小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

能登より~記者のつぶやき

昨日、新聞の整理をしていてふと目にしたのは
北陸中日懇話会の記事(2/10)
能登半島地震を報道する使命」と題する
八木編集局長の講演内容である。

「一人一人の声をすくい上げる」姿勢で
奮闘している記者、販売店の状況が紹介されていた。

能登版の題字下にある「半島記者のつぶやき」は
七尾支局長が、連日、執筆していることも知った。
東京新聞にも掲載され大きな反響を呼んでいるとか。

たしか、地震前までは、能登地方の通信部の記者さんが
かわるがわる担当していたコーナーである。

縦14.5㎝、横4㎝のスペースに
200文字の「つぶやき」とそのスナップ写真。

小さな図書館の記録『ひと言・人・こと』が
当初は『つぶやき』名でスタートしたこととも
重なって親近感を抱いていた。

能登の素朴で温かい人情とくらしを伝えたい。
そんな記者さんの真っすぐな想いが感じられる
コーナーだった。

隅々まで目を通していたつもりだったが
そういえば、この二ヵ月というもの…
大きな記事ばかりが
目に飛び込んでいたのかもしれない。


あわてて、能登版を開いた。

~・~☆~・~

3月3日/変わり果てて

 大きな波をかぶり、打ち上げられた傷だらけの漁船。
その向こうに弱々しく、生気なく立っています。珠洲市
慢の見附島。昨年5月の震度6強で崩れ、でも何とか踏ん
張りました。が、今回は耐えきれず、小さく小さくなりま
した。「軍艦島」とも呼ばれ、今にも迫ってくるような、寄
せる波を裂くようなシャープさはもうありません。丸み
を帯び、両脇に大量の土砂を抱えた姿は自信なさげで、助
けを求めているようで見るのもつらいです。(前口憲幸)

 

二ヵ月分の「つぶやき」を次々、切り抜いて読んだ。

 

第一回は、1月5日/神様どうして
 
…いつもの道が通れません。崩れた橋の向こう、いつもの
景色が見えません。正月の青空があまりにきれいで逆に
切ないです。激しい揺れを何度も何度も乗り越えてきた
能登。遠慮せず、言います。今回は存続の危機を感じてい
ます。今こそ誓います。北陸中日新聞はずっと寄り添いま
す。一緒に揺れ、一緒におびえ、一緒に泣きます。この地に
拠点のあるメディアです。橋の向こうが見えると信じ、能
登の強さを伝えます。被災者の一人なのです…


そして今日は、恋人の聖地のこと。

 
…ぐるっと水平線。はるか遠くに北アルプスが浮かび、夜
は満点の星。そんな最果ての地で鐘を鳴らし、幸せを誓う
―。珠洲市の見附島を望む海岸「えんむすびーち」…

ハート型のステップは陥没し、傾き、、、
しかし、壊れたモニュメントは直せるけれど
その先にある見附島は
二度と元通りにならないと、前口さん。


ふと、もしや、中日新聞Webに?
探し当てて感涙。

↓↓

能登には本気で泣ける記者がいます」
https://www.chunichi.co.jp/article/857389
(2024.2.22)


前口さんは、なんと2度目の能登半島地震なんですね。
記者コラム「風紋」には、一年前まで
津幡通信部でがんばっていらした島崎勝弘さんも。
番外編の渾身のレポートは、大野沙羅さん。
小さな図書館がオープンした翌年のお生まれなんですね。

***

ところで、

ようやく公開された衆議院政治倫理審査会での
「知らぬ、存ぜぬ、承知しない、関知しない」
には、ほとほとあきれ果てました。

「こういう人たち」が大勢を占める限り
日本の将来に希望がもてません。

今日の午後は、参議院予算委員会
蓮舫議員は理路整然、鋭く追求しましたが。

あまりに恥ずかしすぎて
子どもたちには見せられない世界です。 

『能登 2015年冬号』特集Ⅱ ~「山下すて短歌抄」

能登 2015年冬号』の二つ目の特集は
能登永遠(とわ)の歌びと「山下すて短歌抄」》

藤平朝雄さんの詳細な解説があります。
抜粋して紹介します。

……・……・……・……

昭和61年(1986年)朝日歌壇に初登場したすてさんの歌は、その年だけで入選歌が40首を超え、またたく間に朝日歌壇の多くの読者をとりこにした。

歌の背後には、厳しくもやさしい奥能登の自然とくらしが見え隠れして、すてさんの短歌に能登や輪島の風土を重ねる人も多かった…三方を海に囲まれた半島「能登」をこよなく愛し、生涯のこころの拠り所とした山下すてさんは、平成11年の早春、ひそかに息をひきとった。すてさんの短歌に惹かれ、心を洗われ、生きる力をもらったという人が、今も全国各地に多勢みえる。

