小さな図書館のものがたり

旧津幡町立図書館の2005年以前の記録です

「センス・オブ・ワンダーの図書館」と呼ばれていた旧津幡町立図書館。2001-2005年4月30日までの4年間、そこから発信していた日々の記録「ひと言・人・こと」を別サイトで再現。そこでは言い足りなかった記憶の記録が「小さな図書館のものがたり」です。経緯は初回記事にあります。

『能登が好き』は宝ものです

一ヵ月前でした。自信たっぷりに、それも即座に、「さしあげますよ~」と友人に快諾したその雑誌が消え失せてしまった。家の中にあるのは確かです。特別扱いしてだいじにしまいすぎたのか、地震で散乱した中に混じってしまったのか…なかなか見つけられません。その雑誌のことがひっかかっていて、、、このことだけではないのだけれど、心がもやもや状態です。


こんなときには『ひと言・人・こと』の改訂作業。
私のひそやかなる心の安定剤です。

ちいさな図書館の記録を復元するのは、
私の役割!とばかり
今でも、かなり気負っていますが、
同時に、記録を辿ることが
私の元気の源にもなっているんだな~って
この頃、つくづく思います。

~☆~☆~☆~

2003年10月19日のブログでは
思わぬ発見もありました。

それは、
能登の暮らしと文化を見つめる情報誌
能登が好き』のこと。

 

もしや貸出中かも?と
再読すべく、資料検索すると
なんと、、、
所蔵データゼロの不思議な表示に衝撃。

どういうこと?
紛失?

これにはすっかり気落ちしてしまいましたが、どうしても腑に落ちなくて(寄贈本ゆえの申しわけなさもあって)図書館に出かけて、ちょうど居合わせたベテランスタッフに確認したところ、書庫に眠っていた二冊を探し出してくれました。

データが表示されない理由は謎ですが
ともかくも、
無事に保管されていて安堵しました。

ページ数50頁、500円也。
『ひと言・人・こと』の記録あればこその
再会となりました。

~☆~☆~☆~

創刊号の編集後記で、10名ほどのボランティアメンバーを中心に、能登への熱い想いを結集して出版できたことをあらためて知りました。

能登に暮らしながら、能登についてどれだけ話すことができるだろうか、能登のことをもっと知りたい、学びたいと思ったことが始まりでした」

それを具体的な記事にしたのが【特集】の

「いしり・いしる」
「段駄羅」
能登のことば」
能登の山」…


第2号の編集後記には、「一回きりの本だという感じで、創刊号とさえ名付けませんでした。今回もコレで最後かもと・・・。なにしろ、全てが能登に暮らしている人々の気持ちだけで支えられている本ですから」

「二三味珈琲」船小屋ショップの葉子さん、
イタリアンジェラードの柴野大造さん、
若かりし日の模索する姿が取材されています。

細川律子さんの「私の好きな能登」は自筆です。
1977年から5年間の能登の自然の中での子育てのこと。

あ、「5百年続いている松波飴」
その横井商店を取材したのは
珠洲の川端ゆかりさん!

2009年の春、「新月いわし洞通信」(2007.11/発行)をいだいたことがある。既に図書館の仕事を離れていたのに、図書館づくりについて話してほしいと依頼され、運転未熟ながら珠洲まで出かけたこともあった。

その川端さんとあの川端さんが
今頃になって結びついた。
22年を経ての出会いなおし。。。

~☆~☆~☆~

県内図書館では、県が創刊号のみ
七尾市は、Vol.2のみ、志賀町は二冊とも所蔵。
七尾市以外は「禁帯資料」です。


ネット検索でHPを見つけました。

↓↓

http://www.notonote.tank.jp/suki/vol2/matunami-ame.htm

能登に生きる  

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⇒「能登が好き」Vol.2 
⇒「能登が好き」創刊号

たかはしべんさんの45周年コンサート

新しいブログを書かない日には、できるだけ
本来の目標の『ひと言・人・こと』の改定作業を
進めるようにしています。

今、2003年10月の記事をチェック中です。

利用者の方から届いたアケビのこと
野田淳子さんのコンサート、犬の置物のこと、
秋山ちえ子さんからの寄贈本、
菊づくり先生の橋本さんが事故に遭われたこと、
絵本のじかんのこと、、、
この頃だったんだ~、
スウさんの紅茶のHPができたのは。


*~*~*

10月18日、19日は、津幡町と高松町、二日続きで、
たかはしべんさんのコンサートのこと。

https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2003/10/18/000000
https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2003/10/19/000000

*~*~*

1月早々に、べんさん&なみきさんから
地震のお見舞いハガキをいただいて
おふたりのあったかい文字に
思わずうるっとしたばかりでした。

そして先日、届いたのは『あのね通信』。
埼玉県や長崎県福井県の小中学校の
みなさん、一般の方たちのコンサートの感想文。


☆「ぼくと点数」という歌は、個人的に
一番心に沁みたので、もっといろんな人に
きいてほしい。特に先生方には、ぜh
きいてほしいと思いました。(中1)


