小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

~澤地久枝さん~『発信する声』より(鶴彬の命日に)

澤地さんによれば、「斃死」、と呼ぶべき無念の死をとげた鶴彬。
命日の今日、かほく市の浄専寺さんでは第6回墓前法要が行われ、
歴史公園では、第25回鶴彬をたたえる集いが開かれるという。

今、手にしているのは澤地さんの『発信する声』(かもがわ出版/2007)。
15年前、かほく市での「鶴彬の記念講演会」で求めたサイン入りの一冊です。


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「…さまざまな悪戦苦闘ののち、鶴彬の没後満六十年の命日の日付で、復刻本は完成した。私家版の限定五百部。


  暁を抱いて闇にゐる蕾


彼の句の「闇」を意味する深いグレー、見返しは「暁」の色のくれないをえらんだ。復刻した人間が女であるという思いをひそませた装幀である。鶴彬の軍服姿と遺品をうつした写真は口絵にせず、カバーに白黒の印刷でおさめることにした。多くの未発表さくひんをくわえ、増補改訂の結果、二段組み496ページの本にまとまった。若干の誤植はあり、不備なところはあるが、気持ちのこもった美しいほんになったとあえて言いたい。一叩人氏にずっしり重い見本を手渡したとき、わたしの仕事は終幕をむかえた。いまは申し込みを受けて発送するうれしい忙しさに追われている。…」

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あー!ミスに気づきました。
前回のブログで、奥付までの4ページをうっかり見逃しました。


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2004年6月に発足した「九条の会」の呼びかけ人のお一人、
澤地さんは「正直な気持ちをこの一冊に吐露した」とありました。

年月がたち、私は視力がかなり衰えはじめているのですが、
その分、あの頃よりもっと丁寧に、一文字一文字を追う自分がいます。


2006年7月に長野市で開かれた第52回日本母親大会での記念講演の草稿、
9月の第8回日本民医連看護介護活動研究交流集会での記念講演記録、
11月3日、神戸市で開催された「兵庫県・はばたけ!九条の心」の講演記録は
会場のみなさんの熱い想いも伝わってきます。

黙っていればどこまで医療のお金、福祉のお金、文化に対するお金を削って、軍事費や米軍基地費用に回すかわかりません。
新聞に報じられないことは、起きなかったのと同じこと…日本中に平和を守ろうという必死な動きを何も報じないのは「マスコミの犯罪行為」と、澤地さんは断じます。


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「戦争がもたらす死と、生命の損壊は、今も終わっていない。辛いニュースがあいつぐ。枯葉剤ダイオキシン劣化ウラン弾、時限なし無数の地雷となるクラスター爆弾。世代をこえるその犠牲者たち。殺し合いの技術は高度化し、一部の人々を富ませ、被害者の惨状を無視して、さらに「進歩」をめざす。国の意志の裏には、資本の利益追求があることを考えたい。

 

一人の力は強くはなく、一人の声はささやかかも知れない。そのささやかな思いを互いに発信しあい、市民の新しい歴史をつくり出してゆく明日に、私は希望をつなぐ。

 

声高にはなるまい。悠々として笑顔で、しかし己が志はかたく守ってゆきたい。悲壮になる必要などない。私は何ごとにもあきらめず、思いは成就させ、ゆとりも遊びも斥けないで存分に生きてゆくつもり。

 

まだ好奇心はたっぷりあるし、多分、感性も涸れきってはいない。怒りのエネルギーも十分にある。」~《あとがき》より


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「戦争からよきことはなにも生まれない。
戦争に勝者はない、どちらの側の人びとも、
長い年月にわたって代償を支払うのだ、、、」

ウクライナの惨状、悲劇を目の当たりにし、
澤地さんの言葉が実感となってひしひしと伝わってきます。

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。