小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

明日は選挙に行こう!

(その2)に続く(その3)を書こうとして、
図書館書庫に眠る本を借りてきて読みなおしていると、
昭和23年、著者が二人の少年を伴い、ある代議士の斡旋で、
国務大臣に面接するくだりに目がとまった。

昭和33年発行、昭和42年に再版された一冊、
《鐘の鳴る丘 少年の家》を建設された
品川博さんの著作である。

・・・・・

まず第一に、食糧を十分に与えよ。満腹こそ、最大の教育である。
二番目は、自由を与えよ。
第三に希望を持たせ、温かい家庭を与えよ。
第四に彼らを強く愛すると共に、彼らにも人や動物や自然を
愛することを知らせまなければならない。
第五に刈込主義をやめて小鳥の巣箱式救済法を考えよ。

《浮浪児を救う道》と題した意見書も提出すると、

「偉い人とは高位高官や金持ちの人ではない。
正しい人の道を歩いて世の中に尽す事だ。よく、
先生のことを聞いて立派な人になりなさい。」

大臣は激励の言葉を与え、10分ぐらいの面接が終わった。

これだけのことなら、
善処すると答えた大臣に別に期待したわけでなし、
子供達は大臣の言葉を大事に心の底にしまっていたで
あろうから、別に大したことではなかったが、、、

翌年の正月の朝だった。
「先生ッ―」と幸男が新聞を掴んで飛んできた。
昨年会った国務大臣収賄の疑いで刑務所に収容された
という記事が写真入りで大々的に報道されていたのだった。

少年たちは、どうして偉い人が、、、と質問する。
偉い人というのは、、、と先生が答えると、
同じような事をあの大臣も僕達に言ったよねと
子どもたちはしっかり覚えている。
半年前に面接して、胸にきざみこんだ激励の言葉を…。
少年達の立派な心の偶像と誇りは無残に打ち砕かれた。

《日本は敗戦後、上下をあげて混乱時代となり、
政界、官界、経済界、すべてにわたり腐敗堕落を極めた
のである。…昭電事件を筆頭に大小の事件引きもきらず
元総理大臣を始め何々大臣、何々大臣と政府の高官や
政党の長老が七人も八人も入れ替わり立ち替わり
小菅の刑務所へ収容されたのである。そのため一時は、
刑務所の中で小菅内閣が組織されそうだとまで悪口を
言われ、全く正直者は馬鹿を見る世の中だった。》

《明るい政治を、正直者が馬鹿を見ない政治を、
弱いものが幸せになれる政治を、ひたすら願うものである。
子供達も見ているのだ。再び「刑務所には大臣室があるの」
等の質問を子供達にさせないようにして貰いたいものである》

・・・・・

品川さんの言葉を反芻している。
今の日本は73年前と変わっていないのではないか。

2015年、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の
奥田愛基さんたち学生、世代、性別を超えた多くの人たちが
国会前に集まった熱い映像が蘇ってくる。
憲法の主人は自分たちなのだ!とこの時、ようやく知った。
総理大臣、国会議員、公務員、、、権力の行使に関わる人たち
こそ、憲法遵守義務があるのだと知った。

明日は衆院選投票日。
痛みの声を聴く人を!謙虚さ忘れぬ人を!
ひとり一人の思いの積み重ねが結果となる。

29日、故赤木俊夫さんの妻、雅子さんは、事件のことを
多くの人に知ってもらいたい、赤木ファイルを忘れないで!
選挙の前に!と大阪地裁に提訴した。
モリカケ、桜、学術会議介入、、、政治への不信は
増すばかりである。

「情けない話だが、政策以前の倫理を問う選挙だと思う。
ウソは言わない、記録はいじらない。
このレベルが担保されねば、どんな政策も意味はない。」
ある記者さんの言葉、もっともだと思った。

真に信頼できる候補者であるか、
その一点で投票しようと思う。

点字で書いた日記(その二)