♪ぼくに点数つけないで 5点 10点 20点
 ぼくの心につけないで マルも バツも ~

いのちの歌、平和のうた、楽しいうた、、、
子どもたちもおとなもすっかりべんさんのファンです。

涙をぬぐっている中学生もいたそうです。

 

=音楽活動45年のお祝い会=
【たかはしべん 45周年コンサート】は
日時:5月19日(日)13:00 開演
会場:ウェスタ川越大ホール
後援:川越市教育委員会

復興を願って復刊~『あさいち』(福音館書店)

3月6日のほっとニュースは
福音館の絵本『あさいち』復刊!

最盛期の輪島の朝市が描かれた絵本です。

金沢生まれの福音館書店さんが
被災地の支援を摸索されている中
「復興を願って復刊してほしい!」との声が
多数寄せられたこともあいまって
44年ぶりの復刊となったそうです。

被災地を想って
この絵本を思い出してくださった方たちがいて
出版社へ伝えてくださる方たちがいて
たいせつな絵本が蘇ることができました。


***

『あさいち』は月刊絵本「かがくのとも」の1980年1月号(130号)。末っ子(息子)が5歳の時の絵本です。「こどものとも」も「かがくのとも」もほとんど孫たちに譲ったので、家にはないものと思っていたのに、ある探しものをしていたら、二階の押し入れの本棚の隅っこからひょっこり…にわかには信じられず…不思議です。


【絵】は、大石可久也さん

素朴で温かい絵です。
思い思いに並べられた海の幸、山の幸も
人も、道具も、ひとつひとつが
とてもていねいで細やかで
楽しげな会話まで聞こえてきそうです。

電気屋、クリーニング店、漆器店、銘酒、
LPガス、石油ストーブ、消火器…の文字。
垣間見える日常のしあわせな日々。


【かたり】は、輪島・朝市の人びと

こうてくだ、こうてくだ
ぶりと かにと たこと いか。
さっきまで うみで およいどった。
けさ おらちの ふねで とってきた。
とれたてやぞ。

みずなでも ねぎでも いらんけ。
この さぶいひに ゆきのしたから
とってきたげね。


もう なんねん こうして
すわっとるやら。
ああ うれた、よかったな、で
まいにちが すぎてしもうわ。

 

~ ~ ~ ~ ~

「朝市は、海でとれたもの、畑でとれたものを持ちよる商いの場。そこには潮のかおりと土のにおいがたちこめていて、人びとにとって楽しいおしゃべりと社交の場でもあります。石川県「輪島朝市」の活気ある風景を描いた、1980年刊行の本作品。令和6年能登半島地震で大きな被害を受けた被災地の、一日も早い復興への願いを込めて復刊します。本作品の利益は、能登半島地震災害義援金として、日本赤十字社に寄付いたします。」ー福音館書店

 

能登より~記者のつぶやき

昨日、新聞の整理をしていてふと目にしたのは
北陸中日懇話会の記事(2/10)
能登半島地震を報道する使命」と題する
八木編集局長の講演内容である。

「一人一人の声をすくい上げる」姿勢で
奮闘している記者、販売店の状況が紹介されていた。

能登版の題字下にある「半島記者のつぶやき」は
七尾支局長が、連日、執筆していることも知った。
東京新聞にも掲載され大きな反響を呼んでいるとか。

たしか、地震前までは、能登地方の通信部の記者さんが
かわるがわる担当していたコーナーである。

縦14.5㎝、横4㎝のスペースに
200文字の「つぶやき」とそのスナップ写真。

小さな図書館の記録『ひと言・人・こと』が
当初は『つぶやき』名でスタートしたこととも
重なって親近感を抱いていた。

能登の素朴で温かい人情とくらしを伝えたい。
そんな記者さんの真っすぐな想いが感じられる
コーナーだった。

隅々まで目を通していたつもりだったが
そういえば、この二ヵ月というもの…
大きな記事ばかりが
目に飛び込んでいたのかもしれない。


あわてて、能登版を開いた。

~・~☆~・~

3月3日/変わり果てて

 大きな波をかぶり、打ち上げられた傷だらけの漁船。
その向こうに弱々しく、生気なく立っています。珠洲市
慢の見附島。昨年5月の震度6強で崩れ、でも何とか踏ん
張りました。が、今回は耐えきれず、小さく小さくなりま
した。「軍艦島」とも呼ばれ、今にも迫ってくるような、寄
せる波を裂くようなシャープさはもうありません。丸み
を帯び、両脇に大量の土砂を抱えた姿は自信なさげで、助
けを求めているようで見るのもつらいです。(前口憲幸)

