五輪に続き、コロナ感染拡大が懸念されたパラリンピック。
祈る想いで観戦した。
パラリンピックのシンボルマークは、赤、青、緑の「スリーアギトス」。
「アギト」はラテン語で「私は動く」、
あきらめずに挑戦を続ける精神を表現しているそうだ。
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国枝慎吾さんをずっと応援している。
あのフェデラー、ジョコビッチ選手が
トップアスリートと讃えている国枝さん。
パラリンピック優勝!!
冷徹ともいえる厳しい表情で闘い続けた国枝さんが、
その瞬間、笑顔と共に、顔をくしゃくしゃにして、
こらえきれず号泣した。
主将としての重圧はいかばかりだったか。
俺は最強だ!と自分に呼びかけながらも、
これまでに何度も引退を考えたという。
常に挑戦し続けてきた国枝さんの胸中、
はかりしれない苦労、努力と忍耐を思い、
もらい泣きした。
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3年前、車いすテニス講習会・体験会に参加して、
初めて車いすテニスを体験した。
ラケットを持ちながら車いすを動かすのは至難の業だった。
ボールに追いつくことすらできなかった
「みんなにこのスポーツのファンになってもらうかが一番大事」
「僕自身が勝つことで、ちょっとでも貢献できたかな」
どこまでもボールを追う、みごとなチェアワーク!
車いすテニスの魅力を多くの人が知るきっかけになった。
彼の願いは十二分に届いたと思う。
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町協会主催の《つばた Toiya Tennis Festa》という大会がある。
亡き問谷武洋さんを偲んで、これまでに22回を重ねている。
ジュニア育成&車いすテニス支援を目的にした大会である。
ジュニアたちは、車いす選手たちの試合を見学しつつ、
交代でボールパーソンを務める。
この大会の発足は、夫が問谷さんと共に、
TTC(吉田記念テニス研修センター/千葉県柏市)を見学して、
そのすばらしい理念、施設に衝撃を受けたことが発端だった。
TTCとの親睦交流も実現、
協会員はTTCの「文化の高さ」を肌で感じる恩恵を得て、
私も数回この遠征に参加した。
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国枝さんは小学6年生の時、このTTCでテニスを始め、
今もホームコートとして練習されている。
2006年には、その2年前のアテネパラリンピックで優勝した
齋田悟司さんと国枝さんに会えて、握手してもらって、
大喜びした私たち。
私のとっておきのテニスバッグには、
その時の国枝さんと齋田さんのサインが残っている