山下すてさんのくらしの周辺には、いつも海があり、波の寄せる海浜があり、漁港があった。町中には朝・夕の市が立ち、座業による手仕事の漆器工房は、狭い路地の奥にまで点在した。

選者らから高い評価を得たすてさんの歌は、にわかに浪漫と花が開いたわけではない。歌作の根となり幹となったのは、36年にわたる入念な俳句歴にあった。…輪島漆器にたとえるなら、長い俳句歴の下地があってこそ、後の短歌が一斉に開花した、と言えるのではないか。

一年とて、一日とて、一時とて、同じ「刻と様」が無いことを、すてさんは膚で感じていたに違いない。世の流れと季節の移ろいに身をゆだねる中で、変幻自在の織りなす天地人の妙を、誰よりも敏感に感じとっていた女人が、歌びと「山下すて」さんだ。

ことし平成27年は17回忌にあたる。すてさんの海、永久に――と祈るばかりである

……・……・……・……

冊子発刊から9年後の今、
その結びの一文に胸突かれる思いです。

***

『冬茜海に祷りの刻ありて船は母港に鳥らは沖に』

投稿3年目の昭和63年(1988年)、朝日歌壇賞を受賞、
平穏な日常を詩情豊かに詠んだすてさんの歌です。

 

「…鳥の渡り、潮の満ち干、
春を待つ固い蕾のなかには、
それ自体の美しさと同時に、
象徴的な美と神秘がかくされています。
自然がくりかえすリフレイン

―夜の次に朝がきて、
冬が去れば春になるという確かさ―

のなかには、かぎりなくわたしたちを
いやしてくれるなにかがあるのです…」

レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー
(上遠恵子訳/1996年/新潮社)の一節とも重なって
鎮魂歌のように深く響きます。

***

今月の初め、藤平さんと電話が通じて
変わらぬ元気なお声に安堵しました。


「山下すて短歌抄」


このたった7文字が
結んでくれた出逢いの糸、です


↓ ↓


空飛ぶ紙ひこうき&はじめまして~藤平朝雄さん
https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2002/11/24/000000

「第32回出会いの夕べ~能登優情~藤平朝雄さん」
https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2003/03/07/000000

山下すてさんに繋がって&貴重な『風呂敷』&UFOかぼちゃ
https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2003/05/21/000000

能登絶唱うたの旅
https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2021/09/02/235909

『山下すて短歌抄』のものがたり
https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2021/09/03/231508

『山下すて短歌抄』に魅了されて
https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2021/09/04/111147 

『能登』へのエール~~輪島塗の職人さんたち

今日の中日新聞によれば、
いまだに断水は約22880戸、停電は約1100戸も。

それでも紙面には、復興、復旧にむけて
笑顔の写真が少しずつ増えてきています。

***

エールを送りたい記事がありました。

“2010年創刊の季刊誌『能登』復刊への始動”です。

地震で予定していた「冬54号」は休刊となったが、
「春55号」発行に向けて準備を進めているとのこと。
編集長は経塚幸夫さん(70歳)、門前町のお寺のご住職。
能登人」を深く掘り下げる編集方針を掲げてきたという経塚さん。
「変わり果てた能登を記録し、伝える」使命感でのスタートです。


ネットで、多田健太郎さん(多田屋6代目若旦那)が
発信されている『のとつづり』に、経塚さんを見つけました。
https://tadaya.net/nototsuduri/people/detail7/

地産地消文化情報誌”を標榜し、
丹念な取材と洗練されたデザインで
地元の情報を発信する雑誌『能登』。
グルメ情報や観光ガイドにとどまらず、
その奥にある人々の想いや
農林漁業が抱える課題にまで目を向けた
能登の“総合誌”です…


