小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

歴史を語るひと~かつおきんやさん&磯田道史さん 

磯田道史さんの「進言」に後押しされたのでしょうか。程なく協力車から宅急便へと大転換。津幡は金沢のすぐ隣町ですから、それほど影響はありませんでしたが、珠洲市などの遠隔地の図書館はかなり便利になったでしょう。コストの面でも影響があったかもしれません。

当時、県立図書館の協力車(移動運搬車)には運転手さんの他にたいてい県の図書館員が代わるがわる同乗していました。図書館長さんがご挨拶かねて同伴される時もありました。小さな図書館は相互貸借本が多く、いつも大きな段ボール、三箱以上あったように記憶しています。そんな機会を生かして「噂」の図書館を見学、みなさん理解を深めてくださったように思います。情報交換のみならず、日頃の困っていることなどの専門的なアドバイスをいただいたり、「人」と一緒に「温かい空気」も運ばれ、県と地域の図書館の連携が築かれていったようにも思えます。

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先日の「英雄たちの選択」は、牧野富太郎さんが主人公でしたね。

うずたかく積まれた本の山に囲まれて富太郎さんの貴重な声がありました。
「図書館へは行こうと思いませんでした。行ったのはこれまで一度か二度くらいのものです。もともと本が好きなものですから必要な本は置かんといかん」

研究のためにはお金に糸目をつけず、収集した書籍は、和洋を問わず4万5千点。(小さな図書館のスタートは1万2千点でした)湯水のごとくお金を使い、借金を重ねた富太郎さんの大正5(1916)年、54歳の時の月給は35円、借金は年収の70倍の3万円だったそうです。

あのダーウィンにしてできなかった「ムジナモの花」を大発見。
植物が好きで好きでたまらない、

「何時までも生きて仕事にいそしまん 
また生まれ来ぬこの世なりせば」

と詠む「植物オタク」には支援者も現れます。
全国各地に出かけては愛好家と交流し、採集協力者が増え、標本は40万点にもなったとは驚きです。

しかも、データを公開して社会知にする無邪気なる「開かれた植物オタク」は、磯田さんの尊敬するところ。いつもにこにこ嬉しそうな、学問をたのしくした人の~~磯田さんもあんな顔をめざしていらっしゃるそうな。

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20年前の講演会で、

「9歳の頃、学校図書館で出あった〈かつおきんや〉さんの作品が読めば読むほど面白かった」「しかも金沢の町を案内してくれたタクシーの運転手さんが〈かつおきんや〉先生の教え子の一人だった」

と話された磯田さん、きっと『天保の人びと』、『井戸掘吉左衛門』、『安政五年七月十一日』といった一連の作品を読まれたのでしょう。夢中になって、目を輝かせて読んでいる少年時代の姿が目に浮かぶようです。

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ところで、
4月20日(木)「かがのとイブニング」の【心に残る風景】では、奥村さんの“生涯の恩師との思い出”が紹介されました。

https://www.nhk.or.jp/kanazawa-blog/100/482988.html

今から70年近く前の1954(昭和29)年、社会科の調べ学習がきっかけで、 生涯、交流をつづけることになった担任の先生との思い出が綴られています。(お~、若き日の勝尾先生)


【俗名 井戸掘吉左衛門 天保十年七月 世話人連中】


金沢郊外の街道すじにどっしり立ってゐる大きな石に書かれた文字、これは何を意味しているのか?と、ひとりの教師と約二十名の中学三年生が、真剣に、たのしく、まるで謎解きをするように、歴史の真実を明らかにしていきました。生徒といっしょに勝尾先生自身も生き生きと歴史学を学んでいきました。


その実践が、15年を経て一冊の本となり、更に55年の年月が流れました。
ほんとうにすばらしい作品というのはいつまでも色あせず、さらに深みを増していく。

図書館の書庫に眠らせておいたままではもったいない。

久しぶりに勝尾先生の本を手にしてつくづく思いました。

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。