小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

傘寿に乾杯☆

今日でおとーさんは80歳だよね。

傘寿っていうのね。

健康でいてくれて、

いきいきと暮らしてくれて

ありがとう。

昨日スカイプで話せて良かった。

 

先日…山奥で暮らす息子からもらったメールに
私もうるうるしてしまった。

夏にテニスのパートナーを亡くした夫は
「80代、元気を維持して全国ベテランをめざす」
と年賀状に記し、シングルスに挑戦している。

折悪しく、寒波到来の予報!
キャンセルを勧めたのだけれど
三日前、関西方面の大会へ。

今日、決勝戦が終わってから
臨時列車に飛び乗って、夕方、無事に帰宅して
ようやくほっとしています。

山梨産白ワインが優勝の賞品です。

・・・・・・・・・

☆スガイ書店の社長さんの放送日が変更になったそうです。
27日(金)16時頃、北陸朝日放送の「ゆうどきライブ」です。

『月刊スガイ』が県立図書館の蔵書になりました☆

町では数年前にTSUTAYAが撤退して
小さな「スガイ書店」一軒だけになりました。
本や雑誌の他、文具、事務用品などが並ぶ老舗書店は
今年、創業103年を迎えます。

大型店が消えるという寂しい状況のなかで
エネルギッシュな小さな書店の明るい話題です。

***

社長さんは87歳の和子さん。25年前に先立たれたご主人の後を守り、つい三年ほど前まで、エプロン姿で自転車に乗ってお仕事されているのを見てすごいと思っていました。今はレジでお客さまのおもてなしに専念されています。

 

お店を率いるのは専務、長女の由記子さん。
4年前から2級建築士の資格をもつ孫の一平さんが加わり
スタッフは他に、学生アルバイトさん含め8人。
各人の仕事内容や好物、テレビ番組、趣味、最近のできごとなど
私はいろいろ熟知しています。

 

はっしーさんが髪を48㎝切って、医療用かつらに寄付したこと
たなべさんがお子さんのナップサックを作ったこと
しんやさんが女子ラグビーの選手で北信越大会に出場したこと
うのさんがドイツで開催されたWROロボット世界大会で10位だったこと

50年前に天井裏のネズミのせいで漏電火災でお店が全焼したことや
由記子さんとご主人のキューピットが‟本”だったことも。
「にっぽん縦断こころ旅」の火野正平さんが
獅子吼高原で手紙を読んだことも。

***

実は、、、これらの情報源は、
昨年6月から発行されているお得意様限定!『月刊スガイ』
似顔絵、思い出の写真つき、A4判の4ページです。

10人のスタッフそれぞれのおすすめ本の1ページに加え
12月号には読者のおすすめコーナーが新設。

とにかく面白い、熱い、やる気がビンビン伝わってくる。
ハプニング満載のエピソードは愉快です。


創刊号を手にした瞬間、「小さな図書館」を彷彿させる
手づくりのあたたかさを感じました。
月を追うごとに、スガイさんの内情に詳しくなって
私もすっかり愛読者のひとりです。
そろそろ2月号が届くころ…

***

心躍るビッグニュースが1月号にありました。

【「月刊スガイ」が新県立図書館の蔵書に!】

「11月に県立図書館から「月刊スガイ」を蔵書にしたいので毎月2部ずつ送ってほしいと電話がありました。まさかの出来事です!何故蔵書することになったのか詳しく話をきいてみました。
 図書館では新聞を1か月分まとめてチェックする作業があるそうです。北國新聞の【月刊スガイ創刊】の記事を読んだ職員の方が郷土資料として入れた方が良いと推薦してくださり、蔵書することになりました。1部は閲覧用、もう1部は書庫で永年保管されるそうです…3F東E/郷土エリア/郷土雑誌のコーナーにあります」(一平)

キャッチした県立図書館はさすがです。
地域資料を積極的に収集するのは図書館の仕事、
ちらし1枚でも貴重な郷土資料となり得る場合があるのです。

ふと、地元図書館の対応は?と気になり始めました。


☆25日(水)の夕方、北陸朝日放送の「ゆうどきライブ」に社長さんが出るそうです。

飯塚事件の30年

駅の無人化反対訴訟の弁護士さん……
私ははっとしました。
あの「飯塚事件弁護団」の代表、徳田靖之弁護士!

