小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

TTCとTTK

津幡町テニス協会は頭文字のTTK、
国枝さんが練習を始めた(公財)吉田記念テニスセンターはTTC
一文字違いというのもなにかのご縁でしょうか。

2008年、2012年、2018年、
ヴァン・ヴェール(仏語で緑の風)大会の遠征記録、
担当役員が腕をふるってまとめてくださって、
HPにしっかりUPされています。(夫も私もみんな、若い…)

協会の仲間たちが、TTC遠征を楽しみにしている大きな理由は、
吉田理事長夫妻にお目にかかれること、お話を伺うこと。

2018年8月18日に開催した津幡町テニス協会創立40周年記念行事は、
吉田宗弘・和子夫妻をお迎えして講演会、
10年前の企画に続く《テニスメッセージ2》でした。
広く声をかけ、県内各地のテニス愛好者、ジュニア、保護者、
テニスには無縁の方たちも大勢参加しました。

* * *

レーニングセンターは「みなさんの気持ちが集まる所」、
その必要性を、世界的視野に立ち、スポーツ医科学の重要性など、
ユーモアを交え、丁寧に語ってくださった吉田理事長。

TTCの目標を象徴した「4つのボール」のマーク、
そのひとつは《テニス・フォー・オール》

「テニスをみんなの幸せのために」!
初めての人、高齢者、車いすの人、
全ての人にテニスの楽しさを伝えること。

☆テニスは一人ではできない、相手があってこそ。
相手を尊重することの大切さ。

☆サービスとは、待っている相手に球を出してあげること。
その意味で、ダブルフォールトは失礼なのだと。

☆国枝さんとの思い出。
大学時代、授業に遅れないように朝6時からTTCにやってきたこと、
それは就職してからも続いたこと。オリンピック選手に選ばれて、
抱負を聞かれたとき、ご両親に述べた感謝の言葉。
反対を覚悟で、プロになろうとして相談に来たときのこと。

* * *

和子さんには、三つの質問が用意されました。
ニューミックステニス、ジュニアテニス、
絶頂期に引退された真相。

素敵な和子さん!
もっとお話を伺いたいのにと、
誰もが思ったことでした。


おふたりの「テニスメッセージ2」の記事詳細、
どうぞネットでお読みください。

* * *

そういえばいつだったか、『ひと言・人・こと』でも、
TTCについて記したことを思い出しました。

試しに、キーワード検索をしてみると、
2004年10月28日、12月11日の2回。少し補足すると…

10月、津幡に見えられた理事長にもお目にかかりました。
12月、TTCを見学した時には、国際交流や自然との共生、
スポーツ活動は文化活動そのものという考え、
花壇を世話するボランティアさん、音楽活動、、、
共鳴、共感することばかりで、私もつい、
センス・オブ・ワンダーの図書館」紹介をさせていただきました。
理事長の山とのつきあい、北欧での青春の思い出など、
懐深いお人柄に、TTCが一歩も二歩も近くなりました。

・・・・・

実は、夫には、和子さんとの思い出があります。
しかも、和子さんもそれを覚えていてくださったとは!
なんと嬉しいことでしょう。

昭和42年、全国都市対抗テニス大会(福井)の前日、
会場準備をしていた夫は、幸運にも、
和子さんのヒッティングパートナーとなりました。
当時、和子さんは高校三年生、16歳、
国内では頂点に立ち、その翌年からは世界への挑戦…。
30分ほどの練習だったそうですが、
その球威に驚愕したと言います。

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それから50年余りを経て、

「気のあった人たちと和気藹々とテニスをすることはありますし、
それは今でも大好きです。でも、勝つことが求められるような
ところに戻りたいとは思いません」

こんな和子さんの言葉も、私にはとても印象的なのです。

* * *

今年4月から、TTC橋本総業ホールディングスと
「テニスで健康なライフスタイルを創出」をテーマに
協働事業がスタートしたそうです。
(津幡ジュニアから育った斉藤貴史プロは、
橋本総業ホールディングスに所属してがんばっています)

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。