津幡町相窪にある「山の家~昭和の音と映像の館~」の主は山崎久雄先生。
19年前、「センス・オブ・ワンダー」上映会は、プロ級の技術を持つ先生の
全面協力のおかげで実現できた。
…高度成長時代となり、経済大国となった日本は、
大量生産、大量販売、大量消費、大量廃棄時代となった。
技術革新は天井知らず、物の豊かさに追いつけなくなった心の悩み。
今こそ、ゼロから出発した戦後の辛酸を思い出してみる必要がある…
と、教職の傍ら、棄てられたラジオや電気蓄音機を収集、修復し、
当時の音が再現できる形で、1万点以上の資材を保存してこられた。
92歳になられた先生は、現在、撮りためたビデオや資料を整理、編集して
いらっしゃるそうで、私のところにもその一部を送ってくださった。
8月15日前後、ここ3、4年も、テレビ、ラジオで戦争にあまり触れていなかった。
時代は過去のことにこだわらなくなったのかと思っていたが、今年はおやと思うほど
体験者の声も語られるようになったと、お元気な電話の声だった。
戦後75年の節目の年ということだろう、8月のNHKでは、近年になく
次々に戦争関連の番組が放映され、テレビ漬けの日々となった。
「沖縄”出口なき”戦場~最後の1ヵ月で何が~」
「”焼き場に立つ少年”を探して」ETV特集
「無言館の扉 語り続ける戦没画学生」
「K症候群ユダヤ人を救った謎の感染症」
「忘れられた戦後補償」
「アンネ・フランク 時を越えるストーリー」
「アウシュビッツ 死者たちの告白」
「戦場のピアニスト」
「戦艦武蔵の最期~映像解析・知られざる”真実”~」
お笑いバラエティー「たけしのその時カメラは回っていた」は、
ウソに隠された真実をあぶりだす。ゲストのつぶやきも強烈に真実だった。
「日本人ならぜいたくは出来ない筈だ!」
この国策標語、山崎先生編集のDVDの軍歌の背景にもあった~!
戦後75年の企画は新聞においても。
4日間にわたって北陸中日新聞に連載された『死の鉄道ー英捕虜 100歳の遺言』。
日本の捕虜となってタイのジャングルで3年半を過ごしたレン・ギブソンさんは語る。
テンコ(点呼)、バンゴ(番号)、ヤスメ(休め)
日本兵の絶叫が耳にこびりついている。
「はだしにふんどし一枚で、泰緬(たいめん)鉄道を敷いた。」
ヒル、サソリ、マラリア、コレラ、続く過酷な作業、
「飢えと暴力と病が支配した奴隷のような日々」だったという。
ジャック・ジェニングス(101歳)さんは、
「日本人は私たちを動物のように扱った」
「連合軍機の飛来にいら立つ日本兵が仲間を殴り、
おりに閉じ込め、拷問を楽しむ様子を見ていた」と語る。
「戦後50年の節目や、妻の死、退職などをきっかけに、彼らは口を開き始め、
その証言の数々が国民の意識を変えている。戦後70年の2015年8月15日には
エリザベス女王や首相が追悼行事に参列した。」
真実は必ずいつか明るみになる。嘘は必ず暴かれる。
戦争は正義、経済、発展という名をかぶった国家の侵略、暴力、殺人行為。
一部の権力者たちの暴走で、国民は被害者となり、加害者にもなる。
戦争を回避しない政府はダメだということ。
昨日は、作詞家・きたやまおさむさん(74歳)のインタビュー記事。
平和の希望の歌・・・・・・思わず涙が出そうになる。
『戦争を知らない子供たち』
青空が好きで花びらが好きで
いつでも笑顔のすてきな人なら
誰でも一緒に歩いて行こうよ
きれいな夕陽のかがやく小道を
僕らの名前を覚えてほしい
戦争を知らない子供たちさ