 

二ヵ月分の「つぶやき」を次々、切り抜いて読んだ。

 

第一回は、1月5日/神様どうして
 
…いつもの道が通れません。崩れた橋の向こう、いつもの
景色が見えません。正月の青空があまりにきれいで逆に
切ないです。激しい揺れを何度も何度も乗り越えてきた
能登。遠慮せず、言います。今回は存続の危機を感じてい
ます。今こそ誓います。北陸中日新聞はずっと寄り添いま
す。一緒に揺れ、一緒におびえ、一緒に泣きます。この地に
拠点のあるメディアです。橋の向こうが見えると信じ、能
登の強さを伝えます。被災者の一人なのです…


そして今日は、恋人の聖地のこと。

 
…ぐるっと水平線。はるか遠くに北アルプスが浮かび、夜
は満点の星。そんな最果ての地で鐘を鳴らし、幸せを誓う
―。珠洲市の見附島を望む海岸「えんむすびーち」…

ハート型のステップは陥没し、傾き、、、
しかし、壊れたモニュメントは直せるけれど
その先にある見附島は
二度と元通りにならないと、前口さん。


ふと、もしや、中日新聞Webに?
探し当てて感涙。

↓↓

能登には本気で泣ける記者がいます」
https://www.chunichi.co.jp/article/857389
(2024.2.22)


前口さんは、なんと2度目の能登半島地震なんですね。
記者コラム「風紋」には、一年前まで
津幡通信部でがんばっていらした島崎勝弘さんも。
番外編の渾身のレポートは、大野沙羅さん。
小さな図書館がオープンした翌年のお生まれなんですね。

***

ところで、

ようやく公開された衆議院政治倫理審査会での
「知らぬ、存ぜぬ、承知しない、関知しない」
には、ほとほとあきれ果てました。

「こういう人たち」が大勢を占める限り
日本の将来に希望がもてません。

今日の午後は、参議院予算委員会
蓮舫議員は理路整然、鋭く追求しましたが。

あまりに恥ずかしすぎて
子どもたちには見せられない世界です。 

『能登 2015年冬号』特集Ⅱ ~「山下すて短歌抄」

能登 2015年冬号』の二つ目の特集は
能登永遠(とわ)の歌びと「山下すて短歌抄」》

藤平朝雄さんの詳細な解説があります。
抜粋して紹介します。

……・……・……・……

昭和61年(1986年)朝日歌壇に初登場したすてさんの歌は、その年だけで入選歌が40首を超え、またたく間に朝日歌壇の多くの読者をとりこにした。

歌の背後には、厳しくもやさしい奥能登の自然とくらしが見え隠れして、すてさんの短歌に能登や輪島の風土を重ねる人も多かった…三方を海に囲まれた半島「能登」をこよなく愛し、生涯のこころの拠り所とした山下すてさんは、平成11年の早春、ひそかに息をひきとった。すてさんの短歌に惹かれ、心を洗われ、生きる力をもらったという人が、今も全国各地に多勢みえる。

山下すてさんのくらしの周辺には、いつも海があり、波の寄せる海浜があり、漁港があった。町中には朝・夕の市が立ち、座業による手仕事の漆器工房は、狭い路地の奥にまで点在した。

選者らから高い評価を得たすてさんの歌は、にわかに浪漫と花が開いたわけではない。歌作の根となり幹となったのは、36年にわたる入念な俳句歴にあった。…輪島漆器にたとえるなら、長い俳句歴の下地があってこそ、後の短歌が一斉に開花した、と言えるのではないか。

一年とて、一日とて、一時とて、同じ「刻と様」が無いことを、すてさんは膚で感じていたに違いない。世の流れと季節の移ろいに身をゆだねる中で、変幻自在の織りなす天地人の妙を、誰よりも敏感に感じとっていた女人が、歌びと「山下すて」さんだ。

ことし平成27年は17回忌にあたる。すてさんの海、永久に――と祈るばかりである

……・……・……・……

冊子発刊から9年後の今、
その結びの一文に胸突かれる思いです。

***

『冬茜海に祷りの刻ありて船は母港に鳥らは沖に』

投稿3年目の昭和63年(1988年)、朝日歌壇賞を受賞、
平穏な日常を詩情豊かに詠んだすてさんの歌です。

 

「…鳥の渡り、潮の満ち干、
春を待つ固い蕾のなかには、
それ自体の美しさと同時に、
象徴的な美と神秘がかくされています。
自然がくりかえすリフレイン

―夜の次に朝がきて、
冬が去れば春になるという確かさ―

のなかには、かぎりなくわたしたちを
いやしてくれるなにかがあるのです…」

レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー
(上遠恵子訳/1996年/新潮社)の一節とも重なって
鎮魂歌のように深く響きます。

