小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

今夜の名著は~『アイヌ神謡集』~

100分de名著は私のお気に入りの番組のひとつ。
司会の伊集院光さんの率直な人柄も好ましい。

さて、今夜は・・・と、新聞の番組欄を見ると、
なんと!『アイヌ神謡集』(知里幸恵)です。

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今年は知里幸恵没後百年。
中日新聞朝刊(8/30)の「この人」欄は木原仁美さん(48歳)でした。
アイヌ文化伝承者を紹介する記念館
知里幸恵 銀のしずく記念館》の館長に、5月に就任。
大おばの意志の強さを伝えたいと重責を引き受けられ、
アイヌ文化を発信し続けたいと決意されています。

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実は、8月、関連の本3冊を図書館から借りて読んでいたのです。

『銀のしずく降る降る』(1993.3/星の環会)
知里幸恵アイヌ神謡集への道」』(2003.9/北海道文学館)
そして、本田優子著の
『二つの風の谷』(1997.11/ちくまプリマ―ブックス)

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なぜ、これらの本を読んだかといえば…

7月30日、ラジオ深夜便で「アイヌ特集」があることを、
本田さん所縁の友人が知らせてくださったのです
所用で聞き逃していましたが、
「らじるらじる」で滑り込みセーフで聴くことができました。

国連が定める先住民の日、8月9日を前に放送された季刊深夜便
アイヌ文化との出会い~深夜便からイランカラテ~」、
ゲストはアイヌ文化を研究されている札幌大学教授の本田優子さんでした。

金沢市生まれ。北海道大学卒業後、萱野茂さんの助手として平取町二風谷に移り住まれ、現在は札幌大副学長。白老町ポロト湖畔に誕生したウポポイ(民族共生象徴空間)のこと、先住民族アイヌを対象にした「ウレシパ奨学金」のこと…夢の実現に向けて語るその温かい声に自然に引き込まれてしまいました。

『二つの風の谷』は以前にも読んだことがあるのですが再び。
優子さんがどうして二風谷に住むことになったのか、
アイヌ語塾誕生のこと、ニンニンケッポのこと、マスコミとのこと…
若い頃の優子さんの行動力、感性、人間性が実に魅力的です。


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いつだったか、知里幸恵生誕100年記念巡回展が
金沢で開催されたことを思い出しました。
もしかして…?

よかった~
『ひと言・人・こと』でみっけ!!
2003年9月7日(日)の記事です。

~☆~☆~☆~

図書館前のおやど商店街で「どまんなかフェスタ」がにぎやかに繰り広げられました。展示された石川高専建築科の学生たちの製作したさまざまな椅子を見てまわる。午後1:00~午後3時、町で開催された講演会を聞いてから、金沢市文化ホールで開催中の「知里幸恵生誕100年記念巡回展~自由の天地を求めて~」へ車を走らせました。

19歳という短い生涯を終えたアイヌの女性、知里幸恵を偲ぶ展示の数々・・・4:00~5:00まで順にじっくり展示会場を回る。緻密なノート、葉書や手紙に書かれた筆跡の息を呑むほどの美しさ。「親愛なる御父様御母様、ほんとうに久しぶりで手紙を書く事が出来て嬉しう御座います~」「愛する御父様御母様、お手紙を誠にありがたく頂戴いたしました。御両親様御壮健のよし、何よりも嬉しうございます~」・・・こんな書き出しで始まる長い長い手紙、びっしりと細かく書き連ねた文面には、彼女の細やかな情愛と優れた感性が満ち溢れていました。

実は、平成11年3月の「文華」(発行:町文化協会)に『アイヌ神謡集』の一節と共に知里幸恵の業績について紹介したことがあります。言語学者/故岩井隆盛先生の寄贈書約4000冊を「岩井文庫」として整理している過程で、赤茶けて今にも破れそうな『アイヌ神謡集』(大正15年発行)を見出した時の思いを綴った拙文です。

その貴重な小冊子と共に携えていったお陰で、受付をしていた浅野さん、アイヌの八幡さん(関東ウタリ会)と言葉を交わしました。おまけに、金子みすゞ生誕100年を紹介した「図書館だより春号」を持参したこともきっかけとなって、「生誕百年の出会い」として「軌跡重なる2人」が北海道新聞でとり上げられた記事を見せていただきました。

閉館間際、最後の来館者は石川TVディレクターの赤井朱美さん。「あらっ」と互いに偶然の不思議に驚きながら、喜びながら。展示は明日まで。(明日は赤井さん制作のドキュメンタリーが放映されます)

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。