小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

酒井弥先生の「科学随想」⑱⑰

おやど商店街のNTT事務所跡を借り受け、1996年から2005年春まで開館していた「小さな図書館」の建物は、今もそのままに残っていて…買い物の行き帰り、車を走らせながら、いつものくせで、空っぽの図書館をちらりたしかめる。

建物横の駐車場入り口には今年もピンク色のバラがいくつも咲いていて華やかです。

玄関正面には今も電話ボックスがあって、珍しく誰かが電話していました。携帯が普及していないあの頃、大活躍した電話ボックス…。

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2001年から書いていた記録『ひと言・人・こと』を、改訂作業の名のもとに、『小さな図書館のものがたり』にせっせと移す作業は、現在、ようやく2003年5月29日。昔の古い記事に目を通してくださる方もいてほんとうにありがたいです。

https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2003/05/22/000000

友人からも『誰が言っても好きは好き』って?と嬉しい問い合わせです。

この機会に、意味深な「科学随想」、ご紹介しますね。
磯田道史さんがご覧になった「2003年春号」の掲載文もついでに。


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「科学随想⑱」~誰が言っても好きは好き~       (2003年夏号)

 自然科学と人文科学とのちがいの一つは、自然科学の表記には全く感情が
無いということでしょう。例えば、自然科学では、「好き」は誰が言っても
「好き」なのです。。「好き」は単なる記号にすぎないからなのです。
 でも人文科学では感情が重要な要素ですから次のようなことになります。
「あたし、Kさんから『君が好きだよ』と言われると、もううれしくてその
日は幸福で喜び一杯なの。でもSの奴に『君が好きだよ』なんて言われると
虫ずが走ってぞうとするわ。青大将に首すじをなめられた気分で丸一日憂う
つになってしまうの」このように人文科学は人類の生活、文化に関する分野
ですから人間のそれぞれの思いを大切にします。
 自然科学は「好き」には感情が入りませんから、誰が言っても好きは好き
なのです。冷たそうに思われますが、公平に判断できるところが特徴かもし
れませんね。      


「科学随想⑰」~皆んながそれぞれちがって価値がある~ (2003年春号)

 最近の教育分野で波紋を投げかけているものに、ゆとり教育があります。
ゆとりによって学力が低下したとか、勉強の時間が少なくなって将来が不安
だと問題になっています。ところが私はそうも思いません。それより諸悪の
根源は「悪しき平等主義」だと感じています。能力や才能は皆んながそれぞ
れ違っているのがあたりまえなのに、何でも同じにしようと考えるのが変で
すね。運動会のかけっこで同時にゴールするなど、その最たるものです。能
力、才能は違っていてよいので、スポーツ、音楽、理科など得意分野があっ
て当然です。どれが優れているかはそれぞれの考え方で誰も優劣はつけられ
ません。ゆとり教育とは自分自身の得意分野を見わける時間だと考えていま
す。そう思うと最近の若い科学者は特徴がありません。皆んな同じ考えで個
性がまるで無いのです。
 これこそ憂うべき現象で科学の発想を無くしてしまう根源ではないかと悩
んでいるこの頃です。

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。