***

お正月の帰省客がないせいで、
年末からお正月は、読書三昧、
自由気ままな時間でした。

テレビも観ました。
「鎌倉殿の13人」総集編
「ロックが壊した冷戦の壁」「松本清張帝銀事件」、、、

そして、3時間にも及ぶ3部構成の長編ドキュメンタリー
「正義の行方~飯塚事件~30年後の迷宮」

***

1992年に起きた「飯塚事件」は
当時、九州では大きく報道されたそうですが、
私たちはその事件の概要をほとんど知りませんでした。

【1992年2月、福岡県飯塚市の女児2人が殺害された「飯塚事件」。逮捕・起訴された久間三千年元死刑囚は、最高裁で死刑が確定し2008年10月28日に執行された。遺族は死刑執行の1年後に再審を申し立て、11年半におよぶ審理の末、訴えは最高裁で棄却。遺族は去年7月、ふたたび再審を請求した。事件から30年が経過した今も遺族や弁護団の“闘い”は続いている。死刑執行後の異例の再審請求。飯塚事件を検証する。】


*最後まで無実を訴え、決定的証拠、自白がない中で
状況証拠をもとに死刑判決が下された。

*しかも、なぜか異例とも思える速さで執行された。

*警察と妻との言い分は大きく違っている。
初めから犯人扱いされていた。

*証拠とされたDNA鑑定の問題点も明らかになった。

*鑑定結果について、捜査の妨害になっては困ると
警察幹部からの圧力ともとられかねない要請があったという証言も。

あまりの衝撃的な展開に息を呑むばかりでした。

幹部とは、、、
國松孝次警察庁刑事局

番組は、元西日本新聞の記者、弁護士、福岡県警元捜査員、久間三千年死刑囚の妻、大阪府警科学捜査研究所元所長、DNA鑑定を行った教授、、、、当事者たちの言い分を対比させ、法医学教授の意見を交えながら事件を検証していきます。

***

もしや、えん罪では?

傍示(かたみ)文昭編集局長の指揮のもと、
検証の新聞連載は2年、83回に及んだといいます。
事件の検証に動いた元西日本新聞記者たち(宮崎昌治、中島邦之、中原興兵)の発言がリアルでした。

傍示さんのインタビュー記事を見つけました。
《ジャーナリズムの使命を胸に、地域のための報道を》
「新聞にはジャーナリズムとしての使命がある。権力に迎合せず不正を見逃さない。客観的視点を持ち、素晴らしい点は称賛し、正すべき点はきっちり指摘する。当たり前のことですが、それが我々ジャーナリズムの役割だと思っています」


「全国的には“埋もれた事件”。番組をきっかけに、自ら事件を調べ、司法の判断や死刑について考えてみようという動きを喜ばしく思っている」これは、番組ディレクターの木寺一孝さんの言葉です。


真実を追うジャーナリストたちの不屈の魂の存在に
私は大きな希望を見出しました。

***

同時によみがえるのは、あの発言。
法務大臣になって3ヵ月がたつが、だいたい法務大臣というのは、朝、死刑のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職だ」「外務省と法務省は票とお金に縁がない。法務大臣になってもお金は集まらない。なかなか票も入らない」

2008年~2009年、9人の死刑執行命令に判を押したのは?
麻生太郎内閣のもと任命された森英介法相。
二世議員、11期連続当選、その経歴、華麗なる親族、、、
クモの巣状の政治にため息つくばかりです。

***

最高裁は再審の申し立てを棄却した。

弁護団による200ページの主張に対し、届いたのは6ページの書面だった。一人の命を国家が奪ったかもしれないという事件を判断するにあたってこの程度しか示せないのかと、弁護団は抗議する。

 

無辜のいのちだった。
迅速に再審請求に着手していれば…とさいなまれ
岩田務主任弁護人と共に、第2次再審請求に着手した徳田靖之弁護士。

『死刑執行された冤罪・飯塚事件 久間三千年さんの無罪を求める」(現代人文社)が出版されています。

 

