小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

いい香りには危険が潜んでいます(CS)

20年前、北欧に住む娘が突然、食物アレルギーになって以来
私もアレルギー社会を意識するようになりました。
健康な身には思いもよらぬ苦労、悩みがあることを実感しました。

香りにも敏感です。
シャンプー、洗剤などは勿論、無香料。柔軟剤は使いません。
他人の衣類や化粧品、トイレの芳香剤などにも用心深く行動しています。

そんなベテランの娘も、一瞬油断しました。
今年の夏、日本でしばし滞在してその帰路でのことです。
眠れぬ機内でアテンダントから「お水はいかが」とのサービスに、
一滴口に含んだ途端、激しい発作を起こしてしまったそうです。
機内の水はただの水ではありませんでした。
機内だからと安心してはいけなかったのです。
微かに微かに~レモン風味!

普通にはなんら害がなさそうでも、
人によっては危険なものが潜んでいます。

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今、いいニオイと称するものはほとんどは石油化学製品。
嗅神経を通して、脳に直接影響するのではないかと専門家が言っています。
化学物質過敏症」では、
自律神経、精神、眼科的、消化器、運動器、免疫、循環器、気道、内耳障害など、多岐にわたってさまざまな障害が現れるそうですが特効薬がないそうです。

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3年前だったと思いますが、化学物質過敏症で苦しむ人たちを取材したドキュメンタリーがありました。
患者として紹介された人たちは、石川県金沢市野々市市福井県鯖江市の女性たち!
娘のこともあって、急ぎメモしました。

・・・・・

農薬を使わない野菜の栽培法について学ぶ人たちの中にしゃがみ込む女性がいるのに気づいたことから7年にわたり、CS(化学物質過敏症)についての取材が始まったそうです。

シックハウス、シロアリ防止剤で症状が悪化、CSと診断されたその女性、畑で集まっている参加者たちのシャンプー、柔軟剤の香りが耐えられなかったようです。CSになって、デパートでの買い物、映画、友だちとのランチもできなくなりました。

周りの田んぼの農薬散布の夏、身を守るために一ヵ月、
山奥にバンガロを借りて避難する生活が9年も続いています。

***

野々市市のファッションデザイナーだった女性は、自宅のリフォームの住宅建材や友人の柔軟剤のにおいで顔が腫れあがって、みるみる肌が壊れるようにボロボロになって人前に出られるような状態ではなくなりました。
苦手な香りを付けている人といつすれ違うかわからないので、活性炭入りのマスクを重ねて防御しています。

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長年、夫と友禅染の仕事をしてきた金沢市の中田さんは、突然、呼吸困難に陥りました。友禅染には化学染料が使われるのです。家の中も、外も、息苦しくて耐えられない、元の家には住めないと訴えます。家族の危機も忍び寄ります。

***

子どもにもCSが広がっています。
床ワックス、合板の机の接着剤、教科書やプリントのインクのニオイ、マジックなどの文房具、、、教室には多くの化学物質が溢れています。

そんな子のために教室のリフォームを行った高知県の小学校がありました
壁、天井、床、、、を化学物質を遮断するアルミシートで覆いました。
そのへやの入り口にあかねちゃんが書いた3枚のポスターを貼りました。

・・・

この教室でお勉強
している生徒は
「あかね」といいます。
化学物質過敏症
という病気があります。
化学物質を吸って
しまうと頭が痛く
なったり 気分が

・・・

悪くなります。
頭が痛くなるモノは
洋服やシャンプーの
においに入っています。
「あかね」はみんなと
遊びたいとねがって
います。どうすれば
いっしょに遊べるのか

・・・

お父さん、お母さんに
聞いてみてください。
「あかね」からの
おねがいでした。


***

高知県の山奥に暮らす別の母子もCSです。
母親は職場で防毒マスクを着けています。
息子は学校を早退したり休むことが多い。
特にタバコのにおいが苦手。
頭が痛くなり、熱が下がらず、鼻血が出ます。
お母さんはクラスの子どもたちの前で
CSの病気について話しました。

熱が出るのもあやしい、ズル休みじゃないかと
それまで疑っていた子たちにも
ようやく事情をわかってもらえました。


***

陽の光を浴びられない子、
化学物質過敏症で他人と接触しづらい子、、、

世の中には、この他にも当事者にしか分からない
さまざまなつらい悩みを抱えている人や家族が
どんなに多いことかと思います。

知ること、伝えること、、、私にもできそうです。

***

沈黙の春』が世に出てから60年。
レイチェル・カーソンが警告したように、
化学物質による環境汚染は更なる深刻の様相です。
自然破壊は、当然ながら人間をも破滅に導く。
かの名著を再読しています。

