小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

国民の、国民による、国民のための政治を

新日本紀行/波濤の太鼓〜奥能登・外浦〜」(昭和46年/1971年)の再放送があった。登場するのは、厳しい能登の地で実直に素朴にたくましく生きる人たち…田の神様を迎える農家、輪島塗の職人さん、御陣乗太鼓を打つ男たち、千枚田を開墾する人たち、荒れた海岸で岩ノリを採る女たち。にぎわう輪島の朝市では、絵本「あさいち」そのままのおばちゃんたちが店を開いていた。


心温まる能登の光景に
今の能登の状況を重ね
なおさらに心が痛む。

 

地震から5カ月、ようやく「輪島朝市の公費解体が加速、自治体判断で実行可能」の方針が明らかにされ、これまで手つかずのままだった解体作業が5日から始まったようだ。

こんな中で、国政を担う議員たちは?といえば、自民党の裏金事件に端を発した法案の審議。しぶしぶ3度も修正という無駄な時間を費やした自民党案が、公明党日本維新の会の賛成で可決された。


今日の中日新聞コラムで、ジャーナリストの北丸雄二さんは、この「改正案」は現行の裏金を別の裏金に衣替えさせるだけの「悪知恵の集大成」と言い放つ。


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前々日の「発言」欄に、羽咋市山辺芳宣さん(83歳)の投稿文があった。

☆政治資金規制法改正案は、最終的に「パーティ券購入者名の公開基準額を2027年より20万円超から5万円超に引き下げる」「政策活動費の領収書を10年後に公開」などとして国会に提出された。スピード感が要求される時代に何とのんびりした案か。

 国政の政治理念として「国民の、国民による、国民のための政治」を行うのが本来の姿だと思うが国民が自然災害や物価高に泣いている時にこれでは「自分の、自分による、自分のための政治」としか思えない。

 このままでは日本の将来はないと思う。~(中略)~老人の考え過ぎかもしれないが、日本の将来を真剣に考えなければいけないと思う。その判断は有権者の肩にかかっていることを忘れないでほしい。☆

羽咋市長を3期務められ、信望厚い方だった。私たちの思いを代弁した投稿文である。

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NHKBS「国際報道 2024」では、先進地イタリアの《命と健康を守る避難所》のレポートがあった。

能登半島地震から5か月。被災地ではいまも体育館などでの避難生活を余儀なくされている人たちがいる。避難所で体調を崩して亡くなった人など災害関連死として認定された人は30人にのぼる。こうした中、日本の専門家たちが注目するのがイタリア。災害が発生すると、温かい食事などが速やかに提供されるボランティアの仕組みを作り上げてきた。栗原キャスターが現地を取材。災害列島・日本に求められる
のはなにか~(番組案内より)


イタリアのアマトリーチェでは、8年前、マグニチュード6.0の地震で多くの建物が崩壊して、239人の犠牲者が出た。

町にはすぐに避難所が設置され、翌日はサンドイッチなどの冷たい食事しか提供できなかったが、二日目からは全ての人に温かい食事が用意されたという。

「すぐに簡易トイレが届き、その後すぐにトイレ、シャワーも使えるようになり、お湯も出た。小さな薬局もつくられていて薬も手に入った。」と、避難所に身を寄せた人が語る。


私は、自分がその立場になったなら、体育館で雑魚寝もいたしかたない、我慢するしかない、ぐらいに思っていた。イタリアと日本、どうしてこうも違うのだろうか。


☆~BS「国際報道」の覚え書きメモ~☆

1000人規模のボランティアの
訓練の様子に衝撃を受けた。


大きなトラックから次々に
テントや大量の資材が下ろされ
給水車や発電機も持ち込まれる。

テント、トイレ、キッチンは
100人でかかれば1日で完成。

24時間以内に食事を提供できる。
アレルギーや高齢者、宗教上の理由で
食べられない人への対応もなされる。

キッチンの責任者は
「大災害にあった人の心の慰め
安らぎとなるのが、まず食事。
温かい食べ物は体だけでなく、
心も温めてくれる」と語る。


日本のように、
水や料理を求めて、列になって
並ばなくてもいいようにと
細やかな配慮もなされていた。


水道、電気、通信、…さまざまな分野から仕事や専門性を生かしたプロも参加。専門性に応じさまざまな育成コースがあり、技術を習得すると同時に、テントで寝泊まりを体験することで被災者の置かれる環境を知り、その大変さを理解することができるという。


イタリアも災害の多い国。過去の反省を生かして、災害専門の国の機関として「市民保護局」を設立。一貫して対応にあたる。

・必要な資材を全国の拠点に備蓄。すぐに持ち出せる状態で保管。
・更に、災害時に消防や軍など、「いつまでに」「何をするべきか」を定めたガイドラインがある。
・発災後、12時間以内にチームを現地に向かわせる
・24時間以内に食事を提供する。
・倉庫には、250人を収容する資材セットが80個。災害発生後数時間で、2万人を収容することができる。

日本では、個々のボランティアが支える形だが、イタリアではボランティア団体(全国におよそ30万人、大きな団体が複数)を派遣。若い世代も多く、保育士、カウンセラーなど、専門性の高い人たちも協力、ボランティアの層が厚い。ボランティアに対する国民の信頼は非常に厚く、尊敬を集める存在となっている。


そのためにも、国は移動の実費を負担し
社員が出動した企業には金銭的な補助をする。


栗原キャスターの印象に残ったのは「ベネッセレ」(精神的な健康、快適さ)を生むこと。より良い環境をめざして、常に改善が続けられているらしい。

「イタリアでは、“災害による苦しみはすぐに取り除くことはできないが、それ以外のストレスからは被災者を守ろう”という考え方が広く共有されている」という。

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日本は、これまでに
地震、台風、洪水の大災害に
何度も襲われている。

イタリア以上に
深刻な災害列島であるにも関わらず、
《命と健康を守る避難所》の視点では
はるかに後進国だったのだ。

能登半島地震では
過去の経験がまったく生かされていなかった。


私利私欲ばかりの議員たちでは
国の将来を真剣に考えるはずもない。
このことは、
経済界のリーダーたちにも
おおいに責任があるのではないかと思うが。

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。