小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

『主よ、いつまでですかー無実の死刑囚・袴田巌獄中書簡』③

袴田さんのお名前

「巌」と「巖」がふと気になって図書館で調べてみました。

巖は旧字体とのこと。「巌」の意味は、大きな岩石、(嶮峻な)がけ、高く突き出た大きな岩、深い、高い、嶮しい、などでした。苦闘の人生、不屈の魂、気高い精神…まさしく袴田さんらしいお名前に思えました。


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⁂1966年(昭和41年)30歳

6月30日事件発生、8月18日逮捕、9月6日 自供


⁂1975年(昭和50年)39歳

~(12月)~

 兄上様。
 皆様お元気のことと存じます。
 捜査陣は、取り調べの中で私のパジャマに油と被害者の血が付いているなどと嘘を言い、果ては鑑定書まで突き付けて、これがあるから認めるまではここを出さないとか、逃げられないなどと、事実でないことを強いた。まったく滅茶苦茶な調べを行ったのである。このような取り調べに耐えきれず、私は公正な裁判を受けてこれらの濡れぎぬを晴らす以外に、本件においては真実が勝つ方法はないと決心した。公正な裁判において、弁護士の手で事件を究明してもらい、自分の潔白を立証するしか道はない。取り調べ当時私の健康状態は極めて悪く、この状態では私自身の生命をも守ることは困難であったのだ。右の理由からやむを得ず、先ずは、清水警察の手から逃れることが急務であった。私は天地神明に誓って、本件の真犯人ではない。私が捜査陣の意のままに従ったのは、おのが生命を守るために、やむを得なかったのだ。……


~(12/15)~

 兄上様。
 私は今日、自分の不遇な半生を悔む気持ちは薄い。なぜなら、私の身体は鍛えれば使えるからだ。この意味で前途は洋々としている。自分の実力次第で、どのようにも社会に進出することができる。このことを充分に承知している。だから私は勝負師として、人の道を今こそ真剣に学んでおかなければならないのだ。人とは、自分を失ってはならない。さて肩から胸のあたりを、私は愛撫するように何度も掌で這わせてみた。すると、自分の肩に、ずっしりと重い災厄の荷を背負わされた自分がいとおしくて、思わず目頭が熱くうるんでくる。法を犯した捜査陣は、当審で全敗するだろう。……


⁂1980年(昭和55年)44歳

~(5/13)~

 死刑囚にデッチ上げられてから間もなく13年目に入ろうとしている。
 警察官の物的証拠によって逮捕され、静岡県清水市の警察内の密室で極めて悪辣な拷問を連日連夜うけた。そして知らぬ間に、いわゆる自白調書と当局がいうものが捻出された。この間、私はほとんど自己を喪失させられていたことが後で分かった。ただただ、密室内で死を強制され、またしばしば殺されるのではないかという疑念と確信みたいなものが迫って来たのをおぼろげながら覚えている。死刑を宣告されてから、私は間もなく東京拘置所に移された。そこには確定囚が20人程と未決囚が20数人いた。……

 死刑囚という言葉がまるで他人ごとであった昔は、それはたんに死ぬる人、という意味でしかなかった。そしてそれは、あたかも不断に巡りくる生と死の普通の法則そのものとしていて漠然と理解していたのである。……

 殺人者に対する応報は絞首刑であるという考えは人間として間違っていないだろうか?私はこの死刑囚という特殊な境遇にデッチ上げによりおかれ、初めて死刑の残虐のなんたるかを熟知した。……


⁂1981年(昭和56年)45歳

~(5/6)~

 良心は無実の人間のいのちを守る唯一の声である。暗く苦しい夜が長ければ長いほど、、ひときわ声高く響く良心の声よ。暗鬱と悲痛と憤怒の錯綜した獄中14年有余、私を支えたのはその声だ。鶏よ、鳴け、私の闇夜は明るくなった。鶏よ、早く鳴け、夜がゆっくり開け始めている。


~(11/29)~
 
 姉上様
 今朝は大変に冷込みを感ずる。私は早くも凍傷に悩まされている。これも長い拘禁のため体質が一種異常になっているのであろう。
 ラジオがはいった。午前九時です。例の番組だ。「楽しい日曜日の今朝、いかがお過ごしですか」とロイ・ジェームスが言っております。今日の東拘監獄には、恐らく二千人位は監禁されてこのラジオを聞いているだろう。彼らの中に楽しい日曜と心から思っている者は皆無であろう。私自身場違いな言葉を聞かされ腹立ちを覚える。
 
 自由という言葉ほど懐かしく眩しいものはまたとない。私は15年有余の権力犯罪の誤った監禁そのものから学んだ。そこには何時も私が自由であるということだけで、周囲の誤った既存の秩序をただすことも可能と思われるし、また権利もある。何より人道的に正しい秩序を打ち立てる権利がある。そして、すべての真理を探究する努力も自由である。また、この身にふりかけられた火の粉も、激烈な社会正義の情熱をもって打ち落とすこともできる。実に真犯人を示すためのめくるめく行動が得られる。

 私が獄中生活で学ばざるを得なかった「自由」というものは、このような痛烈な無念さと一種の眩しさをもっている。私はあらためて自らに質問しつづけている。お前は罪のない身でありながら、いつになったら自由を取り戻せるのか?ああ、もはや45歳という年にもかかわらず、私は明日だと答えることができぬ。何が私をして「明日」だと堂々と答えさせなくさせているのか。何が私の自由を凶暴に踏みにじっているのか。……


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この「自由」を取り戻すには
それから43年もかかったのでした。

一、二、三審で
反則KOされながらも立ち上がり
正義の闘いを続けた58年間。
魂の叫びと祈りが胸に迫ります。


(下記ブログに図書館の所蔵状況など記しました)

https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2023/11/11/231315
https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2023/11/12/233247

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憲法との関連など、興味深い記事がありました。

☆第351回 袴田事件 / 伊藤真さんの「塾長雑感」
https://www.itojuku.co.jp/jukucho_zakkan/articles/20241001.html

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。