小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

「出会いの夕べ」の思い出~中村富子さんを迎えて~

今日の新聞第一面は、「新年度は相次ぐ値上げで変わる暮らし」、「電力3社のカルテルで過去最高額の課徴金1010億円」。

桜満開の兼六園の写真に、ちょっぴり明るいきもちになります。27日から2日まで兼六園は無料開放で、初日の4万人超から5万人、6万人と入場者は日々、大幅に増えているとか。別ページの「桜だより」によると、能登地方は五分咲き/咲き始め/つぼみのところもあるらしい。

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膝を痛めたせいもあって、この冬は家に閉じこもっていることが多く、自然に読書タイムが増えた。12月から3月、石牟礼道子さん関連の本を図書館からどっさり借りて読んでいた。予約の人もないらしく、延長しては、借りて、を繰り返し、ほぼ独り占め状態だったが、とうとう数冊を購入した。石牟礼さんのこと、水俣病のこと、私の心にずっしり、ずしんと響いているがなかなか言葉にできない。

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新たに手にしているのは、中村久子さん、富子さん母娘の本。
図書館にある『わが母 中村久子』(中村富子/1998年/春秋社)は
ご寄贈の第4刷(2000年2月10日発行)です。

その扉には流れるような毛筆でしたためられた
津幡町立図書館様 出会いの夕べ 2000.3.10 中村富子」

岐阜の高山のお宅を出立時に準備され、わざわざお持ちくださった本でした。

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中村富子さんをお迎えして開催した《第19回 出会いの夕べ Special 》
母、久子さんはテレビでも紹介され、みなさんの関心も高い方でした。図書館の椅子だけでは足りそうになく、近くの弘願寺(ぐがんじ)さんから座椅子を何脚も運び入れ、小さな図書館は大勢の人であふれました。

突発性脱疽のため、数え年三つで手足を亡くした母、見世物興行の世界に入った母、口にくわえた針に糸を通す、鋏を使う、裁縫をする、布団も作る、編み物、レース編みもする。お便所掃除はとりわけ丁寧で、口で絞った雑巾は他の者が手で絞ったより固いのだ。女学校で富子の態度が悪いと先生に呼び出され、トイレを我慢するために、三日三晩飲まず食わずで釜山からやってきたという母、「便所の我慢はつらいけど、三日ぐらい富子のために我慢するのは何でもないですよ」と笑う母、、、富子さんが語る久子さんの努力と信仰の生涯に、集まった人たちみな衝撃を受け、感動しました。

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手も肘から先が無いのではない。
肘から上が有るではないか。
脚も膝から下、無いのではない。
膝から上、有るではないか。
もろもろのもの、これだけしか無いのではなく、
これだけ有るではないか……
自分に与えられ、恵まれてあるものに
喜び、感謝していた母

「出会いの夕べ」の最後は、久子さんの詩で結ばれました。


『ある ある ある』

さわやかな
秋の朝
「タオル 取ってちょうだい」
「おーい」と答える
 良人がある

「ハーイ」という
 娘がおる

歯をみがく
義歯の取り外し
かおを洗う

短いけれど
指のない
まるい
つよい手が
何でもしてくれる

断端に骨のない
やわらかい腕もある
何でもしてくれる
短い手もある

ある ある ある

みんなある
さわやかな
秋の朝

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旅費、予算のことなど心配せずにお迎えできたのは、影山雅一さんのお力によるものでした。予定されていた金沢での講演会に先立って、こちらの図書館でも開催できるようにと力添えくださったのです。

 

3週間前の3月11日、影山さんは93歳の生涯を終えられました。情のあつい方でした。

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。