小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

桐生悠々の生き方

9月9日の中日新聞の社説は、翌日の10日が命日、
金沢出身の新聞人、桐生悠々についてだった。

「生涯言論人であり続けた悠々は私たちの新聞にとって、
進むべき「極北の星」のような存在です。
《今日の新聞は全然その存在理由を失いつつある》
悠々が最後に書き記したという一節は、没後80年の
新聞を担う私たちにも自問自答を迫ります」

* * *

その日の夕方のHABニュースも、悠々を偲ぶ10分間だった。
《でえげっさあ》の川崎正美さんが半年かけて作った歌は
桐生悠々に捧ぐ反骨のメロディー」


♪関東防空大演習を嗤う♪

信州の新聞社の一画に
古びた木の机が置かれている
反骨のジャーナリストが使っていたものだ
その名は桐生悠々
権力に媚びず
真実を書き貫いた男だ…


* * *

幸徳秋水、田中正三、
人々のために正しいことをやった人たちを、
後世の私たちが正しく評価するためにと歌を作った
亡き笠木透さんの志を、川崎さんは受け継ぐ。

国会でおかしなことが行われ続けているのに
何の問題もないかのように過ぎていく。
悠々が存命ならば、おおいに嗤うに違いない。
今、歌わなければならないと。

* * *

1933年(昭8)信濃毎日新聞の社説「関東防空大演習を嗤う」で
軍を批判して新聞社を追われた悠々が、
昭和11年に書いた文章がある。


「言いたい事と言わねばならない事と」(青空文庫より)

…言いたいことを、出放題に言っていれば、愉快に相違ない。
だが、言わねばならないことを言うのは、愉快ではなくて、
苦痛である。何ぜなら、言いたいことを言うのは、
権利の行使であるに反して、言わねばならないことを言うのは、
義務の履行だからである。…

…しかも、この義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う。
少くとも、損害を招く。現に私は防空演習について言わねば
ならないことを言って、軍部のために、私の生活権を奪われた。
私はまた、往年新愛知新聞に拠って、いうところの檜山事件に関して、
言わねばならないことを言ったために、
司法当局から幾度となく起訴されて、体刑をまで論告された。

…安全第一主義で暮らす現代人には、余計なことではあるけれども、
立憲治下の国民としては、私の言ったことは、言いたいことではなくて、
言わねばならないことであった。そして、これがために、私は終に、
私の生活権を奪われたのであった。…

* * *

言いたいことも、
言わねばならないことも、
自由に言えるのは平和憲法の下にあればこそ。
世の中が危うい方向に向かわぬためにも、
今、メディアの存在意義が強く問われている。
悠々の古びた机が語りかけてくる。

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。