小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

(その六)~つながった電話~

おもいがけない嬉しいことって?

ブログを読んだ友人からきかれました。
そうなんです、信じられないようなうれしいこと!

* * *

賢治の読書会の前日のことです。
それまでに三、四回、電話をしたけれど、呼び出し音ばかり。
ほとんどあきらめ気分で、これで最後にしよう~とかけたら
つながって!かけた本人がびっくりしてしまったのです。

「下道綾子さん、は、、、お元気、、、でしょうか?」

見知らぬ者からの不審な電話に、
受話器を手にした方はどんなに警戒されたことか。

いつだったかずいぶん前、新聞の訃報欄に「下道綾子」の名前を見て
はっとして、あの下道さんだろうか、それとも別の方だろうか…
それ以来、そのお名前が心にずっと留まっていたのです。


図書館に寄贈してくださった
『わが恵みなんじに足れり~点字で書いた日記帳』。
ご家族のこと、心優しいお子さんたちに恵まれたことなど、
ありのままに書かれているんですよ。
綾子さんと一度だけ電話で話したんですよ~~~

息子さんのお話では、あの2011年3月11日のその日、
綾子さんは救急車で運ばれ、その後、寝たきりになって、
83歳で永眠されたそうな。
新聞を見てから、かれこれ10年近くも経ったのでした。

あのお子さんたちが、元気に暮らしていらっしゃる。
おまけに、読んだことのないその本をぜひ読んでみたい、
姉や弟にも知らせようと思う、とおっしゃいます。

三日のその時、受話器を取ってくださったおかげですねぇ。
24年前のお母さんの本が、こんな形で今に繋がっていきます。

県立図書館の横断検索を利用すれば、
最寄りの図書館の在庫本がすぐわかるんですよ。
県外のどの図書館にあるかも調べられるんですよ。
私は声も弾んで、その方法を伝授しました。

* * *

これが、翌日、私が赤い靴が履きたくなった理由です。

刈込池の紅葉

木に触れると、電磁波の影響をアースとなって
地面に流してくれるそうで、よく木に抱きついているって、
ある方のブログにありました。

ついこの間、
私も、ハグして、ほおずりしてきたのです、ブナの木に。

前日も、翌日も雨。
その日だけが絶好の秋晴れ。

テニス仲間のWさんが計画してくださって
福井県大野市の刈込池へ行きました。

標高1100m、周囲400m、水深最大4.5m、
その昔、泰澄大師が、白山に棲んでいた大蛇をとじ込め(刈り込め)
たという伝説から名づけられたといわれる刈込池。
もう一週間早ければ、水面が黄や赤に染まる絶景が見られたそうです。

どの木も落葉し始めていて寂しげでしたが、
華やかさが薄れた淡い色彩のたたずまいも、
それはそれで心惹かれる美しさがありました。

それにしても、片道1時間半、標高差250mの山登り、
686段もの石段があるとはつゆ知らず、
登っても、登っても、まだまだ、、、
あ~もうだめ~~と思ったとき、

さぁっ~と透きとおった風が吹いてきて、
ブナやら、ミズナラやら、モミジやらの葉っぱが、
ぱらぱらっと吹雪のように舞い散って、
すっかり宮沢賢治の世界!でした。

 

これも、一週間の記録に入るできごとです。

宮沢賢治の世界に浸った一週間

おもいがけない嬉しいできごとがあって、
一週間前の秋晴れの日、
久々にeccoの赤い靴を履いてルンルン気分で、
読書会《宮沢賢治を読むつどい》へ。
細川律子さんを囲んで8人です。

いつものように、みんなで「星めぐり」の歌をうたい、
注文の多い料理店』の美しい序文を読んでスタート、
その日は『土神ときつね』。

あらら~~
ハイネの詩集を手にした、
おしゃれなきつねが履いていたのは赤い靴!