⁂県内では石川県立図書館のみ所蔵。
皆さまの近くの図書館ではどうでしょうか。

吉田春美さんの生きかた

JRひまわり号のこと、共同作業所どんぐりのこと、
ハートネット《我がままに生きて ある重度障害者 最後の日々》で初めて知りました。

「昨年9月、末期がんのため69歳で亡くなった吉田春美さん。脳性まひで車いす・呼吸器ユーザーの吉田さんは、地域の障害者の自立生活を切り拓(ひら)いた先駆者であり、駅の無人化に反対してJR九州を訴える裁判の原告でもあった。自分らしく生きるため時に“わがまま”と言われた吉田さん。でも、地域には彼に影響され生きる多くの人たちの姿が…。誰もが暮らしやすい社会の実現を目指して生きた吉田さん、最後の日々の記録」(番組紹介文より)

~☆~☆~☆~

僕に限らず、
誰もが自分から好んで障がい者になりたくない
また自分の意志で生まれたわけでもない

…偶然のいのち…

絶対と言えるのは死
それなら、偶然と絶対の通過点ぐらい
自分の意志でわがままに生きたい

電車に乗って優しく声かけをしてくれたり
以前の友だちに会える・・・
僕にとっては
各駅停車のひと駅が “旅”


吉田さんの一番のたのしみは
電車で自由気ままに出かけることでした。

~☆~☆~☆~

ところが2018年、駅の無人化が始まりました。
無人駅になれば、サービス低下の影響は必至です。
「安全面」に加え、「利便性」に大きな影響がありました。
乗降予定の面倒な連絡がいちいち必要になったのです。

僕が困ることは、他の人もきっと困ること、と
裁判を起こした吉田さん。

障がい者だからを盾にわがままだなど、
辛辣な意見も投げかけられたそうですが、
これは、配慮が必要な人たちに対して
どういうふうな社会であるべきなのかが
問われている裁判でした。

~☆~☆~☆~

“葬儀はシンプルに、偲ぶ会は盛大に、にぎやかに”
多くの仲間に愛された吉田さんの重ね重ねの願いでした。
やさしい笑顔の吉田さんです。

 

亡くなられた9月14日は、奇しくも
漆原宏さんが旅立たれる前日のことでした。

漆原宏さんのライフワーク

《『ひと言・人・こと』復活!》
https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2020/05/11/161624

これまでにも書きましたが、「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた小さな図書館、その後半の2001年3月31日~2005年4月30日までの4年と一ヵ月。そこから発信していた別サイトの日々の記録『ひと言・人・こと』を再現すること!

それがブログを開設した一番の目的です。

最小限の訂正、加筆で、『小さな図書館のものがたり』ブログに移す作業です。カレンダー形式の『ひと言・人・こと』をたどってくださった方はお気づきでしょうが、もともとタイトルのつけようのない日誌にどうにかタイトルをつけ、今日現在、2003年2月27日まで進んでいます。

当初は作業に熱中するあまり、一日で一ヵ月分進んだことも何度となくありました。20年も前のわけのわからない大量のブログが送信され、読者になってくださった方はさぞご迷惑、申し訳なかったと気づいたのは後になってからのこと。このところは心してペースダウンしています。

ところが、存分にテニスを楽しんだこの一年の終盤で予期せぬ膝の故障に見舞われ、この先、いつまでも元気でいられるという保証はないのだから、もう少し作業スピードをあげなくては目標が達せられない…せめて一日に2、3日分ほど…と心に決めた、その折も折でした。

***

図書館写真家・漆原宏さんの奥さま、美智子さんからの寒中お見舞いのおはがきに茫然となりました。

「2022年9月15日、夫(宏)涅槃光明の世界へ旅立ちました」

 

***

漆原さんとの出会いは2002年、20年前のこと。

《いい一日!!》
https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2002/11/30/000000

《女神たちに乾杯!》
https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2020/06/07/125254

…「感じる。図書館」今回の北陸行は、津幡が圧巻でした…

《図書館の写真家/漆原宏さんのこと》
https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2021/01/30/113435

 

沖縄から北海道まで全国の公共図書館をまわって撮ったのは、建物ではなく、図書館に集う人々の生き生きした姿。寄稿文【図書館取材紀行】が掲載されている「香川県子ども文庫連絡会」の方たちのすばらしい活動を紹介し、繋げてくださったのも漆原さんでした。

***

2005年、小さな図書館と共に職を辞したとき「貴重な記録、本にしませんか」「いろいろ協力できますよ」とまでおっしゃってくださったのに、ネットで公開していればそれでいいと当時は安易に考えていました。けれど、たとえどんなに大切な記録でも守ろうと思う人がいなければ、ネットから消えるのは簡単なのだということが後々身にしみてわかりました。