《わが恵みなんじに足れり》は、聖書の一節。
ヘレンケラーの心境と通ずる「ことば」として大好きな
この言葉を、綾子さんは本の題字に選ばれたそうな。

平成10年1月10日の夜、最後まで読み終えてから、
私の率直な感想を添えて、寄贈お礼の手紙を書きました。

* * *

それから一週間ほど過ぎた夕方でした。、
ひとりの男の方が訪ねてみえたのです。
下道さんから相談を受けて、出版、送付に尽力された
印刷会社/アート企画の影山雅一さん。

影山さんによれば、
多くの方に読んでもらえるようにと、県立図書館の
アドバイスを受け、全国の図書館に送ったそうで、
規模の大きさだったか、人口の多さだったか、、、
10万という数字がぼんやり記憶にありますが、
はて、どうだったのでしょうか。

その時、見せてくださったのは、
各図書館の担当者から届いた寄贈受取りの葉書や文書。

・・・・・・・・・・

*寄贈いただいた資料の取り扱いは
図書館に一任いただく。

*蔵書として受け入れない場合、
やむを得ず廃棄処分することもある。

*お預かりした資料の返却はしない。

・・・・・・・・・・

ほとんどの図書館が、このような内容でした。
これは予想外だったようで、
非常にがっかりしていらっしゃいました。
でも、現実にはさまざまなケースの寄贈本があり、
図書館の所蔵能力に限界があるのも事実なので、
こうした対応は理解できないことでもありません。

そうした中で、
津幡図書館と秋山ちえ子さん、
全国でたった二つ、下道さんのもとに届いた礼状は、
本当に嬉しいものだったそうです。

ぜひ直接に!と、突然、携帯を渡され、
下道さんとお話したこと、懐かしく思い出されます。

* * *

今、ネットで調べてみると所蔵しているのは112館。
北海道から沖縄まで、120冊近い本を全国の図書館に
送る作業は、どんなに大変だったことかと想像します。
全国の県立図書館のうち、17館が所蔵しています。
他は?とふと気になりました。

点字で書いた日記(その一)

人知れず図書館の書庫に眠る本を紹介するのは、
その本に関わった者の仕事であるような気がしていて、
いつかその物語を紹介しなくてはと考えていました。

「文字は…光に」(7/20)
「手さぐりの子育て日記」(10/11)
が、その気持ちを後押ししてくれました。

それは、下道綾子さん(金沢市)の

『わが恵みなんじに足れり~点字で書いた日記』
(1997.12.25発行/非売品/アート企画印刷)

* * *

本に添えられてきた「挨拶文」は、
見返しのところに挟んであります。

「…このたび点字で書いたありのままの生活記録を
活字図書として出版いたしましたのでお贈りさせて
いただきたいと存じます。…とかく自伝的な図書は、
自慢話が多く、都合の悪いところは省略してあると
言われていますが、私の場合、読まれる方々に
少しでもご参考になる点があればと思い、恥じ話や、
失敗談もありのままに載せておきました。この本が
一般の多くの方々にお読みいただければ幸いです…」

~ ・ ~ ・ ~ 

扉には、聖書の「ことば」

「わが めぐみ なんじに たれり
てんじで かいた にっき  したみち あやこ」

と、点字とひらがなが併記されています。

~ ・ ~ ・ ~ 

「六歳で母を、十五歳で父を亡くし、不自由には慣れていたが、
突然の失明はどうして生きて行ったらよいのか、
大学眼科の病室で死ぬことしかどうしても考え付かなかった。
しかし、見えなくなってからでは遅いのだった。
目が見えないというのは、足も悪いという事になる。
好きな所へ歩いて行く事も出来ないのだった。…」


結核性網膜出血という病気で20歳で失明した下道さんが、
点字と出会ったのは昭和23年、盲学校の寄宿舎での夜。
トントン、トントンと、部屋の隅から聞こえる軽快な音が
聞こえてきた…