一方、粗野で荒々しい土神は、
きつねがついてしまった嘘を頭から信じ、
激しい嫉妬を抑えきれず、悲劇が起きてしまいます。

一本の奇麗な女の樺の木をめぐって繰り広げられる三角関係。
恋に身を焦がす姿が切なく哀しい物語でした。

* * *

昨日は雨の日、午後はスウさん宅へ。
細川律子さんを囲んで賢治の世界です。

『どんぐりと山ねこ』のワークショップは全員で。
一郎、山ねこ、馬車別当、栗の木、滝、きのこ、りす、
どんぐりたちやナレーター1,2,3…

とくべつの椅子(!)に掛け、律子さんの朗読は
『虔十公園林』、『ざしき童子のはなし』

これまでに何回も、聞いたり読んだりしてきた作品…
不思議なことにかえって新鮮さが増していくのです。

外は雨がざあざあ降っていたけれど、
30回目!の《賢治さんとくべつ紅茶》、
オカリナの音色がやさしい、薪ストーブがあったかい。

* * *

そして、今日も雨。
スウさんを囲んで、5人で読書会《詩をたのしむ》。
心に響くいろんな詩に逢えました。

『あなたにあいたくて生まれた詩』
『地球の上でめだまやき』『山崎るり子詩集』
『宇宙の片隅で』
ミツル・カメリアーノさんの絵本『ありがとう』

そうそう、きりりんさんからいただいたのは
昨日の『どんぐりと山ねこ』のステキな栞!
【一郎&山ねことどんぐりたち】の手づくり栞です。

* * *

賢治さんの作品を満喫した一週間の記録です。

トントンカチカチ・・・

(その六)を書く前に、
一昨日切り抜いておいた、文化の日憲法公布の日の中日新聞社説。

ショパン国際ピアノ・コンクールの話題から始まって、憲法の理念へと。右傾化や軍事化が進み、権力者がもはや民主主義的な統治を放り投げている。あらゆる分野に権力の介入や圧力が及んでいる。政治家が国民を侮り、いつの間にか、3S(説明しない、説得しない、責任をとらない)、3K(真実を~語らない、隠す、改ざんする)がまかり通っていると指摘している。《愛と平和と「紙鍵盤」と》の見出しがぐっとくる。
《3S+3K》、流行語大賞候補に入ってもいいのにな。

* * *

「来年の参院選と同時に改憲を、と維新はいいはじめてる。
緊急事態条項を憲法にますます書き込みやすい今の状況に、危機感つのるよ。」

リンクしているスウさんのブログ【紅茶なきもち】が訴えている。

「政府を信じられる人は、政府は私たちを守ってくれるもの、政府が国民にひどいことするわけないって思ってるんかもしれない。でもこの7、8年、政府がしてきたことよく見てほしいよ。」と。


地方の無所属を掲げる議員のほとんどが実はれっきとした与党です。多数を占める与党議員たちは身内批判をすることはない。党の指令にひたすら従う。その地方議員たちが地盤の支援者たちをがんじがらめにする。ひょっとして新しい風が吹くかも~、どうか吹いてほしい~と願うけれど、地方に行けば行くほどに強固なこの構図をくずすのは容易なことではありません。民主主義を阻む壁…。

衆院改憲勢力は完全に3分の2を超えた。来年は参院選。まだまだ伝え続けないとね。投票に行くことの意味、緊急事態条項を憲法に書き込むことの危険さなどなど。一歩一歩だね。なげたらいかん、なめたらいかん。トントンカチカチ、壁をくずそう。」

そうです!そうです!!トントンカチカチ・・・

* * *

スウさんのサクラ色とメロン色の憲法ブックレット

『わたしとあなたの・けんぽうBOOK』(2015.8)
『たいわ・けんぽうBOOK+』(2018.9)

なぜ改憲に反対しなけらばならないのか、
わかりやすく書かれています。

(その五)~点字図書館~

だいじに保管している一通の手紙があります。
点字とひらがなが併記された手紙です。

・・・・・・

つばた ちょーりつ としょかんちょー  ○○ さま

ぜんりゃく。
たいへん ごていねいな おてがみ ありがとー
ございました。 かげやま さんの ごこーい で
せっちょ が おめに とまったよー で おてすきの おりに
ごいちどく いただけたら うれしい です。
いしかわけんわ かく とどーふけんの なかでも
もーじん ふくしの たいへん すすんだ けんで
わたくしも なんどか おじゃまして おります。 もーじん
きょーかいの たなべ たつお しも すぐれた りーだー
です。 としょ PR の いんさつぶつ どーふー
します。 さしあげられず もーしわけありません。

         へいせい 10ねん 2がつ とおか
           にっぽん てんじ としょかん
            りじちょー ほんま かずお

・・・・・・

点字あればこそ~出会いと感謝と』(1997/善本社)の
著者、本間一夫先生からいただいたお手紙です。
その上、影山雅一さんのご厚意で、思いがけなく、電話で
お話することもできました。穏やかな、温かいお声…。

