いつかはお別れする日が来るとわかってはいたけれど、
いつもの眼差しそのままのお写真に、
いいようのない寂しさが募る。
あの美しい満月の夜、
座主祝(ざす いわい)さんは、
96歳の生涯を終えられた。
静かに眠るように逝かれたそうです。
3年前に先立たれた優しいご主人の元へ。
「祝」は、また女の子か~という周囲の声に対して、
お父上が名付けられたというめでたいお名前ですが、
「私はどうでもいいわい、の〈いわい〉や~」
それが、初めてお目にかかった時の自己紹介。
教師を退職された後、
婦人会活動、ボランティア活動にと、
熱心に取り組んでこられた女性リーダーは、
私にはいつも優しかった。
「なんであんたと友だちになったんやろねぇ」
と、年の差を笑いながらよくおっしゃった。
いつも好奇心いっぱいの方だった。
図書館の『ひと言・人・こと』が読めるようになるからと、
石川高専開催のパソコン講座にお誘いした時は、
今の私の歳を超えていらしたのだと、
あらためてそのチャレンジ精神に脱帽する。
『ひと言・人・こと』は、
特に夜のイベントの日は、9時半過ぎてから書くので、
アップするのはかなり遅い時間になってしまうのだが、
真っ先に誤字を見つけると電話が鳴った。
職員室の窓ガラスをトントンとノックして、
座主さん好物のブラックチョコを
よく差し入れしてくださった。
図書館の仕事を退いてからもなお、
あたたかく見守ってくださった。
次々とお菓子を出してくださるのは与吉さん。
コーヒーを入れてくださるのは祝さん。
炬燵に入って、おふたりの昔話を伺うのが楽しくて、
つい長居してしまうことも多かった。
座主さんとの思い出は尽きない。
『館報つばた』平成13年(2001)10月号の小欄「まちかど」、
76歳の座主さんの文を懐かしく読んでいます。
***
『心は年をとらない』何時かどこかで聞いた言葉がふと、
心をよぎるまま生来好奇心の強い私は、パソコンにチャレンジ
してしまった。
人権の基礎は自己決定である。それが動物との違いだ。
老年者にとって一番大切なことは自発性がまもられているか
どうかだとも聞いた。では、パソコンにチャレンジして
しまった私は?などと自問自答しながら今晩もパソコンを
前に、どこかからのメールは無いかと開いてみる。
あった、あった、異国に住む娘から「昨夜アメリカのテロ
があったので、今日は外出を控えるようにと言われ家の中で
読書しています」というのが来ていた。早速返信を打つ。
時差二時間の地に住んでいるのだが瞬時に届く不思議さ。
IT時代と言われてもよく理解できないままに子供とのメール
交換、小泉総理のメルマガ、町の図書館のホームページを
見るだけなのに何となく時代性が感じられて嬉しい。
七十歳代を生きている私は、全てに老人扱いを受け、物忘れは
するし、足腰も弱ってきたが『生きがいのなくなった人が老人だ』
の言葉に励まされ、覚えたての言葉『センス・オブ・ワンダー』と
『心は年をとらない』の言葉を胸に好奇心いっぱいで一日一日を
生きていこうとの思いを深めているのである。 (ざす)