あの本は、今、どうしているだろうか。
ふと気になって、横断検索で調べると。
この前と同じく貸出し中です。
どんな方が読んでいるのだろうか。
きっと山が好きなひとに違いない。
https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2023/12/04/155841
私と同じく“片足で挑む山嶺”のテレビを見たひとかもしれない。
桑村雅治さんの挑戦を支えている
『松葉杖登山40年』(昭和49年(1974年)
12月初めにリクエストしたものの、元日の能登大地震でたいへんな事態となって、当然、中能登の図書館も休館となり、本のことはすっかり諦めていました。
ところが、1月10日、本が届いたという信じられない知らせ。
新年度に届くように、既に相互貸借本の搬送が完了していたということでしょう。
***
著者の横田貞雄さんは
明治34年9月15日生まれ。
33歳、昭和8年9月23日の戸隠山が初登山。
40年のあいだ、浴衣に駒下駄、松葉杖の
今ならとうてい信じられないいで立ちで
しかも、50ヵ所所以上もの名峰を制覇。
信仰の山といわれる三名山にも登っている。
富士山には昭和15年から5回、
昭和27年には立山・剣岳の
急峻な岩場を登攀する写真。
白山には昭和45年。
この立山・剣からの下山の途中で「桜丘高校生の石田健君」と出会ったことが白山登山のキッカケとなった。石田君の撮影した白山の写真が送られたこともあって交流が続いて、約20年ぶり、70歳で目的を達成した。残念ながら小雨の中の白山だった。金沢駅、北鉄バス、弥陀ヶ原、室堂…なじみの名前が登場している。
***
横田さんは大正3年、12歳の春に小学校を卒業すると、長野県の醤油屋に小僧として住み込み奉公に入る。朝はだれよりも早く起きて雨戸をあけ、外回り、店の中、蔵の中までひと通り掃除から始まって、いろいろな仕事が待っている。
3年ほどたったある日、右膝の裏側に小さい突起物があることに気がついた。これがすべての発端で、やがて、おできは小豆〜空豆〜うずらの卵〜アヒルの卵〜ゴムまり〜リンゴと次第に肥大化し、スイカの半分ほどの大きさになった段階で、医者にかかることを決意する。右足の大腿部の根元から切断する手術だった。学用患者として、入院や手術の費用は一切無料。大正11年5月、22歳のことだった。
「単発性ショ骨軟骨種」という病名で、肉食人種、つまり西洋人によくある病気らしいが、自分はあいにく肉うどんに入っていた二切れしか食べたことがないという。入院生活は二ヵ月近く、苦しい歩行訓練を経て、元気に退院。手術前とは約4貫(16キロ)軽くなった。
「6年間も病気の重い足をかかえていた苦闘のトンネルを抜け出した思い」で心も軽くなって、第二の人生を歩み出したのだった。
子供の頃から山登りが無性に好きだった。長野新聞社で植字工の仕事をしながら、登山への挑戦を開始する。協力者は、15、6ほど年の離れた弟や職場の登山歴のある友人たち。
40年間、遭難事故を起こさなかったのは、精一杯注意したからだ、不自由の身だったからこそケガも遭難もするわけにはいかないのだ。世の健康体の人々は絶対に遭難しないでほしい。また障がい者の立場から、若いお母さん方や先生たちに望むことも吐露されていました。
***
図書館のおかげで、私は50年前のその本に、
当時73歳になられた横田さんに、
お目にかかることができたのでした。
本には「横山」文庫?の印が押されていました。
(合併前は鳥屋町図書館蔵書でした)