「あれは何でしょうか」
点字を書いているのです。あの人は、日記を付けて
いるのです」

…傍らの友は、そう教えてくれた。私は幼い時から本を読むのが
好きだった。失明して、もう本は読めないのだと思った。
しかし、盲学校へ来て点字を知った。目が見えなくても、
本が読める。友等は「古今集」や「風と共に去りぬ」を
読んでいるではないか。大きな感動に胸を弾ませ、その本を
手に取って見た。どれが、どの時か、さっぱり分からない。
こんな難しい物が読めるようになるだろうか。
また、新しい不安が心を暗くした。…」

~ ・ ~ ・ ~ 

点字と出逢ったことで、小説以外にも、心理学、
育児書、童話など点字図書館から借りては読む。
山梨ライトハウスから回覧される婦人公論や婦人倶楽部、
点字月刊誌「点字の友」や「黎明」、、、

見えていた時は読まなかったノーベル賞受賞作品、聖書も
読むようになった。失明の苦しみが、読書のみならず、
短歌、俳句、川柳、文章を書く楽しみを教えてくれたという。

点字を読み、点字を書く。

文学方面だけではない。編み物や裁縫、生花も楽しむ。
姑さんに尽くし、マッサージをして、
三人のお子さんたちを立派に育てる一方、
福祉活動、婦人部活動にも積極的に参加する。

昭和55年10月18日の日記には、
点字図書館主催で、完成したばかりの手取ダム見学。
ボランティアさんとの気もちの通い合いも清々しかった。

~ ・ ~ ・ ~ 

「…湖底に沈んだ白峰村の桑島等はそっくり鶴来町へ移ったとか
聞いている。白峰という二字から受ける印象は平家の落ち武者が
隠れ住んだという気がするから不思議である。看護婦をしていた
頃、白峰村から来ていた患者がいて夏でも涼しい話等聞かされ、
行く機会が無いでもなかったのに、関心がなく、今思えば惜しい
ことをした。白山を知る機会を逸したのである…」

「私のパートナーは朗読奉仕者だった。控え目で細かいところまで
気を配っていると伝わってくるのだった。完成した建物の中に
入って、どのように説明すれば感じ取って貰えるだろうか。
言葉の貧しさをつくづく思う等とおっしゃるだけで有難く思った。
この白山水系の手取ダムに集まった水が石川県民を養うのである。」

* * *

「…何らかの形で役立つ人間になりたい。そういう想いが心の
隅にあって、こんな未熟な文章でも、何らかの参考になるところ
があれば、これに過ぎるしあわせはありません。…」
こんな下道さんの長年の願いがかない、ようやく、
墨字本として出版できたのでした。

自費出版の本には、
著者やご家族の深い想いが込められている。
面白いとか、うまいとかのレベルを超えた、
純粋で、切ない想いに共鳴する。
ましてや点字で書かれたという日記!

本が届いたその夜、私は図書館にひとり残り、
637ページの分厚い本を開きました。
ほんの数ページだけ目を通すつもりで、、、
ところが、、、

幸せなはずの家庭に降ってわいたようなご主人の浮気、
家庭裁判所、離婚調停、、、ため息つきたくなるような、
眩暈しそうな波乱の人生を、それでもたくましく
生きる綾子さん、優しいお子さんたちの姿に心動かされ、
とうとう、最後まで一気読みしてしまった本でした。

いしかわ文化の日に

三年前から、10月の第3日曜日は『いしかわ文化の日』。
その日は県内の美術館や博物館など、119の文化施設
入場無料の日ですって。今年は17日でした。

せっかくの機会~~~
そうだ、石川に移転されてからまだ一度も見ていない
国立工芸館へ行こう!
開館一周年の記念展が開かれている。
東京国立近代美術館で観て感動したと娘から聞いていた
《十二の鷹》はどんなんだろうか。

一週間前に、なんとか日時指定のオンライン予約完了。
当日は、あいにくの小雨の日だったけれど、
浮き浮き気分で、10時の電車に乗って、
バスに乗って、金沢の街をてくてく歩いて、
市役所庁舎前で開かれていた緑化フェスティバルを覗いて、