***

私の手元にあるのは『能登 2015年冬18号』

2015年4月23日、静岡からの友人たちと
藤平朝雄さんを訪ねた折に手に入れた冊子、
そこには、二つの「特集記事」が掲載されています。


~☆~☆~

特集Ⅰは、《輪島塗を支える職人のチカラ》
9人の方々が紹介されています。


木地師指物木地師、曲物木地師、朴木地師
塗師(下地)、上塗師、呂色(ろいろ)師、
蒔絵師、沈金師。

こうした多くの職人さんの分業による専門化が
「輪島塗」の高品質を支えているといわれます。


― 輪島塗は「髹漆(きゅうしつ)」の手順が130を超える。
その中で、仕上げの上塗へ行く前の「下地」の仕事は
手順の大部分の100以上を占める輪島塗の要の工程 ―

「塗ったら必ず磨く、研ぐ。これを繰り返すのが輪島塗です」と
稲木さん。【輪島地の粉】を漆に混ぜるのもその特徴。

中村敦夫さんが塗師屋の主を演じた
NHKの朝ドラ『まれ』では
その第一人者(当時75歳)の稲木正伸さんが
現場の指導を担当されたとか。


~☆~☆~

砥の粉(とのこ)、生漆(きうるし)、研ぎ炭、、、

生まれた家の商売柄、日常的に見聞きしていて
色もニオイも蘇ってくる遠いモノたち。

とっくに縁が切れたと思っていたのに
不思議なもので…
今となってはしきりに懐かしくてたまらない。


皆さまがご無事でいらっしゃいますように
能登が元気になりますように

漁師と妻とピアノ

先日のETV特集は「漁師と妻とピアノ」

漁師、妻、そしてピアノ

ミステリアスな取り合わせのタイトルに
私はまったく別の内容を想像していました。

冒頭の海のシーンで
大好きな「ラ・カンパネラ」が流れて
これはきっと、
忘れ得ぬ思い出の物語に違いない…

ところが、私の予想は
もののみごとに外れました。

のり漁師の徳永義昭さん、63歳。

フジコ・ヘミングさんの
「ラ・カンパネラ」に感動して
パチンコから足を(指?)洗い
52歳でピアノを始めた徳永さん、

その難曲「ラ・カンパネラ」が弾きたい一心で
一日8時間の猛練習を続けてきたそうです。


ふたりの出会いもほのぼのとして
亡き父を想い号泣する徳永さん
ピアノ講師の奥さまの想いも交錯して
じ~んと胸熱くなりました。


もっと早くお知らせできればよかったのですが
あと10分で再放送が始まります。

JOPの試合で四国くんだりまで出かけた夫は
予定より早く帰ってきます。
感動の物語、夫と一緒に
もう一度みたくて、聴きたくて、
録画予約したところです。

30年の『絵暦』出版に敬意と感謝をこめて

長らく愛用してきた
武生ルネサンス出版部発行の旧暦の「絵暦」、
2月9日を最後にとうとう
我が家の玄関から姿を消しました。


高校時代からの友人、三木世嗣美さんから
時節になると届いた絵暦でしたが
30年目を節目に終刊となりました。

経本仕立ての縦20㎝、横10㎝、
ケースに広げて立てると幅20㎝。
僅かなスペースでしたけれど
「文化」を感じるコーナーでした。

***

「…世界中の人が見上げる宙に境界はありません。地上ではいつもどこかで境界線の取り合いによる争いが行われていたりして心痛みますが、そんな時こそ宙を眺めながらゆったりとした気持ちで…」とあとがきに写真を担当された林昌尚さん。

 

最終回のテーマは『越前の宙(そら)篇』。
宇宙を感じさせる漆黒の和紙の表紙に
空色の「絵暦」の文字デザインの美しいこと!


1992年「武生の文化を考える会」が発足して、
シンポジウム、学習会、観察会、鑑賞会など
多彩な活動を繰り広げる中、出版事業では、
一年かけて絵暦の企画、編集が繰りかえされ
11月23日の勤労感謝の日には集まって
組み立て、ケース入れ作業に精を出される由。

絵暦の写真、
三木さんの名解説文も紹介されています。

↓ ↓ ↓

武生ルネサンスHP
http://takefuren.server-shared.com/
武生ルネサンス通信
http://takefuren.server-shared.com/rens-reikai.html

 

高校の同窓会誌掲載文もありました。
「惜しまれて消えゆく越前の古建造物」
http://takefuren.server-shared.com/mikiessay.htm 