陽の光を浴びられない子とその家族

国会中継を観ていたら、答弁の薄っぺらい言葉に、頭の中がショートしそうで熱くなってきました。お喋りしたいです。どなたか救いの手を!コロナに注意しながらランチはいかが~☆

こ~んな素敵なお誘いには勿論、気心知れたみんなが大賛成!!
アクリル板の仕切り越しに、久しぶりのお食事会です。
飲み物、デザート付きのランチ、そしてお喋り…
夫たちの噂や思い出話、食べ物のあれこれ、新体操の紹介、理不尽な国葬、、、
肌寒い雨の日でしたが、身も心も充たされた2時間でした。

***

食事会、買い物から戻り、「ミヤネ屋」のチャンネルを入れると統一協会(教会)の問題は既に終わっていて、テレビ画面には、砂浜で遊ぶ5人、、、
あ、「海陽(うみひ)」くんの家族!です。

~・~・~

ちょうど一週間前の深夜でした。
「陽の光を浴びられない男の子」のNNNドキュメントがありました。
太陽が沈んで暗くなって誰もいない公園で楽しそうに遊ぶ家族…。
胸打たれ、深く考えさせられた番組でした。

3人きょうだいの末っ子の海陽くんは、生まれて2ヵ月で難病の宣告を受けました。
「色素性乾皮症」という病気です。太陽に少しでもあたると、火傷のようになり膿んでなかなか治りません。それで、外へ出る時は日光を遮断する防御服が欠かせません。市販されていないのでお母さんの手作りです。車には特殊フィルムを貼り、手も足も露出しないように注意します。

でも、太陽を浴びない生活を続けても、6歳頃から必ず身体機能の低下が始まり、脳の萎縮が進行し、20歳頃までしか生きられないということでした。海陽くんが生まれて、初めて知った遺伝性の病気。治療法はまだ見つかっていないそうです。父親は、遺伝子治療の研究をしている全国の大学、病院を訪ねますが、薬の開発には莫大な費用と膨大な時間、、、治療の手だてがないという厳しい現実を知りますが、しかし、若い両親は、海陽くんのために何かをしなきゃ、できることを全力でやろうと立ち上がります。

「どんどん世の中へ出してあげたいな。
奇跡を待つのは嫌なので、
動いたパパとママでいたくて…」

今住んでいる浜松市すべての人に海陽くんのことを知ってほしい、多くの人に知ってもらって、治療につながる道を探そうと決意します。そして、今、海陽くんには友だちと遊ぶ時間もだいじかもしれない。そう考えて幼稚園を訪ねた両親に、「この子がいるからこそ学べることが他のお友だちにもたくさんある…」と園長先生。

二年後に受け入れてくれることになった園の子どもたちの前で、母親は1歳6ヵ月になった海陽くんの病気のことを話します。
「おとうさん、おかあさん、おにいさんやおねえさん、海陽のことをしらないおともだちにも、おはなししてほしい。」
父親も語りかけます。海陽くんを抱きながらこどもたちと一緒にかけっこもします。

 

海を照らす太陽のように輝く人になってほしい、
そんな願いを込めて名付けられた「海陽」。

その名前に更に深遠なる意味を感じずにはいられませんでした。

エノコログサ(狗尾草)にかくれんぼ

夕方、裏庭でエノコログサを見つけました。
一本、二本、、、あれれ、
気づかないうちに、あっちこっちに!

立派なのやら、中くらいの、小ぶりなの、
20本ばかり選んで、細長いガラス瓶に入れて
玄関の棚にかざってみたら、なかなかの趣です。

***

夕食の準備を終えて、また眺めたくなって見に行くと、
微かに何かが揺れ動いた気配??

薄暗い中で目を凝らすと、なんということでしょう。
小指よりももっと小さな生きものが、
エノコログサの穂の付け根に澄ましているではありませんか。
たぶん生まれて間もない…カナヘビの赤ちゃんです。

***

せっかくだからこのままにしておきましょうか。
いやいや、そろそろ夫が帰ってくる時刻です。

カナヘビは名前はヘビですが、トカゲの一種。
ヘビが大の苦手の夫は、トカゲ類も苦手、
こんなにかわいい赤ちゃんカナヘビでも
飛びあがるほどびっくりするのはまちがいありません。
(少々驚かせたい気もしたのですが、、、)