そもそも小さな図書館の日々の復元を思い続けたのは、漆原さんの後押しの言葉が大きな支え、、、今年もどうぞお変わりなきことを願い年賀状を差しあげて、、、

83歳で逝去された由、同封してくださった朝日新聞記事(2022.11.3)で初めて知ることとなりました。


***

ネットで、福岡県糸島市にお住まいの才津原哲弘さん(元・滋賀県能登川図書館長・博物館長…)が漆原さんについて書かれた記事に逢いました。

No.96(2022.9.18)、No.97(2022.9.26)

千葉治さん、伊藤峻さん、、、小さな図書館を訪ねてくださった懐かしい方たちのお名前もありました。

そして、写真パネルのこと。
いろいろなところで、できるだけ多くの方に見てもらいたいという美智子さんの願いは、漆原さんの想いでもありましょう。40年間の温かい図書館の光景は、更に未来へのヒントをも与えてくれるのではと思います。

 

民主主義の原点とは?
図書館がめざすものとは?

誠実で愉快なお仲間たちと天から問いかけていらっしゃるような。

 

ご冥福心より祈りつつ。

 

『母の友』の糸をたどってゆくと

あったらいいな~、ありますように~

確かめたいことがあって、福音館書店の『母の友』1987年7月号を
二階の押し入れへ探しに行った。
スチール棚に古い順に並んでいる。
友人が一年分を贈ってくれて

それ以来、継続して購読していた~おかあさんとともに歩む雑誌~

『母の友』

我が家の一冊目は、1973年2月発行の第237号。
表紙にも、本の中にも、一筆書きのような”楽”がきがある。
たぶん一歳だった真ん中の娘のお絵描きだ。
4ページ、5ページの〈こどものひろば〉にも、
不思議なぐじゅぐじゅ絵がある。

***

〈こどものひろば〉はお母さんがキャッチした声の記録。

「オシッコ」 ざんまよしゆき(三才)

 はなのまえで
 オシッコしたら
 あなぼこに はいったの
 ギザギザ虫が
 スットンと おちた
 オシッコと いっしょに
 きえちゃった


「おかあさんがおこると」 いとうこう(2才)

 ぼく
 こおちゃって
 とけちゃう
 きもち
 が
 するよ


添えられた東君平さんの絵も実にユーモラス。

***

シルクロード点描~砂漠と大河の人びと〉は、『アレクセイの泉』の本橋成一さん撮影&文。アフガニスタンの砂漠の村では雨が降るまでじっと待ち、小さな井戸で水を汲む。刺ある草を食べられる羊がいることで生息できる人間、砂漠で唯一のその草を羊飼いの少年たちが集めている。人間本来の生きるという真剣な行為を捉えています。

『わが存在の底点から~富士公害と私』(甲田寿彦/大和書房)の書評を国分一太郎さんが書いている。4ページに及ぶ解説により、富士公害についての概要を知った。

***

大畑京子さんの手記〈食品公害とわたくし~”生きる”ということを考えつづけて〉にも心動かされます。森永ミルクは食品公害の第一号、厚生省は企業の味方…森永製品不買運動に協力しているいきさつをあの頃よりもより深く理解でき、ごく少量の添加物でも長期間接種する危険についての指摘。

被害児のお父さんからの砒素ミルクの中毒症状を訴える写真と文のパネルを市民文化祭に出品したところ、公民館の趣旨に反するので他でと言われ、文化活動とは何か、公共施設のあり方について深く考えさせられたそうです。

”食品公害の私のたたかい”は食品公害にとどまるものでなく、妻、母、女である以上に、一人の人間として生きるための私自身のたたかいである」と大畑さん。

当時、百円+送料20円、110ページのささやかな冊子が
社会へ踏み出すための扉を開け放っていたことをあらためて思います。

***

ついつい読み込んでしまって、、、
私の探している七月号は?と、見当をつけて引っぱり出したら
1982年7月号、〈350号記念 特集・手記〉

目次を見た途端、私は胸があつくなりました。
10人のおかあさんの中に、なんと、細川律子さんの手記があったのです。
しかも、タイトルは《息子のどもり》

実は私もまったく同じような体験をしていたのです。
3才離れた弟が生まれ半年近くたった頃、次女が吃音になり、大学病院のことばの治療室へ通ったことがありました。夫婦で問診を受けたことを思い出しました。律子さんの手記にもあるように「治療を受けるのは母親」でした。心がけることは、思う存分、子どもに甘えさせること、よい聞き役になること…あの頃の未熟な自分を再び思い出します…今でも未熟な私…子や孫に教えられている私。