金沢21世紀美術館~石川国際交流サロンの3人展~
金沢ふるさと偉人館~石川県立美術館~国立工芸館~
石川県立歴史博物館。

* * *

これまで入る機会のなかった「ふるさと偉人館」では、
9月25日に始まった《跳ぶ哲学者 大島鎌吉》展。
初めて知ったお名前です。

三段跳びのメダリスト、毎日新聞記者、
4か国語を話す国際人、反核署名運動を推進、
東京五輪日本選手団団長、、、の足跡や、
哲学者と呼ばれる所以の語録の数々。
二階には世界新記録15m82㎝の実測も設置されていて、
何よりも、「ケンキチ愛」にあふれた館員さんの
行き届いた説明に心が満たされた。

鈴木大拙西田幾多郎藤岡作太郎中西悟堂、、、
館内の展示をゆっくり見て回った。

木村栄博士はZ項の発見者として有名な天文学者
たしか、宮澤賢治の「風野又三郎」には、
「木村博士は痩せて眼のキョロキョロした人」
「非常にテニスがうまい」と実名で登場している。
サーブ2本とも悪戯されて、腑に落ちない博士の様子が
面白可笑しく描写されているのです。

書人としての号は【千山】、
数え年4歳の書とは思えぬ『景運飛』に唖然!

* * *

県立美術館ではこれまで観ることのなかった常設展を
じっくり見て回った。

国立工芸館の作品はどれもすばらしかった。
ずらりと並ぶみごとな鷹に息を呑んだ。
松田権六さんのお仕事もとても興味深かった。

歴博は何度か訪れたことがあったが、
加賀・能登の祭りコーナーは初めてだった。

珍しい《ふきのと祭》、《十七夜祭り》、、、

《いどり祭り》はユーモアあふれる祭礼行事。
「いどる」は、非難すること、けなすこと。
当番が用意した丸い小餅、1mの大鏡餅を、
三角だ、ひびわれとる、薄っぺらいだの、
だらっとしてるだの、こんなひどい餅見たことない
などと難くせをつけ、最後は神主が仲裁に入って
収めるという珍しい神事。
そのやりとりが愉快で、再生ボタンを押しては、
繰り返し映像をたのしんだ。

祭礼体感シアターでは三面の巨大スクリーンに
青柏歳、とも旗祭り、お熊甲祭り、獅子舞、
あばれ祭り、、、
名人七人による御陣乗太鼓は圧巻だった。
躍動感満点の音と映像に酔いながら、閉館時間。

* * *

気ままに自由に、ひとり歩きのよくばり「文化の日」、

「いしかわ」を満喫した一日でした。

~・~・~・~
ところで、
「博物館法」の第23条

《公立博物館は、入館料その他博物館資料の利用に
対する対価を徴収してはならない。
但し、博物館の維持運営のためにやむを得ない事情の
ある場合は、必要な対価を徴収することができる。》

原則無料ですが、(但し)がありました。

「100年のアトリエ」より

図書館の広々~したへやに六人、
離ればなれの座席、
みんなの声に耳を澄ませながら、
図書館での久々の読書会「詩をたのしむ」。
(先月、先々月はスウさんの紅茶で読書会)
昨日も、心揺さぶるステキな詩たちに出逢いました。

まど・みちおさんの詩もありました。
やさしく、ユーモアに満ちた
100歳を生きぬいた方の言葉には、
宇宙があり、ものごとの核心に迫るものがありました。
* * *

《100年のアトリエ 画家/野見山暁治》(1月6日放映)~
無言館窪島誠一郎さん~水上勉さん~

不思議な小さな旅でした。
そしてぐるりと一回り、再び、野見山暁治さん。

…今中先生は絵が好きでね。
先生はとにかく絵を描く僕が可愛くてしようがないんだよ。
それがひしひしとわかって嬉しいのね…

野見山さんがいかにも幸せそうな表情を見せるのは、
小学校六年のときの担任、今中先生との思い出を語るとき。
わずか一年間の担任なのに、未だに忘れられず、慕い続ける。