***

今月の初め、藤平さんと電話が通じて
変わらぬ元気なお声に安堵しました。


「山下すて短歌抄」


このたった7文字が
結んでくれた出逢いの糸、です


↓ ↓


空飛ぶ紙ひこうき&はじめまして~藤平朝雄さん
https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2002/11/24/000000

「第32回出会いの夕べ~能登優情~藤平朝雄さん」
https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2003/03/07/000000

山下すてさんに繋がって&貴重な『風呂敷』&UFOかぼちゃ
https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2003/05/21/000000

能登絶唱うたの旅
https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2021/09/02/235909

『山下すて短歌抄』のものがたり
https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2021/09/03/231508

『山下すて短歌抄』に魅了されて
https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2021/09/04/111147 

『能登』へのエール~~輪島塗の職人さんたち

今日の中日新聞によれば、
いまだに断水は約22880戸、停電は約1100戸も。

それでも紙面には、復興、復旧にむけて
笑顔の写真が少しずつ増えてきています。

***

エールを送りたい記事がありました。

“2010年創刊の季刊誌『能登』復刊への始動”です。

地震で予定していた「冬54号」は休刊となったが、
「春55号」発行に向けて準備を進めているとのこと。
編集長は経塚幸夫さん(70歳)、門前町のお寺のご住職。
能登人」を深く掘り下げる編集方針を掲げてきたという経塚さん。
「変わり果てた能登を記録し、伝える」使命感でのスタートです。


ネットで、多田健太郎さん(多田屋6代目若旦那)が
発信されている『のとつづり』に、経塚さんを見つけました。
https://tadaya.net/nototsuduri/people/detail7/

地産地消文化情報誌”を標榜し、
丹念な取材と洗練されたデザインで
地元の情報を発信する雑誌『能登』。
グルメ情報や観光ガイドにとどまらず、
その奥にある人々の想いや
農林漁業が抱える課題にまで目を向けた
能登の“総合誌”です…


***

私の手元にあるのは『能登 2015年冬18号』

2015年4月23日、静岡からの友人たちと
藤平朝雄さんを訪ねた折に手に入れた冊子、
そこには、二つの「特集記事」が掲載されています。


~☆~☆~

特集Ⅰは、《輪島塗を支える職人のチカラ》
9人の方々が紹介されています。


木地師指物木地師、曲物木地師、朴木地師
塗師(下地)、上塗師、呂色(ろいろ)師、
蒔絵師、沈金師。

こうした多くの職人さんの分業による専門化が
「輪島塗」の高品質を支えているといわれます。


― 輪島塗は「髹漆(きゅうしつ)」の手順が130を超える。
その中で、仕上げの上塗へ行く前の「下地」の仕事は
手順の大部分の100以上を占める輪島塗の要の工程 ―

「塗ったら必ず磨く、研ぐ。これを繰り返すのが輪島塗です」と
稲木さん。【輪島地の粉】を漆に混ぜるのもその特徴。

中村敦夫さんが塗師屋の主を演じた
NHKの朝ドラ『まれ』では
その第一人者(当時75歳)の稲木正伸さんが
現場の指導を担当されたとか。


~☆~☆~

砥の粉(とのこ)、生漆(きうるし)、研ぎ炭、、、

生まれた家の商売柄、日常的に見聞きしていて
色もニオイも蘇ってくる遠いモノたち。

とっくに縁が切れたと思っていたのに
不思議なもので…
今となってはしきりに懐かしくてたまらない。


皆さまがご無事でいらっしゃいますように
能登が元気になりますように

漁師と妻とピアノ

先日のETV特集は「漁師と妻とピアノ」

漁師、妻、そしてピアノ

ミステリアスな取り合わせのタイトルに
私はまったく別の内容を想像していました。

冒頭の海のシーンで
大好きな「ラ・カンパネラ」が流れて
これはきっと、
忘れ得ぬ思い出の物語に違いない…

ところが、私の予想は
もののみごとに外れました。

のり漁師の徳永義昭さん、63歳。

フジコ・ヘミングさんの
「ラ・カンパネラ」に感動して
パチンコから足を(指?)洗い
52歳でピアノを始めた徳永さん、

その難曲「ラ・カンパネラ」が弾きたい一心で
一日8時間の猛練習を続けてきたそうです。


ふたりの出会いもほのぼのとして
亡き父を想い号泣する徳永さん
ピアノ講師の奥さまの想いも交錯して
じ~んと胸熱くなりました。


もっと早くお知らせできればよかったのですが
あと10分で再放送が始まります。

JOPの試合で四国くんだりまで出かけた夫は
予定より早く帰ってきます。
感動の物語、夫と一緒に
もう一度みたくて、聴きたくて、
録画予約したところです。

旧津幡町立図書館の記録「ひと言・人・こと」はこちらです。