小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

キーワードは…「みんな」

朝から冷え込んで、時おり激しい雨風でしたが
今日は、袴田巌さんの『主よ、いつまでですか』
北陸学院大学ヘッセル記念図書館からの貸借本)の返却期限日だったので
どうしても出かけなくてはなりませんでした。

 

「雨にあわれませんでしたか」
マスクの図書館員さんが微笑みながら迎えてくれました。

「え~、え~、大丈夫でしたよ」

 

明後日が返却日になっている新訳版『動物農場』(金原瑞人・訳)がまだ手元にあるのだけれど、せっかく来たついで。館内を一巡して目に留まった3冊を借りました。坂本龍一さんの本は二度目です。

『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(坂本龍一/新潮社/2023.6)
『暮らしの図鑑 木のもの』(翔泳社/2021.11)
『扇子』(NHK美の壺」製作班編/2008.2)

 

「もうすぐ12月ですねぇ。明日もお天気が良くないみたいですから~延長しときましょうか」と、にこやかにもう一人の図書館員さん。



さりげないけれど温かみを感じる彼女たちの言葉に出逢って
晴れやかな、ほっとしたきもちになりました。

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建築と言えば、最近観たETV「最後の講義」の
世界的にも有名な建築家、伊藤豊雄さん(82歳)。
恥ずかしいのですが、初めて知るお名前でした。

・・・・・・・

野球のほうが大好きで
もともと建築家をめざしていたわけではなかった。

大阪万博の仕事を通して、
機能性、合理性を追求する近代建築への疑問が芽生えた。

1991年、47歳になって
初めての公共施設建築のチャンスが訪れて
その(博物館の)外観デザインはたいへん評判になったけれど
その過程で気づいたことがあった。

「本当に利用する人たちのためでなく
管理する人のための公共建築となっている。
これはなんとかしたいとすごく思った」

 

建築家とは?建築とは?
問い続ける伊藤さん。

 

受講者の質問にも真摯にこたえていらっしゃいました。

「今に至るまでパソコンひとつ使えない、原稿書くのも全部手書き。
AI技術が発達すればAIがやってくれるんじゃないですか。でも、
スケッチとか自分の本当に楽しいと思うものをかくのは
AIにはできないんじゃないか」

「心の安らぎを与えられる建築、一日中でも
そこにいると居心地がいいというような建築、
人々に生きる力を与える建築をつくりたい」

・・・・・・・

伊東さんは図書館建築にも関わっていらっしゃいました。

☆2000年にオープンした【仙台メディアテーク

☆2015年には【みんなの森 ぎふメディアコスモス】
 
みんなの森のコンセプトは「大きな家と小さな家」だそうで
「みんなのホール」「みんなのギャラリー」もありました。

東日本大震災後の三陸での「仮設住宅」とは異質の、木のぬくもりのある小さな家、憩いの場として「みんなの家」を提供。16棟の共同の家が造られたそうです)

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小さな図書館にも!!
自慢したい「みんなのへや」がありました。(現在のシグナスの図書館にも存続)

図書館オープンの翌年の1997年4月から《おはなし会、読書会、グループ研修などにどうぞ》と開放した小さな部屋です。これしかないと閃いた「みんなのへや」の名称にスタッフたちもすんなり賛同してくれました。

https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2021/04/04/224753 「みんなのへや」誕生)
https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2020/11/27/090446 「えほんのへや」の光景」)

絵本のじかん、つばた昔むかし、5つの読書会、手話や折り紙、工作、手芸などの講座など大活躍。文部科学省からのお客さまとも応対した、たった11.4㎡の小さな空間は、まさしく「みんな」のへや。国際交流員は「The welcome room」と英訳してくれました。

 

(24日中に間に合わず、一日遅れの投稿になってしまいました)

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。