しがみついたままの一本を庭に戻すことにしました。

***

三日前のできごとです。
夫の知らない話です。

「理不尽」&「拝啓・安倍晋三様」

いよいよ今日から臨時国会が始まりました。
心を捉えた二つのコラム(北陸中日新聞)を紹介します。
どちらも「国葬」に関するものです。

***

国葬当日のコラム《言わねばならないこと》は、看護師の宮子あずささん。今から中止にできる可能性は低くとも、自分の意志を示し続ける意味は決して小さくない。市民の良識にもとづき最後まで反対しますと宣言する内容でした。

反対する一番の理由は国会の議決を得ていないこと、さらに、概算で十六億円ともいわれる費用。

「ある患者さんは、生活保護を受けるため、資産状況を細かく報告している。残高がわずかな通帳のコピーまで添付しているのを見ると、不都合な記録は「捨てた」と隠蔽する国への怒りが募ってくる。市民に対しては細かく報告を求め、厳しく審議する一方、政府の支出には審議も報告もなし。国葬はまさに理不尽の象徴である」と。

***

そして昨日のコラム《視座》は関口宏さんのサンデーモーニングでもおなじみ、法政大前総長の田中優子さん。

「拝啓安倍晋三様。国葬が終わりました。おかげさまで国葬までに実に多くのことが分かり、またあなたさまの言動を改めて思い出すことになりました。」から始まる1400字ほどの書簡文である。

 

国葬の問題点を、わかりやすく、丁寧に、的確に指摘し、
安倍政治に潜む「将軍的野望」、ファシズム誕生について言及する。
戦前の憲法に逆戻りさせる改正草案は、将軍的欲望が日本の歴史上実施してきた制度設計そのもの。それさえやっておけば、権力も権威も軍事力の増強も思うがままなのだと説く。

 

そして「私は日本がその道に突進することに決して同調せず、考え続け言葉を発します。二度と日本に将軍的野望が横行することのないよう、憲法が求める「不断の努力」を続けようと思います。」と宣言する。


~~「拝啓・安倍晋三様」より一部抜粋~~

国葬は、それを実施した主体が権力のみならず権威をその身にまとおうとする行動…その行為はまさに、あなたさまの生前の言動に直結しています。」

 ご自身の名前を冠する学校が建設されるのなら、国有地が安く売却されてもかまわなかったようです。

 国民のものであるはずの公文書も、ご自身の権力と権威を傷つけるものであるなら、書き換えるのは当然だったのですね。

 ご友人が望むなら国家戦略特区を都合する程度のことは当たり前で、支援者を増やすためなら宴会に税金を使うのも自然だったのでしょう。

 

 「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と、国民に向かって叫んだあなたの目に、彼らは何に見えていたのでしょうか?
「こんな人たち」が共産主義者などではなく、あなたの党の名称になっている「民主」主義を希求する「自由」主義者であることも、ご存じなかったのかもしれません。

 

 民主主義の根本である国会での議論も軽視しましたね。仕方ありません。あなたは家業を全うするために政治家になり、その努力の目的は国民のためではなく、共産主義者と戦って御祖父に褒めてもらうことだったのですから。あなたと強い絆で結ばれていた宗教団体と同じく、あなたにとって大事なのは「先祖」だったのでしょう。


***

「拝啓・安倍晋三様」によって、政治学者・片山杜秀氏(慶應義塾大学法学部教授)の発言、それを辿って、9月19日東京大学國分研究室の主催で、「国葬を考える」と題して開催されたシンポジウムについても知ることとなった。

パネリストは、政治哲学を専門とする國分功一郎教授、東大の石川健治教授(憲法学)、京都精華大白井聡准教授(政治学)、慶応大の片山杜秀教授(政治思想史)、同志社大の三牧聖子准教授(国際政治学)「全国霊感商法対策弁護士連絡会」代表世話人の山口広弁護士。(発言をネットで読むことができました)

いつのまに?椿

ミョウガは出ていないかと
先日、裏庭を探していたら、
あれっ?

