私はこの番組を見るまで、貝澤正さんについては何も知りませんでした。
1997年の二風谷ダム裁判判決のことも、新聞等で見ていたはずですが
恥ずかしいのですがほとんど記憶に残っていないのです。
1996年は小さな図書館が開館した年。
いくら目の前の仕事に専念していたとはいえ……。
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ある本がきっかけで、私は美空ひばりさんのことが知りたくなって、日本図書センター発行の「人間の記録」シリーズの一冊を手にして、それがまたきっかけとなって『中村メイコ』『淡谷のり子』『山田五十鈴』『杉村春子』『水谷八重子』『丸木俊』と女性陣が続き、男性陣のトップバッターとしてふと手にしたのが、
『萱野茂 /アイヌの里 二風谷に生きて』(2005年)でした。
アイヌ民族で初めての国会議員となり国会でアイヌ語で質問、アイヌ復権を求めて「アイヌ文化振興法」の成立に力を尽くしたり、アイヌ語辞典を刊行した萱野茂さん。
「目の前から、アイヌ語が、物が、生活文化が、
跡形もなく消えていっていいと思うのかい…ひとつの民族文化、
特に言葉というものは、一朝一夕で形成されるものではなく、
今のわれわれには想像もできないくらい長い年月を経て、
それぞれの民族がお互いの意志を伝達しあうために言葉はつくられたんだよ…」
ある先生のこの言葉がきっかけとなって
民族意識に目覚めたと書かれていました。
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貝澤さんは、日本人になるべく希望を抱いて、28歳のとき「五族協和」を掲げる満蒙開拓団に加わった。しかし、その開拓団が中国人、朝鮮人、そしてアイヌをも差別するという矛盾に失望して、人間として人間を見た時にがっかりした、こんな風にはなりたくないと三ヵ月後に退団、一度は捨てたアイヌのアイデンティティに立ち返り、民族復権のリーダーとなっていったと番組で知りました。
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亡くなられた翌年の1993年に出版された
遺稿集『アイヌ わが人生』(貝澤正/岩波書店)は
胸に迫る一冊でした。
あの「夕暮」は、18歳のとき
北海道アイヌ協会の機関誌に投稿したもの。
同じ年、所収されている現行保護法批判の一文は
「…速やかに撤廃されん事を希望するのであります。私のやうな乳臭い青年が斯んな事を申して、甚だ失礼でありますが、同族愛護の念已まんとして已む能はず、茲に此一篇を草して公にする次第であります。」と結ぶ「土人保護施設改正について」です。
・「北海道収用委員会における貝澤正の申立て」は75歳
・「三井物産株式会社社長への訴え」は78歳の直訴
・写真家・北川大さんによるロングインタビュー
・葬式にて配布されたという『私の想い 一アイヌの声』
貝澤さんのいい笑顔、あの声を、リアルに感じながら読めるのは、番組のおかげです。
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巻末には姫田忠義さんの解説文(13ページ)があります。
「痛切にして繊細な知性の人、貝澤正」
「この本はただ単なる追憶の書ではない、アイヌエカシ(長老)の生命の証しの書。
正エカシの言葉が、諄々と、そして痛烈に、民族差別、環境破壊を告発する。」
さまざまな圧力の中、父の遺志を引き継ぎ、二風谷ダム裁判の原告人として
国を相手どった耕一さんは、どれほど大変だったことか。
「息子にはそんな重荷をしょわす必要はない。
子どもに親のことを押しつけるのは私の代で終わりにしたい。」
こんな言葉からもひしひしと伝わってきます。
1993年発行のもの、2010年発行の「岩波人文書セレクション」の新版の二冊。
どちらも耕一さんによる感動的な【あとがき】がありますが、新版には「あれから二十年」7ページが追記されています。
☆県立図書館、金沢市、野々市市、羽咋市、中能登町、北陸学院大学、金沢大学のみ新版も所蔵。私は相互貸借で一回目に新版、二回目に旧版を読みました。
(袴田巌さんの本と同様、地元の図書館にぜひほしい本です)
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ネットに興味深い記事がありました。
☆「二風谷ダムプロジェクト」
(アイヌ民族とニ風谷ダム問題)九州芸術工科大学 知足院美加子(彫刻家)
ttps://www.design.kyushu-u.ac.jp/~tomotari/nibutanireport.html
「貝澤耕一氏講演」のテープ起こしがあります。
☆二風谷で残す、北海道の原風景とアイヌ文化。
https://www.evolove.life/sky/vol11.html
太一さんのインタビュー記事です。