小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

序文~『或る農学生の日誌』~『稲作挿話』

賢治さんが26歳の頃の9篇の童話が収録された
注文の多い料理店
その巻頭に透きとおるように美しい序文があります。

wuisizenさんからいただいたコメントで
三年前のブログを思いだしました。

https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2020/12/05/134222
(賢治の読書会~美しい序文~)

 

この機会に(中略〉の箇所もご紹介しましょう。

☆…ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです…☆

ちょうど百年前に書かれた序文。
こんなことがほんとうにあるような
ほんとうに見えるような気もちになって
私たちは賢治さんの童話の世界に浸るのです。


***

先日の読書会で読んだ『或る農学生の日誌』は、賢治さんが農学校の教師をやめ、羅須地人協会での活動を繰り広げた頃のもの。農学生の立場になりきって書かれた作品でした。幻想的な他の童話作品とは違いました。

「ぼくは農学校の三年生になったときから今日まで三年の間のぼくの日誌を公開する。…(中略)…
 けれども僕のはほんたうだから仕方ない。ぼくらは空想でならどんなことでもすることができる。けれどもほんたうの仕事はこんなにぢみなのだ。そしてその仕事をまじめにしてゐるともう考へることもみんなぢみな、さうだ、ぢみといふよりはやぼな所謂田舎臭いものに変わってしまふ。
 ぼくはひがんで云ふのでない。けれどもぼくが父とふたりでいろいろな仕事のことを云ひながらはたらいてゐるところを読んだら、ぼくを軽べつする人がきっと沢山あるだらう。そんなやつをぼくは叩きつけてやりたい。ぼくは人を軽べつするかさうでなければ妬むことしかできないやつらはいちばん卑怯なものだと思ふ。ぼくのやうに働いてゐる仲間よ、仲間よ、ぼくたちはこんな卑怯さを世界から無くしてしまはうではないか。」(「序」より)

実習のこと、旱魃の心配のこと、修学旅行の費用捻出で家族みんなが悩んだこと、激しい雨に稲が倒れどうしようもないこと…見聞きし、体験したことに基づいて書かれている「日誌」ゆえに、フィクションでありながら、ノンフィクションの切実さでぐいぐい伝わってきます。

***

関連して『稲作挿話』(1927年/昭和2年)も読みました。
親身になって教え、励まし、褒めて、
ごまかしのない言葉で語りかける賢治さん、
うなづく少年の様子が目に浮かぶ詩です。


☆~☆~☆

あすこの田はねぇ
あの種類では窒素があんまり多過ぎるから
もうきっぱりと灌水を切ってね
三番除草はしないんだ
 
……  一しんに畔を走って来て
  青田のなかに汗拭くその子……

燐酸がまだ残ってゐない?
みんな使った?
それではもしもこの天候が
これから五日続いたら
あの枝垂れ葉をねえ

…(中略)…

これからの本統の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から
義理で教わることでないんだ
きみのやうにさ
吹雪やわづかの仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んでいく勉強が
まもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
ではさようなら
 
……  雲からも風からも
  透明な力が
  そのこどもに
  うつれ……  

☆~☆~☆

通夜の席で、父政次郎さんが「あれが天才であることは若いときからとっくに知っておりました。しかし私ら家の者まで、世間といっしょになって、天才だなどど言っては絶対いけないと思っていました。」と言ったと何かで読んだことがあります。映画を観てから、賢治さんの最大の理解者は父親だったのだと思えるようになりました。

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。