小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

「こころの時代~翻訳者・坂東弘美」より

はだしのゲン』はわたしの遺書、
わたしが伝えたいことは、すべてあの中にこめました、と中沢啓治さん。

はだしのゲンヒロシマを忘れない』(中沢啓治/岩波ブックレット/2008年)では
ゲンはぼく自身、ぼくの目に焼きついている原爆の姿、
しつこく、しつこく、伝え続けたい。

戦争で、原爆で、人間がどういうふうになるかと徹底的に描きたかったが、
心外ながら、かなり表現を緩めて、極力残酷さを薄めて書かざるを得なかった。
子どもが「こわい」と言って泣く、夜トイレに行けなくなる。
あまりどぎついものを描かないでくれと
親からの抗議の手紙をもらってこんな手紙を書きました。
映画『はだしのゲンが見たヒロシマ』でも、このように語っていらっしゃいました。

 

…あなたのお子さんは立派なお子さんですね。あの被爆のシーンをヘラヘラ笑って読まれたら、作者としてはたまらない。こんなもんじゃないんだから。トイレに行くのをこわがるぐらいに感じてくれたことがありがたい。ほめてやってください。…

 

連載開始から50周年記念の今年、広島市教委が小学生の平和教材から削除しました。
これまでにも松江市教育委員会、それに先立って鳥取市立図書館も、子どもの精神にダメージを与えることを理由に閲覧制限をして問題となったことがありました。

 

今、24言語に翻訳されている『はだしのゲン
8月20日のETV「こころの時代~『はだしのゲン』の父~」は、中国語訳を手がけられた坂東弘美さんでした。
アナウンサーとして働いていたときに読んだ女子学生の詩に、強く心が動かされ、さらに、日中戦争での父親の過去を知ったことで、その後の生き方が大きく変わっていった坂東さん。

あたりさわりのない表向きの言葉はむなしくて、本音で話し合える場をつくりました。チェルノブイリにも出かけ「ミルクでも薬でもお金がほしいのでもない、私たちのことを忘れないでほしい、ただそれだけ」という現地の声を聴きました。

 

ゲンの父の生き方は、
国家の命ずるままに戦争に出征した自分の父親とは真逆に見えた。
なぜ、あんなに優しい父が残酷なことをしたのか。
自分は殺した人の命から生まれた命。無駄に使っちゃいけない。
私が受けたものは社会に返そう。
気をつけていないと時代に流されてしまう。
仕方がなかったではすまされない。
そういう時代だったからね、という言葉はもう言っちゃいけない。

1996年、単身、中国にも渡り、日本語講師としても暮らしました。
はだしのゲン』の翻訳を決意、7年かけて完成しました。


~・~私の夢(塩瀬信子)1959年8月15日~・~

それは私が受けたものを
社会に返すこと
社会のために何らかのことをすること

私という人間が
長い歴史の一瞬間
生きた意味のあるように
   
『生命ある日に 女子学生の日記』(塩瀬信子/大和書房/1962)より

☆県内では、北陸学院大学図書館にあります

★今日8月26日(土)13:00~「こころの時代」再放送です

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。