小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

飯塚事件の30年

駅の無人化反対訴訟の弁護士さん……
私ははっとしました。
あの「飯塚事件弁護団」の代表、徳田靖之弁護士!

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お正月の帰省客がないせいで、
年末からお正月は、読書三昧、
自由気ままな時間でした。

テレビも観ました。
「鎌倉殿の13人」総集編
「ロックが壊した冷戦の壁」「松本清張帝銀事件」、、、

そして、3時間にも及ぶ3部構成の長編ドキュメンタリー
「正義の行方~飯塚事件~30年後の迷宮」

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1992年に起きた「飯塚事件」は
当時、九州では大きく報道されたそうですが、
私たちはその事件の概要をほとんど知りませんでした。

【1992年2月、福岡県飯塚市の女児2人が殺害された「飯塚事件」。逮捕・起訴された久間三千年元死刑囚は、最高裁で死刑が確定し2008年10月28日に執行された。遺族は死刑執行の1年後に再審を申し立て、11年半におよぶ審理の末、訴えは最高裁で棄却。遺族は去年7月、ふたたび再審を請求した。事件から30年が経過した今も遺族や弁護団の“闘い”は続いている。死刑執行後の異例の再審請求。飯塚事件を検証する。】


*最後まで無実を訴え、決定的証拠、自白がない中で
状況証拠をもとに死刑判決が下された。

*しかも、なぜか異例とも思える速さで執行された。

*警察と妻との言い分は大きく違っている。
初めから犯人扱いされていた。

*証拠とされたDNA鑑定の問題点も明らかになった。

*鑑定結果について、捜査の妨害になっては困ると
警察幹部からの圧力ともとられかねない要請があったという証言も。

あまりの衝撃的な展開に息を呑むばかりでした。

幹部とは、、、
國松孝次警察庁刑事局

番組は、元西日本新聞の記者、弁護士、福岡県警元捜査員、久間三千年死刑囚の妻、大阪府警科学捜査研究所元所長、DNA鑑定を行った教授、、、、当事者たちの言い分を対比させ、法医学教授の意見を交えながら事件を検証していきます。

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もしや、えん罪では?

傍示(かたみ)文昭編集局長の指揮のもと、
検証の新聞連載は2年、83回に及んだといいます。
事件の検証に動いた元西日本新聞記者たち(宮崎昌治、中島邦之、中原興兵)の発言がリアルでした。

傍示さんのインタビュー記事を見つけました。
《ジャーナリズムの使命を胸に、地域のための報道を》
「新聞にはジャーナリズムとしての使命がある。権力に迎合せず不正を見逃さない。客観的視点を持ち、素晴らしい点は称賛し、正すべき点はきっちり指摘する。当たり前のことですが、それが我々ジャーナリズムの役割だと思っています」


「全国的には“埋もれた事件”。番組をきっかけに、自ら事件を調べ、司法の判断や死刑について考えてみようという動きを喜ばしく思っている」これは、番組ディレクターの木寺一孝さんの言葉です。


真実を追うジャーナリストたちの不屈の魂の存在に
私は大きな希望を見出しました。

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同時によみがえるのは、あの発言。
法務大臣になって3ヵ月がたつが、だいたい法務大臣というのは、朝、死刑のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職だ」「外務省と法務省は票とお金に縁がない。法務大臣になってもお金は集まらない。なかなか票も入らない」

2008年~2009年、9人の死刑執行命令に判を押したのは?
麻生太郎内閣のもと任命された森英介法相。
二世議員、11期連続当選、その経歴、華麗なる親族、、、
クモの巣状の政治にため息つくばかりです。

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最高裁は再審の申し立てを棄却した。

弁護団による200ページの主張に対し、届いたのは6ページの書面だった。一人の命を国家が奪ったかもしれないという事件を判断するにあたってこの程度しか示せないのかと、弁護団は抗議する。

 

無辜のいのちだった。
迅速に再審請求に着手していれば…とさいなまれ
岩田務主任弁護人と共に、第2次再審請求に着手した徳田靖之弁護士。

『死刑執行された冤罪・飯塚事件 久間三千年さんの無罪を求める」(現代人文社)が出版されています。

 

⁂県内では石川県立図書館のみ所蔵。
皆さまの近くの図書館ではどうでしょうか。

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。