軍事的に中立路線を維持してきた北欧二ヵ国が、
NATOへの加盟申請を表明した。
束の間の70年で、世界は大きく変わりつつある。
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5月13日発行の『いのみら通信 NO.115』にはウクライナの戦争を通して考えること、信念を貫いたバーバラ・リー議員のこと、憲法のこと、沖縄の小さな島々にミサイル配備計画が進んでいること、そして家族のものがたりなど、びっしり書かれている。
「この悲惨な状況に頭が混乱している時ほど、立ち止まって考えるためのよりどころがきっと必要。焦る気もちに押される前にちょっと待って、これは世界の平和に近づく方向だろうか?それとも遠ざかる方向だろうか?と、私は掌に握りしめた羅針盤にじっと目を凝らします。」
「国が間違ったことを言ったり、していると思った時は、個を消して黙るあなたでなく、自分の考えを持つ個人として行動する、そういうあなたでありなさい、と「わたし」に求めている13条でもあるんじゃないだろうか。」
「目の前で銃を突きつけられている人に、戦うな、とは言えない。でも突きつけられていない第三者だからこそ言えることがある、取れる姿勢があるのだと思います。「ヒロシマのある国で」の歌詞の中に「しなければならないことは、灯る戦の火種を消すことだろう」とあるけれど、それが、ヒロシマ・ナガサキのある国で生まれた私のすることのように思う。だって火種はそこら中にあるから。」
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スウさんの言葉一つひとつにうなづきながら
なんとかして戦争が起きないようにと
ひとり一人の平和への努力が必要なのだとつくづく思う。
いかなる理由であれ、戦争はやってはいけない。
そもそも戦争そのものが犯罪だ。
国が公然と大量破壊と殺人を命令する戦。
ヒロシマ・ナガサキのある国で生まれたのだから、、、
しなければならないことは、、、
あらためて、その歌詞の深さに共鳴する。
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わたしの国とかの国の
人の生命は同じ
この青い大地のうえに
同じ生を得たのに
ヒロシマの有る国で
しなければならないことは
灯るいくさの火種を
消すことだろう
…
かもくな少年たちが
重い銃に身を焼く
やせた母の胸に
乳のみ子がなきさけぶ
はだしではだかのまま
逃げまどう子どもたち
故国の土をふむことも
家族と暮らすことも
許されない戦争が
なぜに今も起こる
ヒロシマの有る国で
しなければならないことは…
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4月25日のブログ《能登からの通信》で紹介した
藤平朝雄さんの「早朝朦朧記」(3/18記)。
「…プーチン、習近平、金正恩。独裁者が統治する三国の共通項に、国民が真実を知らされない報道システムがある。あるいは知っていても、すでに声を出せない国風になっているのだろう。国家による報道の制御コントロールで、独裁者たちは国民をだまし続けているのだ。…(後略)」
その(後略)した文の中にこそ、
藤平さんならではの俯瞰的視点があるのだと感じる。
追記してご紹介したい。
「毎日とはいえ、私自身は僅かな情報しか接していないし、そもそも何ごとも情報オンチなのだ。そんな未明人間なので、ウクライナ問題については実態がほとんど分からない。テレビ番組で解説している大学の専門家やジャーナリストたちの話さえ、正直なところ私にはちんぷんかんぷんだ。たとえばウクライナ国の報道体制はどうなっているのか。これほど悲惨な災禍を被っているのに、自国の大統領を批判する国民の声を耳にすることが無い。これはどういうことか。ウクライナも報道統制がひかれているのか?全ては「プーチンの狂人・凶悪によるもの」としているなら、これもまた奇怪しくないか。ある日突然、天国が地獄に、天と地がひっくりかえった被災者はウクライナ国民なのだ。
今日の事態(さらに増大するのは必然)を招いたのは、狂人・プーチンの仕業だとしても、世界一の大国を標榜するアメリカの醜い及び腰にも、そして日本国の鈍重な対応にも、なぜか引っかかるものを感じてならない。そう迷想する私の頭が奇怪しいのだろうが…。故に、朦朧記である。…」