昨年7月31日のことですが
藤平朝雄さんから『気まぐれ通信*仕舞号・98』が届きました。
能登空港と共に満20歳、いまが潮時と最終号にされた由。
空港が開港した平成15年から「能登つづれ草」、75号からは「幸せローン返済の旅」と改題して発行、各地の縁深い同胞・旧友・旅友の方々に送ってこられたという通信。小さな図書館のご縁で、私の元へも「能登はやさしや土までも」「能登優情」が印刷された封筒を送ってくださいました。
能登半島広域観光協会相談役、県観光スペシャルガイドとして活躍される藤平さんの通信は、A3の用紙3枚。裏表両面に、能登の歴史や民俗、短歌、俳句などの文芸、講演など、人情、ユーモアあふれる能登情報が満載で、いつも楽しみに読ませていただきました。
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「ご縁のある珠洲市の友人宅数軒の能登の天花「キリシマツツジ」を観ようと、好天気に恵まれた5日の午前中、珠洲地域をひとめぐりしてきました。自宅に戻って落ち着いたとたん、突然、家がグラッ、グラ~と大揺れしました。その瞬間、16年前の3月25日に発生した能登地震のことが脳内をよぎりました。当地では幸い、3日間の断水と曾々木集落の西と東の国道が崖崩れで、当分の間、片道通行になった程度でした。
しかし、奥の珠洲市は正院町などを中心に、各地で家屋倒壊や山崩れが発生し、復旧はまだ緒に就いたばかりです。親しい友人「O家」は家屋も庭も風情豊かで、縁側で茶菓子のもてなしを頂きながら、私は辺りの里山風景に目をやりつつ「なんとステキな所なのか…」と、呆然としていたのが地震発生の2時間前でした。友人宅は前年に続き、今回も大きな被害を受けました。なんとも無情な現実です。〈鎮まれ!大揺主命〉」
この時の藤平さんのお気もちが今、身に沁みてわかります。
今回、輪島市町野町はどんな状態でしょう。
情報が入らず何もわかりませんが
5月とは比べものにならないでしょう。
どうぞご無事でいらっしゃることを祈るばかりです。
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こんなことになろうとは思いも寄らず
のんびり元旦に年賀状を投函したことが悔やまれます。
私の年賀状は能登へ到着できるかどうかもわかりません。
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町の生活情報メールが次々に入ります。
・断水地区が約200戸。
・下水道本管の破損や閉塞などの不具合により、地区によって汚水が流れにくく、逆流の可能性もあるので、洗濯・洗い物・お風呂などの生活用水の使用量を可能な限り減らすように。
・明日、仮設トイレの増設(庄町振興館に6基、北中条4丁目地内に4基)