小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

山の向こうから・・・(その3)

ほんとに、まぁ~なんと嬉しいことでしょう。
momo2448さんご家族のたいせつな思い出に繋がろうとは。
菜の花、だいこんの花、あざみ、あじさい、椿、ばらなど、
近年、花をかくようになったと、ある作品に書き添えてありました。
窓辺の花…どんなに素敵な絵でしょうね。

手元にある2001年10月8日のサイン入りの
『宮田耕二画集』(1995.8.31発行)には、
81作品が収録され、油絵6、墨彩画3、あとは水彩画。
その立派な画集を久々に開いて、《宮田耕二の世界》を味わいました。

* * *

「あとがき」にも感動しました。
代々農家で、美術などとは縁のない家系だが
なぜか子どもの頃から絵が好きだったこと、
少年時代からゴッホが好きで、
金沢の書店でゴッホの分厚い画集を見つけたが、
4円50銭のその画集が買えなくて、
20キロ離れた砂利道を自転車で通い、
一年間ほども立ち読みしたそうな。

「…少年期からずっと戦争の時代が続く。
当時の為政者は知らないうちに国民を戦争地獄へ
引きずり込んでしまった。
私も21歳で現役招集された。
だまされつづけた長い戦争のとしつき。
敗戦のあの日、本能的にこみ上げてくる解放感を
今でも忘れない。
あの暗い時代を経てきた私には自由や民主主義の尊さは
全くの実感である。日本の社会が自由で平和であることと、
その日本に住んで絵を描いてゆくこととを
切り離しては考えられない…」
大正13年生まれの宮田さんのこんな言葉も胸打ちます。

美術評論家美大教授、画家、画廊主、九谷焼絵師、俳人歌人
名だたる15名の方が、口々に、繊細で強靭、的確で大胆、自由、
速写の妙、水彩画の達人たるゆえんとともに、
謙虚で誠実で、明るく優しいお人柄の魅力を語っています。
石川美術会の会長としてアンデパンダン
(出品したい方すべてを受け入れ、審査をしない公募展)
の活動に尽力されていたことも知りました。

* * *

私はたった一度お目にかかっただけでしたが、
みなさんの言葉どおり、穏やかで優しい方という印象を受けました。

私の記憶の拠りどころとなっている
『ひと言・人・こと』カレンダーにはどうしたことか、
その日の記録が一行もありません。
宮田耕二さんにお目にかかったあたりの三日間、
『ひと言・人・こと』の記述がすっぽりと抜けていることに
今頃になって気づきました。
その三日間、私は何をしていたのか、妙なことです。
(図書館日誌を見れば謎が解けるのですが)

* * *

ふと、、、
図書館絵本クラブで活躍してくださっているお一人、
洋子さんのことを思い出しました。
常に水彩のパレットを携帯していて、
いつでも、どこでもスケッチを始めます。
子どもたちやお話会の光景があっという間に
あったかい作品に仕上がっていく。。。

もしやと確かめると、やはり、私の思った通り!
ベレー帽の良く似合うモダンな洋子さん、
アンデパンダン展の常連でした。
イタリアやフランス、国外のスケッチ旅行にも参加、
どんなに素敵で、ユーモアがあって、
みんなが大好きな先生だったか、、、尽きない思い出。
* * *

実は「山の向こうから~その2」は哀しくて、
自分の胸におさめておけばよかったかもしれないと、
ちょっと後悔していたのです。

次の窓が開かれるとは!
思いもよらないことでした。

人と人が、気づかないうちに出逢いの糸で繋がっていて、
絡み合ったり、ほどけたり、ほんとに不思議です。

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。