小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

伝言の灯(ヒロシマ~ナガサキ~ビキニ~フクシマ)

今日からからG7広島サミットが始まりました。
共同文書案の中にあった「核軍縮」はどうなったでしょうか。

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折しも、静岡の新茶の香りと一緒に、Tさんから届いた小冊子は
『八月平和例会の記録―語りついだヒロシマの祈り』(広島友の会/1996年8月6日第1刷、2010年7月1日第2刷)
16人の方たちの「平和への熱い希いをこめて語り継がれた15年の記録」です。

最初の方は、1981年の「私の八月六日」。
「私は長い間、口を閉ざしてまいりました」とおっしゃる木村雅子さんでした。

…8月6日の出来事は、20才の私にとって余りに恐ろしく悲しい体験でした。思い出したくない、出来れば忘れてしまいたいと思いながらも、暑い8月6日が巡り来るたびに、あの、人の焼けた特有の臭いと共に当時の情景が目に浮かんでまいります。…朝、あんなに元気だった妹、焼け残っているのは顔と胸だけ、何と哀れな姿になってしまったことか…

8月8日の早朝、息を引き取った妹を荷車に乗せ、浜辺で焼いて葬った辛い体験を経て、「二度とヒロシマを繰りかえしてはならない。核兵器の廃絶、核で汚染されない地球を守ることは、世界の恒久平和を願う広島市民の祈りです。」と。

お二人目も1981年。門田京子さんは「原爆と平和」と題して原爆後遺症に苦しんだご主人のこと。原爆資料館を見学してとてもショックを受けたというと「とてもあんなもんじゃない」とひと言、後は黙っているだけでした…が、だんだんに原爆がどんなに残酷なものか、戦争がどんなに愚かなことかをしっかり語り残しておかなければという気持ちが強くなっていったようでした。


どうしても伝えなくては、というお一人おひとりの声が響いてきます。

冊子の「あとがき」を引用してご紹介します。

…お話してくださる方は、その当時の生き地獄を体験された方々や家族や親戚を探して市内に入られた方で、それぞれに怒りや悲しみ、心の痛みはとげとなって胸にささっておられます。そうした痛みを耐えて、生き抜いてこられた方にその当時の出来事を話してください、書いてくださいとお願いするほうもとてもつらいことでした。話したくない書きたくないと頑なに断っておられた方も、戦争を知らない世代の人達に戦争の恐ろしさを是非知ってほしい、被爆者も高齢なられ、当時の体験がだんだん風化してゆく心配があり、私達が心の内を証しすることによって、平和への道に少しでもお役に立つならばと、思いきってお話し下さいました。…皆様の協力によって、この小冊子が出来上がりました。会員はもちろん、多くの友に読んで頂き、子供へ、孫へと「広島の祈り」を伝えて行ってほしいと強く願っています。…


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ぜひ観ていただきたい番組があります。

明日20日、13:00からのETV「こころの時代」
原発に抗い続けて~福島からの伝言」です。

3月12日の番組で、私は(ようやく)早川篤雄さんを知りました。その3ヵ月前の12月29日、83歳で急逝されたことを知りました。

楢葉町宝鏡寺30代目のご住職、地裁いわき支部集団訴訟を起こした「いわき避難者訴訟」の原告団長さん。亡くなる前日まで、原発や訴訟の資料を読み込んでいらっしゃったそうです。

揺るぎない信念と共に、なんと優しく慈愛に満ちたお人柄であろうか。
寺の境内に建てた「伝言館」のこと、非核の火は「ヒロシマナガサキ・ビキニ・フクシマ」の“伝言の灯”となって「伝言館」の横に建立されたことも、第五福竜丸の久保山さんが愛したというバラへの想いも知りました。


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早川さんが朗読された詩は
悪性ガンに侵されていた高校の先生が書いた詩。


『重い歳月』  吉田信

故郷の海岸線は原発の銀座になり
人々の素朴な暮らしのありようも
人々の目付きも
心なしか変わってしまった十年だった
だが慣れない金策に駆けまわり署名を集め
勉強会もするこの十年がなかったら 
私たちの人生は
やせほそったものになっただろう

〈真実〉はいつも少数派だった
今の私たちのように
しかし原発はいつの日か必ず人間に牙をむく
この猛獣を曇りない視線で看視するのが私達だ
この怪物を絶えず否定するところに
私達の存在理由がある。
私達がそれを怠れば
いつか孫たちが問うだろう
「あなたたちの世代は何をしたのですか」と

原発公判福島地裁判決の日に 84年4月23日

 

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。