小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

コロナに感染して初めてわかったこと

スペインに住む若い友人がコロナに感染、先日退院したばかりという彼女が、その貴重な体験を知らせてくれました。
3日間も集中治療室に入るほど急激に重篤になろうとは思わなかった。
自力呼吸ができないことがこんなに大変だとは、当事者になって初めてわかった。
感染するとどうなるのか、現場の実態など、少しでも多くの方に知ってもらいたいと、
まだ後遺症もあり、咳も続いているという彼女からの長いメールです。

 ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

濃厚接触した人にコロナ陽性反応が出た為、翌日私はすぐにPCRと抗体検査をしましたがどちらも陰性、でも用心のために10日間は家にこもっていました。お籠り期間が終わった2日後に喘息の発作が起き、すぐに担当診療所へ行ったら、コロナ陽性が出て、自宅療養となったのですが、翌日にはもう呼吸困難に陥り、病院へ救急搬送されたのです。当初はコロナ病棟の普通の隔離部屋だったのですが、数日後に急変し、自力呼吸ができず酸素吸入しなければならなくなり、集中治療室にうつされ3日間そこで高濃度酸素吸入をされ、その後無事一般病棟へ戻りました。10日間の酸素吸入でサチュレーションも安定してきたので、酸素チューブは外され11日後に退院許可が下り家に戻ってきました。

そろそろ一年が経ち、コロナウィルスについてのいろいろなことがわかってきたのも自分が経験したからこそ。そして何より、集中治療室、コロナ病棟の先生方、看護師さん達には感謝しかありません。特に若いドクターとはコロナについていろいろなことを話ができて本当に良かったです。彼女もコロナ病棟の担当医になって初めてわかったことがたくさんあると言っていました。

私は精神的に不安定になることはなかったのですが、同室になった人たちは一応に家族に迷惑かけたとか、罪悪感に苛まれている人が多く、誰もが平等に一律の罹患リスクがあるにもかかわらず伝染病の精神的ケアはとても重要だと思いました。

罹患前から、定年退職したベテラン看護師の日本の友人とはよくこちらと日本の違いを話し合っていて、国によってかなり違うと毎回が発見です。日本では退院した家族が転居したとか言っていましたが、無事生還したのをなぜ皆で喜びあえぬのか?ヨーロッパは個人主義ですが、今回私のようにここに実際の家族のいない患者には、毎日ドクターが私の友人に電話連絡し病状を説明し、その友人がまた別の友人達に連絡するという協力体制で本当に嬉しかったです。

私は今回のことで10年前の震災時の原発事故の福島を思い出していました。あの時も福島の友人からの話に愕然とした覚えがあります。まあ人はわからない物、見えないものに恐怖を抱くのは常なのかもしれないのですけれど、、、

咳はまだ続いていて、残念ながら後遺症はあります。私は味覚嗅覚障害はありませんが、倦怠感と睡眠障害は顕著です。でも一番怖いのは血栓症なので、退院後は10日間血栓予防の注射を自分で腹をつまんで注射を打っていました。これも友人の看護師は日本ではやってないと言ってました。事実、こちらの私の知り合いはコロナ感染で自宅療養後、娘さんと散歩していて突然心筋梗塞になり救急搬送されたのです。

今回自分が当事者になって見て初めて分かったことがたくさんあり、これをみんなに伝えて行かなければと思っています。
感染するリスクは皆に等しくある事、感染しないために何が自分にできるのか、何をしなければならないのか、それでもかかってしまった場合、何を最優先にしなければならないのかシュミレーションして入院準備をしておく事。症状が出たら躊躇なく救急車を呼ぶ事、そしてこれが一番大事な事ですが、自分を責めない事。

私のように中等症状から急変して重症化する事が増えている事、後遺症は人様々ですが、回復には時間がかかる事など、とにかく感染しないことが一番です。
私は喘息患者なので気をつけていたのですが、大切な人の急死のショックや何やかやで免疫力も落ちていたのでしょう。十分注意していましたが、免疫力が落ちているところに簡単にコロナは入り込んできました。だから誰にも一様に感染するリスクがあることを心に留めていて下さい。そして、私のように最初PCR検査で陰性が出ても、既に感染していて症状が出るまで時間差があり、陽性反応が出た直後に悪化する速度が早かった事など、人によって現れ方が違うこともわかりました。

長くなりましたが、少しでも多くの人に、私のケースを伝えてくださるとありがたいです。今回の事で、過酷な状況で頑張っていてくださる救急隊の皆さん、コロナ病棟、集中治療室の医療従事者の皆さんには感謝してもしきれません。
そして、ここに家族のいない私にとってたくさんの友人たちがサポートしてくれた事は本当にありがたく、これこそが私の宝物です。

 ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

 最後まで読んでくださって、ほんとうにありがとうございます。

 

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。