* * *

地域の公共図書館と同じく、視覚障害の方たちにとって
点字図書館はなくてはならない図書館です。
下道綾子さんも点字に出逢ったことで、その後の人生が
充実した豊かなものになりました。

視覚障害の方たちの心の灯である点字図書館は、
5歳で失明され、本の朗読を聞くのが大好きだった
本間さんが、1940(昭和15)年11月10日に創立
されました。その日の「図書館ニュース」創刊号の、
25歳の若き本間さんの言葉にその決意を感じます。

「権利において、義務において、
晴盲二つの世界があくまでも公平でなければならぬ」

* * *

発足当初の蔵書は、点字図書がわずか700冊。
本間先生の志を受け継いで、
日本点字図書館は、更に進化、発展して、
今では点字図書・録音図書をそれぞれ約2万数千タイトル
保有し、全国の視覚障害者に年間約15万タイトル貸し出す
日本最大の点字図書館となったそうです。

HPには、点字図書、録音図書、デイジー編集の充実、
新たな試みとして「サピエ図書館」システム、
館内バーチャル見学もあり、
親しみやすいキッズページもありました。

私が音訳ボランティア研修を受けたのは30年ほど前に
なります。時代と共に、録音図書制作方法もすっかり
変化していることを知りました。

(その四)~光の中を歩む子ら②~

『光の中を歩む子ら』の《手をつなぐ子供たち》に、
友人から招待されて出かけた温泉場でのエピソードがある。

「先生、ここのはけ口で小便していい?」
「こんな所で無作法です。便所へ行ってきなさい」

幸男は裸のまま便所へ行ったのだが、このやりとりが
たまたま入浴中の足利市の盲唖学校の校長、先生方の
耳に入った。

「この二人は単なる先生と児童の関係ではない。
さりとて家庭教師でもないらしい」

宿の主人から事情を聞き、品川さんに面会し、
学校へ招待したのだった。
遠足気分、心はずませ足利市に向った子どもたちだった。

講堂にはヘレンケラー女史の大きな写真、
生徒たちの心尽くしのご馳走が並び、
所々には美しい花が生けられている。

点字や判読や筆記などの熱心な実習、
荒城の月のピアノ演奏をする少女、

「皆さん、お互いに不幸な身の上でありますが、
その不幸を克服して、正しく、強く、朗らかに
勉強しましょう。私達も負けないで勉強いたします」

8歳から20歳までの盲学生たちは、こうして、
戦災孤児たちを歓迎し、慰め励ましてくれたのだった。

「彼等は心と心で握手した」

* * *

この本の初めには、女優、小暮実千代さんの序文が
あります。県内の図書館に所蔵されていなかったり、
この本を手にすることが困難な方のために、
小暮さんの飾らぬ、真心あふれる文を紹介します。

・ ・ ・ ・ ・

「この著書の中に一人の幼い戦災孤児(伊藤幸男さん)
と、私のめぐり逢いが書かれて居ります。私はこの因縁
ごとと申しますか、それをした事を感謝いたします。
 
 とは言うものの私がその当時の伊藤さんにした行為を
はっきり記憶して居りません。
 
 ただこんな事を書くと自慢話に聞えそうで気になる
のですが、私はそうした行為をする癖のようなものを
持って居る事を知って居ります。私がいい事をしたと
言う気持より先に、自分自身するべき事をささやかに
出来た自分自身の心の中まで洗われるような気持に
ほんの一時でもなれる事が何より嬉しいのです。

 そうした反面、幸福に過して居る自分に常に忘れがちな
感謝という気持を思い出させる様にして居ります。

 そういえば御著書にあるように終戦後の有楽町あたりの
戦災孤児、浮浪児の姿や当時大船撮影所へ列車で通って
居りましたが通路で煙草をひろったり列車を寝室に
ねむっていた沢山の子供さん達の悲しい姿によくぶつかり
ました。そんな時お菓子やお金をあげた事がありました。
そんな中に伊藤幸男さんにめぐりあったのかも知れません。

 幼い頃の伊藤さんに対して私がした事がそれ程幼い心を
打ったのでしょうか。

 私は本著を読み、こうした本にあり勝な誇張や固い教訓
めいたものがなく、光を求め乍ら不幸な幼い者達を美しい
魂の人々に育ててゆく愛情の記録が明るく淡々と物語られ
てゆく内容に心を打たれました。