僕を美術学校へ行かせたいばかりに、
中学へ行けよと、中学校の問題を教えてもくれたと、
100歳の野見山さんは嬉しそうに語るのです。

《100年のアトリエ》の
心にとまった言葉をメモしました。

~・~・~・~
僕の中に「これ」というものがあって、
それをみんなに引っ張り出して見せたくて、、、

波の音を聴いていると時間がどうでもよくなるね

なんかねぇ、途方に暮れてるの

普通の当り前の平凡なことを
だんだん歳を取ってくると思うようになる

亡くなった女房についてずいぶん優しい思いでいたけれど、
今になってみたら僕はひどい男だと思うようになった

今にして思えば、
何かやっぱりひとつ大事なものが欠けていたような気がする

人間というのはこの世の舞台
舞台に現れて踊って消えていくまで、それが非常に面白い

不幸だと思ってもその時の不幸の役をやって、
一幕終わって次の幕の時はもっと違うんだから
そうなってみると、
あのとき困ったことも嬉しかったことも
幸不幸なんて別に作り話だなと

どんなに辛くても
どんどんどんどん辛くなくなってきた
楽天的になってきた
ああ、みんな芝居の脚本通りじゃないかと

~・~・~・~

2007年~2017年、金沢21世紀美術館の館長だった
秋元雄史さんが、百歳記念展覧会の出品作を
一緒に選ぶ作業も愉快でした。

尋ねられて
「どっちぃ?」
ご自分でもどっちが上だかわからない絵。

白内障の手術後の絵もあった。
こんなかと思うくらい新鮮に見えると感激して
「今後は凄いことになるなと思ったら、、、
ひと月も続いたら、慣れて元通り」

筑豊の炭鉱、ボタ山、、、育った土地の絵。

手帳の色

ある方のブログに、来年用に見つけられたという
素敵な手帳のことが書かれていた。
一年間を共にするのですから、
気に入ったものを選びたいですね。

* * *
現在、私が使っている手帳は9㎝×17.5㎝。
昨年の12月28日のブログに書いた図書館の年末の
イベント《いいものグッズプレゼント》で残っていた
二冊のうち、幾分サイズが大きい方のもの。

町庁舎の工事関係会社からの挨拶がわりの手帳は、
会社のPR、鉄筋の径と断面積の表、印紙税額一覧表など、
その方面の方には役に立ちそうな頁がありますが、
ペンを挟むことができないし、記入欄も小さすぎ、、、
使い勝手が悪くて、今のうちに気に入った手帳を探そうと
思い始めたその時、ある番組を見たせいで(おかげで?)
思いとどまりました。

「栄光やお金はこの世のものだからね。
去る人はそういう物はなにもいらない…
例えば僕がこの椅子がとても好きでも、
僕の方から消えるから何ひとつ自分の物はない」

と、糸島のアトリエで、その方が身をまかせ、
好きだとおっしゃるゆったりした椅子の色が
小さな手帳の色ととてもよく似ている!!
何色と言えばいいのか、深い濃い青…ただその一点で、
私は不便な小さな手帳を手放すことができませんでした。

* * *

それは今年の1月に放映された、
「こころの時代~100年のアトリエ 画家/野見山暁治

100歳を迎える野見山さん、
穏やかで、柔和で、ふっと寂しげに遠くを見つめる。
飄々として、噓のない正直すぎるほどの言葉の連続に、
思わずくすりとしてしまった。

1970年代、戦死した画学生の遺族を訪ね歩いた…
その思い出話を聞いた時、え?もしかして「無言館」?
初めて「野見山さん」がその方だと一致したのです。

~・~・~・~

数年前の秋晴れの日、
「今から出かけようか~」
突然の夫の申し出に即座にOK!
新聞やテレビでも紹介され、
いつか訪ねたいとの願いが叶えられたのは、
私たちの結婚記念日。

