すうさん、マー君のママさん、コメントありがとうございます。
胸打たれる二本の作品を続けて観たので、より一層、
かけがえのない日常が失われていく不条理をひしひし感じました。
あれから12年、
攻撃はさらに激しさを増し
過酷な状況の中で
子どもだったあの子たちは
どうしているだろう
生きのびているだろうか
10月の戦闘開始から
ガザ地区での死者数は【1万8787人】
罪もない一人一人の
生きる権利が奪われていく
テレビから流れるのは
爆弾の音、瓦礫の山、逃げまどう人たち、
血まみれの負傷者、横たわる子どもたち…
徹底した壊滅攻撃。
「ヒューマンアニマルズ」
パレスチナ人は人獣、人畜だと
驚愕の差別発言をイスラエルの大臣が発したという。
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昨日から『ガーダ 女たちのパレスチナ』(古居みずえ/岩波書店)を読んでいます。
2006年、映画『ガーダ パレスチナの詩』公開と同時に刊行された本です。
県内図書館では8館所蔵(県立、金沢市、白山市、小松市、能美市、津幡町、内灘町、石川高専)
18年前の本なので、いずれの館も書庫に眠っていることになっていますが、
もしかして、パレスチナ関連の特別企画展をされている館があるやも。
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以下、私の備忘録です。
“私はパレスチナの人たちの素顔を伝えたいと強く思うようになった。日本のマスコミから流れてくるパレスチナ像と、現実の情の深い、温かなパレスチナの人たちの姿が重なり合わないのだ。なぜかと考えると、たしかにニュースから流れてくる映像は、イスラエル軍との衝突場面、自爆攻撃現場、銃を持つハマスのデモばかりだ。……しかし現実のパレスチナ人は、素朴な人情味のある平和を望む人たちだ。占領による人間としての苦しみがなければ、闘おうという人たちではない。
ガーダという若い女性を通して、どういう形でパレスチナ人は今のように追われてきたのか、一人ひとりのパレスチナ人の生活と暮らしを見てもらうことによって、パレスチナの人々の姿が描ければいいと思った。そのために私は映画を作り、本を出そうと思った。……戦場だけではないパレスチナを、ひとつへだてれば人々の暮らしている日常があることを知って欲しい。”(あとがきより)
・・・目次・・・
Ⅰ ガーダの人生(1993~1998年)…婚約、第一次インティファーダ、結婚、出産
Ⅱ 故郷の記憶―ガーダの旅(2000~2001年)…第二次インティファーダ、祖母の年代の女性たちの戦争体験の聞書き
Ⅲ ガーダの日々(2001~2004年)…ウエブサイトで公開したガーダの日記
(インティファーダ➡パレスチナ人によるイスラエルの占領に反対する抵抗運動)石を投げて…
2001年春、聞書きのために訪ねたのは、ベイト・ハヌーンの広々とした農地、
初老の夫婦が迎えてくれた。
ウンム・バシームは67歳、
草刈りを終え、帰り道の荷馬車のうえで、熱い恋の歌を歌ってくれた。
*
あちらこちら、あなたの愛をさがしています
日が沈み、月が出て、
ずっと口づけしていても思いはつきない
たとえ何が起ころうとも
あなたから離れたくない
*
愛する人は私をおいて行ってしまった
素敵なスカーフのあなた
あなたに手紙を書いた返事はなかなか来なかった
エルサレムに行った美しいあなた
私は素敵な服を着たあなたに心を奪われた
草刈りに行った美しいあなた
馬車をひいている人に私は心を奪われた
*
(お客さんを迎えるときの歌)
こんばんは 私のお客さん
あなたからは香水の匂いがします
おはよう 私たちのお客さん
あなたのまわりで、美しい鳥が歌います
*
私たちの息子は皆、ハンサムよ
空を飛んでいくでしょう
男たちは皆、ハンサム
でもあなたは一番、ハンサムよ
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夫のアブ・バシームは農民であり詩人だ。彼は大学ノートにぎっしり詩を書いている。土地を取られた農民の悲しみ、イスラエル軍に打たれた若者の無念のきもち、故郷をしのぶパレスチナ人の想いを。
(2002年イスラエル軍によるパレスチナ武装派掃討作戦が展開、ガザ地区へも侵攻。彼らの家と土地を奪った。小麦を刈りたいが、戦車から撃ってくるので畑に近づくことすらできない。オリーブやオレンジの木も切り倒されてしまった)
私はこの土地に来た。それは悲しい土地だった
そこで私は緑にした。木を植えたとき、土地はしあわせだった
イスラエルはそこを去れといった
刈りをするときは、私の人生でもっとも幸せなときだった
どうして私に去れといえるのか?
多くの夜をときどき微笑みながら、ときどき涙ぐみながら、
そこに座ってときを過ごした
景色を見ているだけで満足し、どんなに長い時間、
起きていたのか夜の星に聞いてくれ
四十年間、それは私のモスクであり、祈ったものだ
四十年間、それは私の青春時代であり、働いて過ごしたものだ
四十年間、それは私の人生の魂であり、血であった
こんな状態なら私は死んだも同然だと、涙を流す夫に
「私たちが生きていることはいいことよ」と妻は言う。