「…思えば、彼の「どもり」は未熟なる私への警報であり、ことばの治療教室は、私の心を開いてくれた病院でもあった。子ども達を育てているつもりが、未熟な親は育てられているのである。私は現在、長男に感謝して暮らしている。そしてこれからも、子ども達からいろいろなことを学んで生きていくことだろう。」(ほそかわりつこ/石川県七尾市在住)

 

律子さんが三人のお子さんを抱くように立っていらっしゃる写真もありました。
子育てに懸命だった頃の私たち、でしたね。

~☆~☆~☆~

細川さんとは、小さな図書館がオープンした1996年、水野スウさんの紹介で出逢って、図書館でのはじめての「おはなし会」を引き受けてくださってからのおつき合い。その頃には隣町のかほく市にお住まいでした。

☆著者との集い《第4回 出会いの夕べ~宮沢賢治の国より~》
☆読書会《宮沢賢治を読むつどい》の案内人
☆秋には樹木に囲まれて森林公園で《どんぐりころころお話会》

「あなたと私/センス・オブ・ワンダーの仲間たち」の一員となって、小さな図書館を育てることに尽力くださって、現在もシグナスの図書館で、読書会、どんぐりころころお話会は続いています。

 

露天風呂で聴いた『あかいくつ』

夫と二人だけのお正月でした。
年末から昨日までの五日間、炬燵にもぐってテレビを見たり、本を読んだり、甘いものを食べたり、自由気儘に過ごしました。クリスマステニス大会は無理だったので、新春テニス大会にはなんとか参加したいのですが、膝の調子がいまいちです。一方、夫はちらつく雪をものともせず、目標の歩数をめざして欠かさず散歩、懸命に体力保持に努めています。

 

そんな夫が昨日、雨風をしのいで歩けるし、新しいショッピングモールはどうかと提案してきました。人出の多いところは苦手、ウインドウショッピングにもどんどん興味が薄れている私。でも…にっこり、、、いいよ~と、すぐさま出かける準備にとりかかりました。たしかに少し歩くのはよさそうだ。それよりも、夫とドライブする機会がいつまで続くかわからない…そんな思いが増しているのが大きな理由。

その日、素直に同調してよかったなと思うようなことがありました。

~☆~☆~☆~

白山市の大きなモールを散歩したあとです。
近くにあるスーパー銭湯の露天風呂でのこと。

お母さんと女の子が入ってきました。

―肩をたたいてあげようか。

女の子がお母さんの背中にまわって、トントントン。
その様子があまりにかわいくて、、、
何歳ぐらいかなと思っていたら、一瞬目があって、
すると、女の子の人懐っこいまなざしが
ふわり会釈してきたのです。

こんなことって、初めてのこと!

少し小さな女の子も入ってきました。
わたしたち、すぐに仲良しになりました。
四年生と年長さんの姉妹でした。


―”ゆ”ってかけるよ

― じゃあ、湯に”ゆ”ってかけるかな

妹は”ゆ”らしい字をお湯に書きました。
ふたりとも名前の頭文字が【あ】で
お母さんも【あ】段でした。

ほんとは妹の名前をつけたかったんだけど。
でも、今の名前も気に入っているよとお姉ちゃん。


― ねぇ、『あかいくつ』ってしってる?

― うん、知ってる、知ってる

それから、妹の【あ】ちゃんの
じょうずなお話が始まりました。
お姉ちゃんの【あ】ちゃんが補足します。

私の知っている『赤い靴』では、
踊り疲れた少女はとうとう両足首を切断してもらうけれど
姉妹の話には最後までそんな怖い場面は出てきません。

本ではなくて、YouTubeで見たと知り、
今どきはその手があるんだと内心驚きました。

にこにこ聴いていたお母さんが
― お父さんが待ってるからね、そろそろ、、、


時おりすっ~と吹き込む風がきもちいい露天風呂。
家族以外に、今年初めて会話した母子たち。
たぶん、もう会うこともない私たちでした。

三人のファーストネーム
新年の手帳に記録しました。
昨年はライトブルー、
今年はあたたかなサーモンピンクの手帳です。

***

皆さま、今年もどうぞよろしくお願いします。

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。