体験をしていたのです。
3才離れた弟が生まれ半年近くたった頃、次女が吃音になり、大学病院のことばの治療室へ通ったことがありました。夫婦で問診を受けたことを思い出しました。律子さんの手記にもあるように「治療を受けるのは母親」でした。心がけることは、思う存分、子どもに甘えさせること、よい聞き役になること…あの頃の未熟な自分を再び思い出します…今でも未熟な私…子や孫に教えられている私。
「…思えば、彼の「どもり」は未熟なる私への警報であり、ことばの治療教室は、私の心を開いてくれた病院でもあった。子ども達を育てているつもりが、未熟な親は育てられているのである。私は現在、長男に感謝して暮らしている。そしてこれからも、子ども達からいろいろなことを学んで生きていくことだろう。」(ほそかわりつこ/石川県七尾市在住)
律子さんが三人のお子さんを抱くように立っていらっしゃる写真もありました。
子育てに懸命だった頃の私たち、でしたね。
~☆~☆~☆~
細川さんとは、小さな図書館がオープンした1996年、水野スウさんの紹介で出逢って、図書館でのはじめての「おはなし会」を引き受けてくださってからのおつき合い。その頃には隣町のかほく市にお住まいでした。
☆著者との集い《第4回 出会いの夕べ~宮沢賢治の国より~》
☆読書会《宮沢賢治を読むつどい》の案内人
☆秋には樹木に囲まれて森林公園で《どんぐりころころお話会》
「あなたと私/センス・オブ・ワンダーの仲間たち」の一員となって、小さな図書館を育てることに尽力くださって、現在もシグナスの図書館で、読書会、どんぐりころころお話会は続いています。