傷ついた心の回復には時間がかかる
ゆっくりゆっくり、
何年もかかることもあるけれど
でも、必ず、その日が訪れる!
Eテレ「うずまきファミリーと“子育て村”」は
再生と希望の物語だった。
***
20年経った夫の命日、
息子は約束を反故にしたと恨んだ父を
感謝の言葉で受け入れた。
あーちゃんは思わず
亡き夫の位牌に声をかける。
「とうちゃん、やったよ!ほんとにやったよ!」
あーちゃんこと宇津孝子さんは
東京生まれのキャリアウーマンだった。
31歳の時、イルカやクジラを撮影する写真家の
孝さんと出会い結婚した。
都会ではなく、自然に囲まれたところで
地に足のついた生活をしながら子育てしたいと
2002年、伊那市の三義地区に移住した。
ところが、その翌年、孝さんは鬱になり
41歳で自ら命を絶ってしまった。
息子の真気さんは、そのとき5歳。
途方にくれる孝子さんだったが
集落の人のあたたかさに救われた。
ふたりより大家族がいい。
真気さんの言葉に、孝子さんは決心する。
みんなの力を借りて子育てしようと、
2004年、山村留学の事業を始めた。
2013年、ファミリーホームを始め、
里親となって、あーちゃんと呼ばれて
14年間で16人の子どもたちを育ててきた。
100世帯200人の三義地区
2000年には高齢者が半分以上になるという
過疎の地域が、いまや「子育て村」
安心して子どもたちを育てられる村として
移住を希望する子育て世代が増えて
子どもたちの声が響く。
20年前に息子のために始めた大家族の暮らし
「うずまきファミリー」の輪は
少しずつ渦のように広がっていったのだった。
***
澄んだ眼差し、穏やかな声、柔和な笑顔。
飾ることもせず素顔のままの孝子さんは
なんと清々しく美しいことか。
あーちゃんにしっかり抱きしめられて
小さな子も、高校生の子も、幸せになっていく。
***
孝さんがのこした写真集
『マッコウの海・小笠原』(1998年6月20/山と渓谷社)
(SPERM WHALES IN OGASAWARA)
孝子さん、真気さんの傍らにあるその本を
私もどうしても読みたくてたまらなくて
図書館にリクエストしました。
幸いにも県内に一館。
その七尾市立図書館から相互貸借で届いて
(合併前の中島町立図書館所蔵印)
ちょうど返却期限の日の
「詩をたのしむ」読書会で紹介もできました。
~☆~出会えた写真集~☆~
わずか180年前まで無人島だった小笠原は、
かつて無人島(ぶじんしま)と呼ばれたのが
訛って今もボニンアイランドと呼ばれているそうです。
吸い込まれそうな海の青、
神秘的な深い群青の海、
息を呑むような美しい小笠原の海です。
カバー表紙も合わせると写真は51枚。
巻末には夫々に40字ほどの説明文。
小笠原で暮らし始めて12年という孝さんは
「スキンダイビング」で潜ります。
ミナミイスズミ、ユウゼン、ムレハタタテダイ、クマノミ、ヘラヤガラ、オニカサゴ、カノコイセエビ、スギエダミドリイシ、アオウミガメ、ザトウクジラ、バンドウイルカ。
初めて名前を知る生き物たちもいます。
「…海流や風、鳥などに偶然運ばれて運良く生き延びたものが、閉鎖された環境の中で独自の進化を遂げてきた。小笠原の生物のことを思うとき、僕は大きな“ひろがり”と“つながり”を感じる。自分の目の前にあるひとつの生命の存在には、気の遠くなるような時間と地球規模での循環が内包されているのである。」
写真の半分近くはマッコウクジラ。
大海原を地球規模で泳ぎ回っているクジラ、
実物のマッコウクジラに孝さんは圧倒されます。
ある日、いつの間にか20頭、
群れに360°囲まれた孝さんは
とりあえず水面に静かに浮いていた。
ひとしきりクリックスを発して
“観察”が終わったクジラの群れは
また“マッコウ玉”の状態に戻り
“押しくらまんじゅう”を始めた。
「はるかに広い世界、到底知ることもできない世界を生きているマッコウクジラに、僕は、自然そしてちきゅうという存在の奥深さを思い知らされる。…ひとりの小さな人間として自然と向き合うということの意味を、僕は改めてマッコウクジラに教えられたような気がする。」(あとがきより)
26年前の本です。孝さんに近づくことができました。