植えたはずもない所に
ツバキが背丈を超えて繁っている。
茶色い小さな硬い実が二つ。

庭で育った紅い千日紅といっしょに
玄関の棚に並べておいた。

 

いつのまにか皮がはじけて
二つと三つ、
褐色の種が覗いてる。


ただ、
それだけのことだけど、
私の心も弾けて…

新聞…いろいろ

台風一過、といっても、こちらでは雨も風もたいしたこともなく安堵。
一晩で夏は終わりを告げ、一気に肌寒くなりました。


21日の北陸中日新聞には、共感し、読み返し、ブログに書きたい材料がいろいろありました。

・アフガンの実話をもとに書かれた絵本「アフガニスタンのひみつの学校」

福井県敦賀市にオープンした「ちえなみき」、知恵、千枝、並木、幹、木、波、、、

鎌田慧さんのコラム【懲りない面々】には代々木公園での「さよなら戦争 さよなら原発 国葬反対」集会

津軽三味線奏者の永村幸治さん(陰ながら応援しています)のライブ

・国体選手団200人の結団壮行式で旗手を務めるのはテニス選手の板谷里音さん。津幡ジュニア教室から育ちました。

・くらしの作文「亭主関白の悲哀」は津幡町のNさん80歳。愉快です。


中でも注目したのは、【特報】面の沖縄県知事選のこと。
ネット上で、玉城さんを攻撃する荒唐無稽なデマ・フェイクニュースが飛び交ったこと。玉城さんが「旧統一協会系の団体の会合に参加しているとの指摘が写真とともにネット上に流れたが、写真は別の団体式典のもので、誤りだった。」
こうした事実誤認や歪曲を地元紙二紙が「積極的にファクトチェックしていることで抑制されているのではないか。」とありました。

若い人は新聞離れが加速しているらしいのですが、まだまだ新聞の影響力は非常に大きいと思います。
沖縄知事選について13日の各新聞は、どのように報じているのでしょう。
翌日の夕方、図書館へ出かけて各紙を閲覧しました。(こんな時、図書館はとても便利!なのです)

 

北陸中日新聞

1面 トップ記事は金沢を巡るLGBTQの旅、中段に『沖縄知事に玉城氏再選、自公系破る 辺野古移設反対訴え』、下段コラム「中日春秋」
2面 【核心】では『辺野古反対、民意三たび、「唯一の解決策」政府動かず』
5面 社説『辺野古「反対」民意と誠実に向き合え』


朝日新聞

1面 トップ記事『辺野古反対 玉城氏再選』、「天声人語」(沖縄の詩人・新城兵一さんのつづった一編が紹介)
2面、『移設ノー 知事選3連勝』(2010、2014、2018、2022年の4回の選挙の対立の得票数も明示)
10面 社説『県民の意思は明らかだ』
30面 有権者の思い


毎日新聞

1面 トップ記事『沖縄知事 玉城氏再選 反辺野古移設3連勝』、「余禄」
3面 クローズアップ『辺野古阻止へ活路検索』
5面 社説
30面 『埋まる海 変えぬ「ノー」』


讀賣新聞

1面 トップ記事は『サイバー 積極防御へ』、
辺野古反対 玉城氏再選、沖縄知事選 政府は早期移設方針』
3面 社説『不毛な対立を国と続けるのか』
4面 『辺野古工事 政府「粛々と」』『名護・宜野湾 佐喜間氏得票上回る』『移設 野党間にも温度差』


日本経済新聞

1面下欄 「春秋」(「沖縄に対しては国はいくら報いても過ぎることはない」の山中貞則総務長官のの言葉を紹介)
2面 社説『安保論議へ沖縄の民意は重い』「...岸田政権になっても、基地負担の軽減を求める沖縄と話し合いの機運が醸成されないのは残念…政府は防御政策の見直し作業や日米協働を通じ、抑止力を維持しつつ、沖縄の負担を大きく減らす環境をつくり出すことに全力を挙げるべきだ」
また、「玉城氏の得票率は8年より落ちたものの5割に達し、票数で佐喜間、下地両氏の合計を上回った」とありました。(デマやフェイクニュースにも負けずに、、、)


北國新聞〉(県内で最大のシェアを占める地元紙)

2面 社説『辺野古移設計画 政府の真摯な説明さらに』

 

☆閉館間際の時間が迫り急いだので、もしかして…見落としがあるやもしれません。

岩井文庫の中に「銀の滴降る降るまはりに」

2003年は知里幸恵さんの生誕100年でした。
そして昨日は…没後100年の命日でした。

今夜の名著は~銀の滴降る降るまわりに~

***

23年前、知里幸恵さんのことを記した文があります。
図書館が開館して三年目を迎えた平成10年の暮れのことです。
津幡町文化協会の木上紫雲さんから文集の原稿をと依頼されました。
「岩井文庫の紹介もかねて…1月半ば頃までによろしく」とのことでした。
当時、菊花、写真、俳句、絵画、盆栽、川柳、詩吟、民謡、吹奏楽、版画、陶芸、囲碁、華道、水墨画、歌謡、大正琴、茶道、山草会、、、各部会の皆さんが熱心に活発に活動されている協会です。
内心、私には荷が重かったのですが、これも図書館のことを知っていただく機会と思ってお引き受けしました。木上さんのにこにこした丸いお顔、懐かしく思い出されます。


