長田弘さんの詩がきっかけで、図書館にリクエストしたのは高田宏さんの
『言葉の海へ』(岩波書店)、そして『言海』(大槻文彦/筑摩書房)。
50音順という近代的な国語辞典の第一号!は、厚さ5㎝の文庫版辞書である。
字がかなり細かいので拡大鏡の助けが必要である。
奥付には、明治22年5月15日初版、明治37年2月25日縮刷第一版印刷発行、
昭和6年3月15日六百二十八版発行とあり、解説者の武藤康史氏によれば、
昭和6年の刷りをそのままの大きさで覆製したものだそうだ。
序文に続く《本書編纂の大意》には、まずこの書は「日本普通語ノ辞書」であり、
辞書として形を成す五項目【発音、品詞、語源、語釈、出典】に従っているとの
説明があり、その語釈の例として、なんと!【さいはひ(幸)】が挙げられて
いるのには驚いた。思わぬ発見に嬉しくなって、思いつくまま辞書遊びに興じた。
一人の著者に統率された、味のある、ひきしまった文体。しばしばことばの
急所を言いあて、あるいはうねるように説き進み、ユーモアすら醸し出す書き方。
百年以上にわたり絶大なる人気を誇ってきたのはその語釈の文体の力であろう~
と武藤氏の言葉にあった。
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質素とは、「衣食住ヲカザラヌコト、奢ラヌコト。倹約ナルコト。」
貧乏とは、「マヅシクシテ、物二トボシキコト。」
なるほど~~ウルグアイのホセ・ムヒカさんは「世界一質素なる大統領」なのだ。
とうとう街中まで出没しだした【熊】は?
「…力殊二強ク、能ク樹二上ル、深山ノ林中二棲ミテ、果ヲ食トス、冬は穴居
ス、畜へバ馴ルベシ、皮ハ敷物トスベク、肉モ美ナリ、…熊胆トイヒテ、
健胃ノ薬トシテ大二貴ブ」
深い山の中で、木の実、果実を食していたクマ、丸ごと有効利用できるクマは、
人間にとってありがたい存在だった。しかも、飼い馴らすという人間とクマの
親密な関係まで築かれていて、クマへの愛情すら感じられる。
【犬】 最モ人ニ馴レ易ク、怜悧ニシテ愛情アリ、走ルコト速ク、狩リニ用ヰ
夜ヲ守ラスルナド用少ナカラズ、…
【猫】 温柔ニシテ馴レ易ク、能ク鼠ヲ捕フレバ飼フ、然レドモ窃盗ノ性アリ、
性睡りヲ好ミ、寒ヲ畏ル…(詳細な目の変化の説明がある)
【狐】 尾大ク、軽捷ニシテ疾ク走ル、人家ニ近キ山ナドニ穴居ス、性甚ダ狡猾
ニシテ、夜人家二入リテ、鶏ヲ捕リ、食物ヲ偸ム。
【狸】 鼻ノ辺黒ク、目ノ辺白シ、尾太クシテ脚ニみづかきアリ。夜出デテ食ヲ
求ムルコト、狐ノ如シ、毛ヲ筆トシ皮ヲブイゴノ用トス、人家ニ近ク
穴居スルモノハ、頭痩セテ狐ノ如ク、肉食フベシ、頭ノ丸クシテ猫ノ
如キハ、臭気アリ、食フベカラズ。
【猿】 深山ノ林中ニ棲ム、人ニ似テ能ク坐リ、能ク立チテ行ク、四肢、皆、
手二シテ各五指アリ、果実ヲ食トス、食ヲ頬二貯エ、漸ク出シテ食フ、
聲、咳スルガ如シ、怜悧狡猾二シテ、畜ヒテ種種ノ技藝ヲ教フベシ、
然レドモ、心終二馴レズ
【猪】 怒レバ背上ノ毛立チ、牙二テ人物二触ル、山ニ棲ミ、春夏ノ夜、
出デテ田圃ノ蚯蚓ヲ掘リ食フ、故ニ損害ヲナスコト多シ、…
「體丸ク細長クシテ、圓紐ノ如ク、行クトキハ、身ヲ引キ、屈メツ伸ベツシテ
進ム、色多クハ、赤シ、或ルハ青白キモアリ、小キハ分寸 大ナルハ尺ニ至ル、
湿地ノ中ニ棲ミ、夜出デテ、土ヲ食ヒ、聲清ク鳴ク、暁ニ土中ニ入ル、
採リテ、釣餌トス」
これは【みみず(蚯蚓)】…………しかし、ミミズは鳴かない。「ケラ」らしい。
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「一国の辞書の成立は、国家意識あるいは民族意識の確立と結ぶものである。」
はじめ国家事業だったが、「まもなく個人の仕事に転じ、大槻文彦というひとりの
人間が国家の代わりに17年を費やしてきたものである。」と高田さんは書いている。
辞書巻末の「ことばのうみのおくがき」には、その苦難を乗り切った不屈の精神が
如実に語り尽くされていた。
『言海』を泳ぐのはなんと愉快なことか。