 暗い重い悲しい運命をはね返しながら、若草のように
ぐんぐん育ってゆく姿の記録が目にしみる様です。誰でも
この御本を読む人は人間の可能性を読み取る事ができるで
しょう。あの有楽町の戦災孤児、浮浪児群の中から、今日
の伊藤さんを育てあげられた物語は、私は奇蹟の一つに
見えます。

 私は今伊藤さんと文通して居ります。そうして私は伊藤
さんの母の代わりになる事を約束致しました。私は日本の
映画の話を伊藤さんはアメリカの生活をお互いに交換して
居ります。

 この御本がより多くの世の親達に、又青少年達により
多く読まれる事を念じております。」

(その三)~光の中を歩む子ら~

1月14日、ぜひもう一冊を図書館に置いてほしいと、
二冊目の『わが恵みなんじに足れり』を届けてくださった
影山さん。その二日後には、

品川博著『光の中を歩む子ら』と
『鐘の鳴る丘 「少年の家」20年の記録』、
本間一夫著『点字あればこそ』
そして、『花びらの一片~中村久子女史特集』
など、貴重な本を寄贈してくださいました。

ほんとうに小さなできごとが、その後のご縁へと
繋がっていきました。

* * *

一ヵ月近く経った2月19日、寒い雪の夜のことでした。
影山さんから、ぜひ声をかけてほしいと依頼があったとかで、
県図書館長さんからお誘いをいただいて、
金沢のホテルの一室で開かれた小さな集会に出席しました。

《THE Y'S MEN'S CLUB OF KANAZAWA~THE SERVICE CLUB OF YMCA》
初めてその名を知った《ワイズメンズクラブ》、
影山さんはそのメンバーのお一人でした。

その日のゲストは、
日米間を行き来されているという
ウィスコンシン州教育庁長官付特別補佐官、
全米州教育庁長官連合協議会国際局・日本担当代表の
伊藤幸男さん。

『光の中を歩む子ら』、
『鐘の鳴る丘「少年の家」20年の記録』に
実名で登場し、手に負えぬ駄々っ子、
不良の卵のような、手のかかる少年だった伊藤さん。

戦災孤児の辛い日々、懸命に靴磨きをした思い出、
鐘の鳴る丘少年の家」の建設に従事されたこと、
苦学してアメリカに渡り、公立高校のスペイン語教師と
して長年教壇に立ったこと、現在は日本語教育の普及に
関わっていることなど、山あり谷あり、波乱のお話に、
戦争は二度と起こしてはならないのだと、その時、
強く胸に刻みました。

* * *

2年ほど前だったか、
戦災孤児たちのドキュメンタリー番組がありました。
国や大人たちから見放された子どもたち、
飢えと寒さの中、物乞いや盗みを繰り返し、
必死で生き抜こうとする子どもたちの姿に涙しながら、
もしや、、、と注意していると、83歳の伊藤さん!
あれから20年、あまりの懐かしさに、
当時の図書館長さんにも急いでお知らせしたのです。

***

『光の中を歩む子ら』の序文は菊田一夫さん。

「私の鐘の鳴る丘は架空の物語りであるが、
その物語りの理想を数々の困難に打ち克って
実現したのが品川博氏である。
そうして最終的にモデルになったが、
その努力と情熱に深い敬意を表すると共に、
孤児たちの幸福を祈らずにはいられない。」

♪緑の丘の赤い屋根
とんがり帽子の時計台
鐘がなりますきんこんかん~♪

多くの人の力を得て、
歌そのままの「少年の家」が実現したのだった。
熊沢蕃山の歌と、宮沢賢治
雨ニモマケズ、風ニモマケズ」の詩が
心の支えだったそうな。

* * *

「幸薄き子供達のために
あたたかき救いの手を差しのべ給える
世の人々に慎みてこの書を捧ぐ」

昭和33年発行の『光の中を歩む子ら』、
10年近くたち、あちこちより読みたい、ほしいとの
手紙や電話があるが、品川さんの手元にも一冊しかない。
出版元の講談社にも在庫がなく困っていたところ、
有志の力添えがあって昭和42年、
「少年の家後援会」より再版されることになったという。

津幡の図書館にある本は昭和61年発行の第6版。
県内では、他に県立図書館、能美市図書館が所蔵しています。
相互貸借で読むことができます。

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。