小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

一冊の本をめぐって~“片足で挑む山嶺”

2005年、鳥屋町・鹿島町・鹿西町の3町が合併して誕生した中能登町
ふと鳥屋町に関心を抱いたことがきっかけで、中能登町のHPを開きました。調べ方が足りなかったのかもしれませんが、旧町について必要な情報は残念ながら見当たりませんでした。幸いにも唯一、最も知りたかった鳥屋町について、年中行事、神社、寺院、昔話伝説、民謡、わらべ唄、獅子舞、曳山、文化財、遺跡、地蔵、板碑、民具など、文化・歴史が詳細に記載されているすばらしいネット資料を見つけました。【アイ・サンキューさんのHP】

 

鳥屋町には13地区(郵便番号簿でも確認)。各地区の神社に一個ずつ獅子舞の獅子があって、赤獅子だったり黒獅子だったり、雌獅子、雄獅子、子獅子、越中獅子だったり。期日が微妙にずれて行われているというのも興味深く、「廿九日」(ひづめ)、一青(ひとと)など珍しい地名もありました。歌手の一青窈さんとのつながりで一青(ひとと)の名が広く知られるようになったそうです。一青さんの「ハナミズキ」は「花水木」ですが、「花見月」(ハナミヅキ」という美しい地名もありました。

合併は財政の無駄をなくすという面では大きな効果があったのかもしれません。が、同時に、小さな地域で受け継がれてきた貴重な文化の足跡をきちんと後の世に残し伝えていくことはとてもだいじなことに思えました。

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ところで、なぜ鳥屋町に興味をもったのか、もとはと言えば、先日、偶然に見たテレビ番組「片足で挑む山嶺」をみて感銘を受けたことによります。日本百名山すべての登頂を目指す桑村雅治さん、60歳。クラッチを手に片足だけで2800mを超える頂をめざす姿、その明るさに圧倒されました。

富士山をはじめ、これまでに登頂した数は65。
杖を自ら改良し、体幹、腕回りのトレーニングも積み重ねる。

“可能性が低いことにチャレンジするのが挑戦。
山は、障害があろうがなかろうが万人に平等に苦しさを与えてくれる。
深いですね、山は、ほんとうに…”

骨肉腫のため8歳のときに左足を切断したという桑村さん。
その言葉もまた深い。

愛妻の存在が桑村さんを支えている。
そして、もうひとり
『松葉杖登山40年』(1974年/農山漁村文化協会)の著者、
明治時代に信州で生まれた横田貞雄さんの存在。

一冊の本との出会いが希望の光となり、
桑村さんの背中を押し、励まし、
後世へ「道」を繫げるパワーを生む。

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横田さんとはいったいどんな方なのでしょう。

【Pithecanthropus Collectus(蒐集原人)】さんのブログ
《松葉杖という名のピッケルで、登って登って40年》で
横田さんの生い立ちを知ることができました。
素晴らしい本であると絶賛されていました。
私も不思議に思った服装についても。

↓(引用させていただきます)

「…この時代の登山ルックがどういうものだったのか、わたしは不勉強でわからない。だが、素材の新旧はあるにしても、現代とそう大きな違いがあるとも思えない。おそらく防寒用のズボンとヤッケ、足元は登山靴。もしかしたらゲートルでも巻いていたかもしれない。手にはピッケルを持っていただろう。ところが、横田氏の登山ルックはかなり異質だ。

だって、「浴衣」に「駒下駄」に「松葉杖」だよ!
松葉杖は仕方ないにしても、なんで浴衣なの!? なんで下駄なの!? 登山中にそんな格好の人とすれ違ったら、絶対に「でた!」って思うよね。「幽霊でたー!」って思うよね。
それはともかく、横田貞雄氏は地元の戸隠山を皮切りに、富士山、八甲田山谷川岳槍ヶ岳、白馬、木曽、雲仙……と、40年のあいだに50ヶ所以上もの名峰を制覇していった。その姿は、まさに山を彷徨う亡霊の如し、である。人間の生きる力って、計り知れないなあ。」

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未だ富士山にも白山にも登れぬ私…なれど、なんとかして読みたくて、早速、図書館検索。図書館があればこそですね、50年も前に出版された本に出会えます。さすが地元、長野県内の図書館にはかなり所蔵されていました。石川県では一館、中能登町(鳥屋図書室)のみ所蔵、既に貸出し中でした。寄贈本なのだろうか、それとも当時の担当者の選書力によるものなのだろうか。こうして、私の中で鳥屋町がクローズアップしたのです。

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。