1997年に開館した「無言館」をようやく訪ね、
一枚一枚の絵とゆっくり対面できました。
館主の窪島誠一郎さんの情熱にも感動しました。

~・~・~・~

「こころの時代」がきっかけで、
無言館」についてあらためて知りたくなって、
昨年の春は関係する本を読みました。

『「無言館」ものがたり』『無言館ノオト』
『「無言館」への旅』『無言館の青春』、、、
そして、『父への手紙』、
『親を愛せない子、子を愛せない親たちへ』、、、

窪島さんの波乱の生い立ちを知ることになり、
水上勉の作品にも繋がっていきました。

* * *

こんどは、手帳が「野見山さんを読みたい」のきっかけとなり
本をリクエストして、県立図書館から相互貸借で届いた2冊です。


☆『野見山暁治 人はどこまでいけるか』(平凡社/2018)

「欲張りや、名誉欲のある人は大きらい。
卑しい人、多いんだ。これまでそういう人と
手を結んだことはないし、付き合っている人が
そういう人だとわかったら、すぐに袂を分かつ。…」

九条の会》の役員でいらっしゃる野見山さんは、
平和はもっと過酷な戦いを覚悟しないと得られるものではない、
どうすればいいのか、、、と。


☆『100歳記念すごいぞ!野見山暁治のいま』(青幻舎/2021)
2021年開催の展覧会の約60点の作品が収録されています。

「ただ描いていた。やたら描きなぐっていた。
道路いっぱい、チョークで、どこまでも広がる。
埃だらけ、凸凹の画面。そのまま描き続けて、
いつの間にか百年たった。、、、」

行ってしまった/どこに居る/主役だろ/本当は言えない
誰だろう/早く決めよう/みんな友だち/振り返るな/ …

抽象画のタイトルが面白すぎます。

 

ETV特集より~手さぐりの子育て日記

ETV特集はいつも関心をもって見ている番組です。

つい先日は、《遠藤周作 封印された原稿》だった。
未発表の謎、父親との確執や、小説『沈黙』との
繋がりも考察されていき、とても興味深かった。

* * *
9月末に放映されたのは《のぞみ5歳~手さぐりの子育て日記》
今から35年前、1986年の番組の再放送で、
金沢市金石に移り住んだ鍼灸師のご家族の物語だった。

36歳、32歳の盲目の両親の、深い愛情に包まれて生まれた
のぞみちゃんを見守る5年間のドキュメンタリー。
「のぞみ」は生まれる前から、両親が心に決めた名前とか。

お誕生日、お買い物やお手伝い、入園式、
家族でかるた会、、、健やかに成長していく。
そこには、娘への深い愛があればこそ、
優しさだけでなく、厳しく、懸命な両親の姿があった。

* * *
おふたりの希望に満ちた言葉にも感銘を受けた。

どうして泣くんだろうかと、ふと電気をつけたら泣き止んだ。 
「うちの家族に見える人が増えた。電気が必要になったと感動した」
嬉しそうに語る繁男さん。

「目が見えることのすばらしさをあの子が教えてくれた」
初めてのところでも、あの子とならどこでも行ってみよう、
心細かったことが何でもないことのように自分の目が見える
ようになったみたいだと玲子さん。

18歳で完全に光を失ったけれど、
失明したあとの自分が好き、自分に素直になれた、
人の心の痛みがわかるようになった、と語る
玲子さんの言葉も心に沁みた。
 
* * *
友人が金石出身であったことを思い出した。
その近くに住んでいたと聞いて驚いた。
あれから金石もずいぶん変わってしまったから、
鍼灸院はどうなっているかしらんとのことだったが、
みなさんが今も幸せに暮らしていらっしゃいますようにと
心から願わずにはいられなかった。

~・~・~・~・~・~・
いつか機会があったら紹介したいと思っていた一冊、
『わが恵みなんじに足れり~点字で書いた日記帳』に
まつわるエピソードについて、まとめようと思います。

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。