☆~岩井文庫目録づくりを終えて~☆

「銀の滴降る降るまはりに、
金の滴降る降るまはりに。」
といふ歌を静かにうたひながら
此の家の左の座へ右の座へ
美しい音をたてて飛びました。
私が羽ばたきをすると、
私のまはりに美しい宝物、神の宝物が
美しい音をたてて、落ち散りました。

 これは、知里幸恵さんという二十才(ママ)の若さで亡くなったアイヌの女性が記録したアイヌ神謡集の中の一節です。
 以前から一度読んでみたいと願っていたアイヌ語と日本語で書かれたその一冊を、岩井文庫の中に見出した時、胸が痛くなるような感動を覚えました。
 本の間には米原から金沢までの特急券が挟まれていました。岩井先生も、車中でこの本を手にされていたのではと思い巡らすと、時を共有しているような懐かしささえ感じます。
 幸恵はその序文で語っています。

「その昔此の広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活してゐた彼等は、真に自然の寵児、何と云ふ幸福な人たちであったでせう。・・・時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく。…愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用ひた多くの言語、言ひ古し、残し伝へた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものとともに消失せてしまふのでせうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。…」

 彼女の存在なくしては、金田一京助博士のアイヌ語の膨大な研究は成り立たなかったかもしれない。病身の身でありながら、「口承伝承」のユーカラというアイヌ文化の魂を後世に伝えることに一人の若い女性が一身を捧げたのです。
 表紙も破れかかり、日焼けして赤茶け、ようやく本の体裁を保っているその小冊子から、気高く、健気な精神が光を放ち、幸恵の深い眼差しが語りかけてきます。

 岩井文庫は、故岩井隆盛先生(金沢大学名誉教授)の蔵書約四千冊をご家族より寄贈いただいて、図書館の事務所奥を書庫にして整理していたものです。
 図書館オープン後、間もない時期から他の図書館業務と並行した形で進めた作業なので、精神的にも大きな負担となったのは事実です。が、二年かかってようやく目録完成を迎えた今、貴重な資料を蔵書に加えてくださった岩井先生に深く感謝しています。
 図書館のスペースの関係上、福祉センターの図書室に岩井文庫として設置されますが、一部、郷土資料等は図書館で活用する」予定となっています。
 文庫は外国語も含め、種々の語学辞典、民俗学や方言など言語学の分野の専門書が殆どですが、朝鮮やアイヌに関したものなど小さな図書館では到底購入し難い資料が含まれ、求めてまで読む機会がなかったかもしれないそれらの資料に触れていただく好機となることが期待されます。

 「だれもが利用しやすい、親しまれる図書館、しかも信頼される図書館」をめざしてスタートしてから、はや二年八ヵ月が経ちました。
 平成7年の時点では、県内41市町村のうち図書館未設置町村は津幡町を含めて6町村。翌8年7月、ようやく誕生した町の図書館は、NTT事務所あとを借り受けてオープンした、しかも総床面積357㎡のまことに小さな施設で、蔵書も僅か一万二千冊でしたが、現在、ようやく三万冊近くになりました。

 図書館は基本的人権のひとつである「知る自由」を保障することについて全面的に責任を負う機関です。
 小規模館ながらも、利用者からのリクエストには何らかの形で必ず応えるという姿勢を基本にしています。どんなことでも何か知りたい時は、図書館へ来れば必要な資料や情報が得られるのだと期待され、理解されつつあることは、本当に嬉しいことです。
 本の貸出しだけで、一日平均100人を超え、雑誌や新聞を見たり、調べものに立ち寄った方などを含めるとかなりの方が図書館を利用していることになります。図書館が本と出会うだけでなく、人と人がふれあい、心通わす場ともなっています。

 真の豊かさが求められている今、図書館の果たす役割は非常に大きいものがあります。民主主義の原点と言われている図書館、今は確かに小さいかもしれませんが、その図書館を育てていくのは、私たち町民一人一人の熱い想いではないかと思います。
 皆さまお一人お一人の声を大切にしながら、整備充実を図り、共に育てていきたいと願います。
 文化協会の皆さまのお力添え、心より願ってやみません。

(『文華 第11号』(平成11年3月発行)巻頭に掲載された拙文より)

 

***

いよいよ生暖かい風が吹き始めています。
台風14号、石川県には明日の未明最接近とか。
皆さまの所でもどうぞ大きな被害が出ませんように。

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。