小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

ふたりのために「365日の献立日記」

26年半に及ぶという沢村貞子さんの「365日の献立日記」は
鈴木保奈美さんのナレーションで再現される人気の5分間番組。
夫・大橋恭彦のためにかいがいしく台所に立つ沢村さんが浮かぶ。
私には真似できそうにないけれど、ヒントになるものがいっぱいある。。

一昨日は「フェンス―タン/粉絲湯」(昭和41年5月9日)
春雨スープの料理だと知った。


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先日、『小林多喜二』関連本数冊を返却したあと
気分転換にと手にしたのは
『この命、何をあくせく』(城山三郎/2002/講談社)だった。

帯には、人生の喜びと哀しみを知り尽くした
珠玉のエッセイ36篇、とあって

 

その中の一篇には

佐高信著『葬送譜』(2000/岩波書店)からの引用で、淡谷のり子、沢村貞子などが
紹介されていたのだが、なんと「治安維持法」が登場した。

 

《ひょっとして女性の方が男よりロマンチストというか、気概があるのではないかと思わせたのは、女優沢村貞子とその母の話。沢村は「赤い女優」として治安維持法で逮捕されたが、裁判長の尋問を嘲笑したりしたため、素っ裸にされて拷問されたりもしたが、耐え抜く。
 一方、その母親は、逮捕される前の沢村の生き方を問いつめられ、「お前の教育が悪い」などと罵られたが、「まじめな娘がよくよく考えてしたことだから仕様がありません」と言い返し、そのせいで、母親も一晩留置されることになった》

 

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人間の記録『沢村貞子』(1999.12/日本図書センター)によると

明治41年(1908)11月11日東京浅草に生まれる
昭和元年(1926)(18歳)日本女子大学に入学
昭和4年(1929)(21歳)在学中に新築地劇団に入団
昭和7年(1932)(24歳)治安維持法違反で逮捕される
昭和8年(1933)(25歳)通算一年八ヵ月の獄中生活ののち、釈放
昭和9年(1934)(26歳)映画デビュー

昭和44年(1969)(61歳)初のエッセイ『貝のうた』(暮しの手帖社)
昭和52年(1977)(69歳)エッセイストクラブ賞受賞
昭和54年(1979)(71歳)第31回NHK放送文化賞受賞
平成元年(1989)(81歳)女優業引退
平成6年(1994)(86歳)夫・大橋、心筋梗塞のため死去
平成8年(1996)(87歳)8月16日急性心不全のため永眠。9月19日相模湾に散骨


希望を抱いて劇団員になったこと、多喜二の『蟹工船』上演の問題、失神するほどに辱められ拷問を受け、2度も刑務所に入れられ、人間不信で挫折…波乱の半生だった。

それでも一生懸命に考え続けてきた。
「人間は何のために生きるのだろう、どう生きたらいいのだろう」

 

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その貞子さんが「料理には愛情が第一」とつくづく知ったのは
23歳の初夏から24歳の春まで十ヵ月に及ぶ刑務所の独房暮らしのせいだという。

「どんなご馳走も、毎日、同じものばかり出されては、胃も舌もうけつけない」
「食物の温度がどんなに大事なものかもわかった。暑いときは冷たいものを冷たく、寒いときは暖かいものを温かく―食べる人の気持ちにあわせて料理する」

〈もし、ここから出て、料理をするときがあったら、食べた人がほんとうに喜ぶように美味しく料理しよう…〉


「そのうちに、毎日、ひまにまかせて、頭のなかで料理をするようになった。差入れが許されている料理の本を丁寧に読んだ」
「色刷りページはすくないころだったけれどくり返しよみ返し、空想のなかでこしらえる料理の色のでき栄えは、われながら見事だった。この煮つけは、こういう器に…アルミの食器のなかの麦飯をかみながら…」


お貞さんは自分の半身、自分の地貝とも思える伴侶に出会い
大橋のために献立表を考え、料理し、願った・・・

「来年もこうして平和に暮らしたい――そう、平和だけはどうしても欲しい」

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NHKアーカイブス「あの人に会いたい」の映像です。

https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009070038_00000
【何もできなかった でも一人だけ幸せにできた】

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。