名編集者である松居直さんの絵本編集には、
基本方針が二つあるそうです。
⁂絵本は子どもに読ませる本ではない。大人が子どもに読んでやる本である。
⁂役に立つ、ためになるだけの本は作らない。
もっとも大切なことは読み手と聴き手が”共に居る”こと。
読んでもらうことは、子どもにとって至福の絵本体験なにだと、
「読みきかせ」の意義について語っていらっしゃいました。
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ところで、絵本とは何か?
あらためて考えさせられた絵本があります。
それは、『ぼく』(谷川俊太郎/合田里美/2022.1/岩崎書店)
2月12日のETV特集で知り、すぐに図書館にリクエストした本です。
テーマは子どもの自死。
編集者、作者、イラストレーターが、
慎重にやりとりを重ねてできあがっていった絵本です。
谷川さんは「こんなに話し合って作る絵本は珍しい。初めて。
新鮮でありがたかった。細かいところまで、二次元で考えれば、
普通の俗世間では子どもの自死はたいへんよくないこと―
そうじゃない別の見方がこの絵本ででてくること
どうにかこの絵本で表現できたらいいなと思っていたから
それをテキストだけで限界があるんです
どうしても
だけど絵があると、そこが伝えられるというのは
すごく絵本のつよみ!!」と語っていらっしゃる。
また、読者に伝えたいメッセージは?
「一般的な読者に対していうことはできない
もし今死にたいと思っている子が
目の前にいて、こっちに話しかけてきたら
なんか言うことはあると思うけど
ひとりひとり全然違う人間関係をもっている
子どもたちに、一般的にメッセージっていうのは
言えないと思いますね。
今、意味偏重の世の中、だれでも、何にでも、
意味を見つけたがる、意味を探したがる
意味よりも大事なものは、
何か存在するってこと、何かあるってこと。
存在っていうことを言葉を介さないで感じとるってことが
すごくだいじなことと思う。
生きている上で、意味づけないでじっと見つめるとか
我慢するとかあるんだけど、
みんなそんなことはしなくなっているんですよ。
意味を見つけたら満足しちゃう。
そうじゃないものを作りたいとは思っていますけど。」
90歳の谷川さんの言葉は深くて、、、
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『ぼく』を開いていると、
『ぼくは12歳』の岡真史くんと重なります。
47年前の夏の夜、大空に自ら身を投じて命を絶った少年。
まるで『星の王子さま』の王子さまのようだった、
不思議な子だったと、母、百合子さんは書いています。
「私は、今でも息子の夢をよく見ます。夢の中で、息子はいつも、あの長いまつげの下の目で、少しはにかんだように笑っています。ああよかった、まだ生きていたんだ、と私はすごく嬉しくなり、今度は失敗しないぞ、と力一杯彼を抱きしめます。マーすけ、いったいどうしたの?どうして死んじゃったの?何がそんなに辛かったの?パパにもママにも言えなかったの?矢つぎ早に問いかけながら、私は息子を抱きしめます。息子が死んでから、私が一番たまらないのは、母親の抱きしめ方が足りなかったのではないか、と思う時です。…」
『ぼく』は、なぜ?と問い続ける母の涙に寄り添い、
抱きしめてくれる絵本のように思えます。
~☆~☆~☆~
ぼくは しんだ
じぶんで しんだ
ひとりで しんだ
こわくなかった
いたくなかった
…
…
~☆~☆~☆~
4月の「詩をたのしむ」読書会で、
一頁ずつ、順に読んで、話し合いました。
少年〈ぼく〉のつぶやきに違和感がある
透明感のある絵が美しすぎる
「生」と「死」の境界が見えない
試そうかなと思うぐらい、軽い
死に誘われそう
大丈夫だろうか
なんのための絵本
誰もが危うさを感じました。
出版社も慎重を期したからでしょうか、
「死なないでください」
と呼びかける編集部からの異例のあとがきが付されています。
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『ぼく』について考えをめぐらしながら
9ヵ月過ぎました。考えさせられる本でした。
図書館では『ぼく』の居場所を考慮する必要がありそうです。
絵本だから【E】コーナーと、機械的、便宜的に、
『ぼくはねんちょうさん』『ぼくはなきむし』『ぼくは…』
といった「ぼく」と隣り合わせにする本ではなさそうです。
どのコーナーが適しているでしょうか。
生きる、いのちを考える、生と死、、、
図書館員の深慮が求められるところです。
(E以外の別置記号が必要な絵本は他にもあるかもしれません)