小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

(その三)~光の中を歩む子ら~

1月14日、ぜひもう一冊を図書館に置いてほしいと、
二冊目の『わが恵みなんじに足れり』を届けてくださった
影山さん。その二日後には、

品川博著『光の中を歩む子ら』と
『鐘の鳴る丘 「少年の家」20年の記録』、
本間一夫著『点字あればこそ』
そして、『花びらの一片~中村久子女史特集』
など、貴重な本を寄贈してくださいました。

ほんとうに小さなできごとが、その後のご縁へと
繋がっていきました。

* * *

一ヵ月近く経った2月19日、寒い雪の夜のことでした。
影山さんから、ぜひ声をかけてほしいと依頼があったとかで、
県図書館長さんからお誘いをいただいて、
金沢のホテルの一室で開かれた小さな集会に出席しました。

《THE Y'S MEN'S CLUB OF KANAZAWA~THE SERVICE CLUB OF YMCA》
初めてその名を知った《ワイズメンズクラブ》、
影山さんはそのメンバーのお一人でした。

その日のゲストは、
日米間を行き来されているという
ウィスコンシン州教育庁長官付特別補佐官、
全米州教育庁長官連合協議会国際局・日本担当代表の
伊藤幸男さん。

『光の中を歩む子ら』、
『鐘の鳴る丘「少年の家」20年の記録』に
実名で登場し、手に負えぬ駄々っ子、
不良の卵のような、手のかかる少年だった伊藤さん。

戦災孤児の辛い日々、懸命に靴磨きをした思い出、
鐘の鳴る丘少年の家」の建設に従事されたこと、
苦学してアメリカに渡り、公立高校のスペイン語教師と
して長年教壇に立ったこと、現在は日本語教育の普及に
関わっていることなど、山あり谷あり、波乱のお話に、
戦争は二度と起こしてはならないのだと、その時、
強く胸に刻みました。

* * *

2年ほど前だったか、
戦災孤児たちのドキュメンタリー番組がありました。
国や大人たちから見放された子どもたち、
飢えと寒さの中、物乞いや盗みを繰り返し、
必死で生き抜こうとする子どもたちの姿に涙しながら、
もしや、、、と注意していると、83歳の伊藤さん!
あれから20年、あまりの懐かしさに、
当時の図書館長さんにも急いでお知らせしたのです。

***

『光の中を歩む子ら』の序文は菊田一夫さん。

「私の鐘の鳴る丘は架空の物語りであるが、
その物語りの理想を数々の困難に打ち克って
実現したのが品川博氏である。
そうして最終的にモデルになったが、
その努力と情熱に深い敬意を表すると共に、
孤児たちの幸福を祈らずにはいられない。」

♪緑の丘の赤い屋根
とんがり帽子の時計台
鐘がなりますきんこんかん~♪

多くの人の力を得て、
歌そのままの「少年の家」が実現したのだった。
熊沢蕃山の歌と、宮沢賢治
雨ニモマケズ、風ニモマケズ」の詩が
心の支えだったそうな。

* * *

「幸薄き子供達のために
あたたかき救いの手を差しのべ給える
世の人々に慎みてこの書を捧ぐ」

昭和33年発行の『光の中を歩む子ら』、
10年近くたち、あちこちより読みたい、ほしいとの
手紙や電話があるが、品川さんの手元にも一冊しかない。
出版元の講談社にも在庫がなく困っていたところ、
有志の力添えがあって昭和42年、
「少年の家後援会」より再版されることになったという。

津幡の図書館にある本は昭和61年発行の第6版。
県内では、他に県立図書館、能美市図書館が所蔵しています。
相互貸借で読むことができます。

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。