読書会メモ②〈詩をたのしむ〉

*読書会メモ②*

〈詩をたのしむ〉2月8日

きもちが少しでも明るくなれるようにと
先月に続いて元気カラーの真っ赤な服のスウさん、
金沢から電車に乗って来てくれるきりりんさん。
今日は三人です。


被災地のこと、政治のこと、
あれやこれやのつもる話の中で
「セクシー田中さん」を知りました。
あの『天上の葦』の太田愛さんの近刊
『未明の砦』のことも教えてもらいました。
イラン・パぺの『パレスチナ民族浄化』は
まだ届かないらしい。


さて、今日の読書会のために
きりりんさんが選んできてくださったのは
二冊の詩集。


☆2年前に出版の谷川俊太郎さんの『虚空へ』
88編の十四行詩。

 

言葉の余韻、ゆったりした余白、不思議な世界。

あとがきには「今の夥しい言葉の氾濫に対して
小さくてもいいから詩の杭を打ちたい」と。

有ると無い、気配、うん、わかるわかる~!
と触れたとたんに、するりと身をかわされ
顔を見合わせたたずんでしまった三人。


☆『生きていてほしいんです―戦争と平和
(編集:谷川俊太郎・田中和雄/2009)

 

童話屋さんのポケット版のこの【詞華集】には
谷川さんの反戦詩を母体にして
茨木のり子石垣りん、、、小学生や
フォークソングなど41篇

「この小さな詞華集が、
21世紀の平和に少しでも貢献することを
願ってやみません」と田中和雄さん。

寺山修司さんの《戦争は知らない》もありました。

「野に咲く花の 名前は知らない
だけども 野に咲く花が好き
帽子にいっぱい 摘みゆけば
なぜか涙が・・・」


三人でスマホ
ザ・フォーク・クルセダーズ
耳を澄ませた幸せなぜいたくな時間。

~・~・~

夜、ふと思いついて図書館横断検索で調べてみると
その時間帯に、その二冊の詩集を手にしていたのは
県内では、なんと!私たち三人だけなのでした。

 

なぜそんなことが言えるか?といえば
所蔵館の貸出状態がわかるからなんです。 

読書会メモ①〈宮沢賢治を読むつどい〉

昨日のうちに記録として書くはずでしたが、
ぐずぐずしていて一日遅れです。

***・・・・・・・・・・・

1月31日~2月8日までの9日間、
(定休日も含むので実質は8日間)
図書館は蔵書点検のため昨日まで臨時休館でした。

あいにく読書会の日が重なっていたのですが、
ありがたいことに、読書会のために
別のへやが用意されました。


*読書会メモ①*

宮沢賢治を読むつどい〉2月1日

12月には6人で
短編『マリヴロンと少女』と愉快な『蛙のゴム靴』を
読みました。

二ヵ月ぶりの今日は9人。
図書館の小さな「みんなのへや」では
ちょっと窮屈だったかもしれません。

初めて参加の方がいらっしたこともあり
久々に自己紹介もかねながら、
ご自宅の状況や今の想いを順に話しました。

Iさんが能登の入り口にお住まいだったことも
今回、初めて知りました。山の斜面の崩落で
県道の通行止めが続いていて、狭いう回路を通り
50分ほどもかかったそうな。


あ~だった、こうだったと
こうして声に出すことで
少しずつ元気になれる!


ほんとうに、
細川律子さんの言葉どおり
お互いにぐんと近くなって…

いつものように「星めぐりの歌
注文の多い料理店』の美しい序文
(今日の朗読者は、Iさんでした)

順に一頁ずつ輪読した作品は
『まなづるとダァリヤ』


まなづるは白いダァリヤには
やさしい声をかけるのに、
赤いダァリヤにはそっけない。

きれいだと賞賛されたい赤い花、
最後はポキリと折られた哀れな花は
ぐったりとなって。。。

コバルト硝子の光のこな、黄水晶(シトリン)の薄明穹
パラフィンの雲、藍晶石のさはやかな夜、ほのじろい霧
かがやく琥珀の波、桔梗色の薄明、

「くだものの畑の丘のいただき」を舞台にして
照明が変化し、哀しい物語が奏でられます。

***

読書会が終わってから、
Kさんから教えてもらったのは「高田郁」さん。

『あきない世傳 金と銀』の原作者だと知りました。
とびとびに3話分だけ録画してあったのを
欠落の分は想像で補いながら、先日の雨の日、
夫と一緒に見た心温かいお話です。

*残念ながら、原作の文庫本が津幡にはないので
近隣図書館で借りて読んだそうな。

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。